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 身近な習わし(風習)

 これまでに取り上げてきた日常細事の中から、日本の伝統的行事や慣わしを抜き出してまとめてみた。見返してみると、結構日本人は古いしきたりに順応していることが分かる。これは生活の住滑油のような働きをしているに違いない。
 古くから日本では風習(慣行)という伝統が、文化を生み出した大きな要因となっている。
 農耕民族とも言えるわが国ではずっと昔から天の恵みに大きく依存してきた。そのため暦が重んじられ、月の運行に従って定められた陰暦によって祭祀が執り行われた。こうした祭りごとが伝統文化へとつながっている。これまでも季節の移り変わりを示す二十四節気については多く取り上げてきたが、改めて伝統文化との結びつきについて検証する。
 伝統文化とは「 これまでの長い歴史の中で形成された中でも特に普遍的に重んじられてきたもので、地域に根ざし 地域社会の生活様式と共に伝承されてきたものを言う。それは祭事や神事、伝統芸能や風習・行事として地域文化として伝えられてきたものや、かつては日常生活の道具として使用されたものが、使用価値から美術的価値や工芸品的価値に形を変えて、その技法は匠の技として継承・伝承されてきたものによって育まれてきたもの」と事典では定義づけている。
 例を上げて見よう。11月8日の"時の歳時記"で紹介した鶴岡八幡宮の末社、丸山稲荷社の火焚祭では「鎌倉神楽が奉納され、神楽の庭には五色の切り紙で飾られた山飾りが設けられ、湯立てを中心に、初能、御祓、御幣招き、湯上、かき湯、笹舞、弓祓、剣舞、毛止幾などの神楽が素朴な舞と笛、太鼓の音色を伴って奉仕される」と紹介したように、人と神とのつながりを祭祀として執り行う神事は、日本の一大年中行事であり、あらゆる地域で形こそ違え、天の恵みに感謝する習わしとして長く伝承され、今も守られている。
 一方で、新しい国を作ろうとするために、古い文化を否定するという形をとる国も多く存在する。それも有形・無形の文化を根こそぎ抹殺しようとする「焚書坑儒」(中国秦の時代)に似た暴挙が行われている。それにより何千年も続いた文化遺産が破壊されている。取り返しのつかない過ちを犯すのも人の世である。
せめて日本では、こういう形で長い時間をかけて築き上げられた文化を失わぬよう、しっかり守ってほしいものだ。
「温故知新」という諺がある。もう一度自分の周囲の風習を見直すとしよう。(2015.11.11 )

彼岸と法事
 明日[2016年3月20日(日)]は春分の日、お彼岸の中日である。最近はさぼっているが、お彼岸には墓参りするのが慣わしであった。またこの時期は何故か法事と重なることが多い。
 私は八人兄弟(姉妹)と大家族の中で育った。今75歳で6番目の子供であるから、いままでに祖父、両親、兄、姉の4人を失ったが、長命な家系である。男は兄と私の2人、女系家族である。姓の違う親戚が多く、法事などで集まると、孫子を入れて30人は集まる。賑やかなものである。どうでもいい個人的人間関係を暴露してしまったが、わが家系の法事は賑やかだということを言いたい訳である。
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌までは法要が行われることが多いから、詰まる所毎年親族が顔を合わせることになる。
 毎年のことなので一周忌法要は神妙であるが、それ以外の法要は懇親会のようなものである。懇親会と考えれば、故人を偲んでしんみりしたり、涙を流すということはない。故人はそこそこ長生きし、親族に見守られて逝ったことも場が湿らない理由であろう。
 お斎(おとき)の場面も、型通りに献杯し、普段では口にできない料理を堪能し、酒を飲める者は、(私は全くの下戸)酒が入るほどに盛り上がっていく。殆どが四方山話で盛り上がり、どうも故人の思い出を語り合うシーンには巡り合わない。三回忌以上になると、悲しみは薄れ、思い出も遠くなる。悲しみなどは余り引きずるのは良くない。
 故人にとって、法事という行事をきっかけに、多くの家族が集まり、その絆を深める場所を提供しているのだと知れば、それが一番の供養になることだろう。(2014.3.20)

柏餅
 ゴールデンウイーク(GW)真っ只中、今年のGWは飛び石連休である。人によっては、最長11日の連休を取ることができるそうだ。
 私はこの期間も、普段と何ら変わらぬ生活を続けており、言って見れば毎日が休日みたいなものだから、改めて特別な期間ではない。
 それでも、日本の食文化ではないが、時期限定の菓子「柏餅」を口に出来る。 桜餅に続いて柏餅、端午の節句を祝う菓子の登場である。
 ちょっと文献で調べてみると、「偏平な円形にした新粉餅(うるち米を精白し、洗って乾かして粉にひいたもので、上新粉とも言う)という餅がある。この上新粉を捏ねて蒸し、ついたり、捏ねたりしたものを柏餅に使う」とある。 この生地を使った和菓子には、花見団子やスアマなどがある。
 餅を包む柏の葉は、「新芽が出始めて、古い葉が落ちるので、男子の成長と子孫繁栄を願い、武士の間で縁起を担ぎ珍重された」という。
 和菓子のお店に行くと何種類かの柏餅が置いてある。代表的なのが餡子(あんこ)が小豆の粒あんだったり、こしあんだったりする。他にも餅にヨモギを混ぜたものや、うずら豆の味噌あんなどがある。私は中でも粒あんの柏餅が好きだ。
 桜餅は、葉ごと食べるが、柏の葉は食べるには固すぎる。この時期にしか出回らないので、短い期間であるが、あちこちの店の味を楽しむのもいいものだ。(2014.5.1)

こどもの日(端午の節句)
 5月5日はこどもの日。こどもの成長を願う祝日であるが、端午の節句と言われ、男児の祝いとされていたものを、昭和23年から、法律で男女の別なくこどもの日として祝日にした。 
 私が小学生の頃はまだ男の子の節句で、鯉のぼりがあちらこちらの庭に立てられて、何匹も泳いでいたものだ。いまでは近所ではほとんど見かけない。
 鯉のぼりは、鯉の滝登りを象徴したもので、立身出世のための縁起物である。いまのこどもに立身出世といってみても、今ひとつピンとこないかもしれないが、お受験に代表されるように、親は本心では願っているかもしれない。
 端午の節句は伝統ある行事で、柏餅や粽(ちまき)を食べるのは、邪気払う慣わしの名残りである。
 私が小学生の頃には、父親が座敷の床の間に鐘馗様の掛軸を、付け替えていたのをよく覚えている。
おっかない顔をして、鎧に身を固めた姿は、五月人形として今でも売られている。魔除けの神様であるので、今流行りのご当地キャラで売り込めば、結構いけるのではないだろうか。
 今は少子化の時代、こどもは国の財産である。子供に対する対する暴力(DV) は、正に家の中に潜む邪気である。こどもが元気で健やかに育つためには、こうした目に見える邪気は、社会的悪として、世の中から一掃しなければ、こどもの安全も未来も約束できない。(2014.5.4)

雑考 秋の七草
 台風も去り、久し振りの秋晴れで紅葉狩りなどしたい気分だ。ところが出かけても、どうも紅葉は見頃ではないとの報道がある。モミジで有名な京都の紅葉は12月頃になるという。
 それでは秋を代表する草に目を転じると、秋の七草の存在がある。春の七草は七草粥と食を伴うので、人によく知られている。一方、秋の七草をそらんじて唱えることできる人は多くない。万葉の歌人山上憶良が「萩の花 尾花 葛花 瞿(なでしこ)の花 女郎花(おみなえし)また藤袴 朝顔(桔梗が一般的)の花」と詠んだことから、日本の秋を代表する草花として親しまれてきたという。
 余り目立たず地味に花を咲かせるせいか、菊の花のような印象を与えないのも、覚えられない一因だろう。
 そこで、次のような頭文字を並べる語呂合わせにすると簡単に覚えられるという(HP:nanapiから)。
「お・す・き・な・ふ・く・は」と覚えるのが早道なのだそうだ。
・お=女郎花(おみなえし)
・す=薄(すすき別名尾花)
・き=桔梗(ききょう)
・な=撫子(なでしこ)
・ふ=藤袴(ふじばかま)
・く=葛(くず)
・は=萩(はぎ)
 他の覚え方として、春の七草のように韻を踏んで短歌にしたものを繰り返し口ずさむと、自然に口から出るようになるという。個人的にはこちらの方が好きだ。
「ハギ・キキョウ/クズ・フジバカマ/オミナエシ/オバナ・ナデシコ/秋の七草」
 じっくりと秋の七草など鑑賞しては如何。(2014.10.17)

風習(中締め)
 風習というのは、言い換えると「ならわし」とか「しきたり」のことで、地域ごとに異なる場合が多い。自分の経験に照らして顧みると、そのうちの一つに忘年会のお開きなどで使う中締めのしきたりがある。
 これには、一本締め、三本締め、関東の一本締めなどが思い浮かぶ。
 この中締めは、時と場所で変わるなど曖昧なので、「Yahooの知恵袋」の知恵を借りて紐解いていくことにしよう。
 上に三種類示したが、それぞれ手の打ち方が違う。
 一本締めと関東の一本締めとは全く違うので、混同するとちぐはぐになってしまう。
 正式の一本締めとは、次のようなものだ。「チョンチョンチョン チョンチョンチョン チョンチョンチョン チョン」と10回手を叩くのだという。次は関東の一本締めとはどうかというと「ヨ~ チョン」と1回で締める。10回叩くのと1回では大きな違いがある。
 それでは三本締めとはどう違うかというと、そもそも発祥は舞台公演などで終演の際、出演者が勢揃いして観客にお礼の挨拶をすることに発している。この時、出演者は観客に向かい、左右、中央の三方に礼をする。それに習い、一本締めを三回繰り返す。都合10回✖3回=30回手を打つ。こんなに手を打った経験はないが。私は三本締めというのはずっと正式な一本締めと勘違いしていたということになる。
 ところで、3×3=9は九=苦に通ずるので縁起が悪い。そこで最後に一つ「シャン」と加えて、九に一つ点を入れれば「丸」という字になる。これですべて丸く収まるという仕組み。確かに言われてみれば、納得できる話だ。(2014.12.5)

風習(神社参詣)
 前回に引き続き風習のひとつ神社参拝についても調べを広げて見た。
 毎年恒例のようにお詣りするのだが、正しい手順が身につかず、前の人の例に習うという参拝の仕方をしている人が、結構いるのではないだろうか。
 参拝は形から入り形で終わる謂わば儀式のようなものだ。従って自ずからルールのようなものが存在する。
 その流れを示すと次のようになる。
 第一段階:神社を訪れたら、先ず参道の両端を通るのが習わしになっている。これは参道の真ん中は神様が通るところとされているからだ。
 第二段階:手水(ちょうず)と呼ばれる石造りの用水桶のある場所に行き柄杓(ひしゃく)を取って手を洗い、口をすすぐ。これは下界の穢れを落とすための儀式である。次のような手順で行う。
(1)右手に柄杓を持って水をすくい。まず左手にかける
(2)左手に持ち替え、右手にかける
(3)再び右手に持ち替え、左手の手のひらに水を掬うように注ぎ、口をすすぐ
(4)柄杓の中に残った水は、柄を下にするようにして立てて柄を洗う。そして、元に戻す
 以上が一連の所作である。
 第三段階:神社本殿前の拝殿に進み、軽くお辞儀をして、お賽銭を入れて(投げるのではなく置くように)、鈴を鳴らす。
 最終段階:2回深く礼をし、2回柏手を打ち、1回深くお辞儀をする。最後に神官に軽く会釈して退出する。
 こうした一連の流れの中で、気持ちが清々しくなるのは確かだ。その上一年の無病息災と家内安全を授かるなら、大変なご利益(ごりやく)を得ることになる。まずはお詣りすることが必須条件だが。(2014.12.8)

柚子湯と南瓜
 12月の歳時記は何と言っても冬至。冬至は(12月22日)、日本の季節で太陽の位置が最も低くなる日で、日照時間は夏至に比べ東京で4時間40分も短くなるというから、寒いのは当然のことなのだ。
 冬至には柚子(ユズ)湯に入り南瓜(カボチャ)を食する風習があるが、これはどこからきているのだろうか。
 ネットで調べたことを纏めると、面白い言い伝えがある。柚子湯は元は語呂合わせだ。柚子は融通がきく、冬至は湯治にかけて合わせ技の風習なのだそうだ。実効性も伴っている。柚子湯は血行を促進して冷え性に効く。その他、体を温めるので風邪予防にもなるし、リラクゼーション効果もあるなど、風習として根付いたようだ。
 次に南瓜を食べるという風習は、神道の陰陽五行説に準じているようで、南瓜の中身は黄色で、それが魔除けの色で邪気を払うと言われている。なぜカボチャを南の瓜と書くかについては、陰(北)から陽(南)に向かうことを意味しているという。
 南瓜の効用は、ビタミンCやカロチンが豊富で、風邪や中風予防に効くということと、長期保存が効くところから、冬の栄養源としての役割を果たしている。
私はご近所の庭に実った柚子を頂き、風呂に入れて柚子湯とし体で味わっているが、南瓜に関しては、普段でも食するので、冬至に必ず食べるということはない。
 このような風習は、福を招き、体にも良いというのなら、先人の知恵に学ぶに越したことはない。(2014.12.18)

松の内
  新しい年の始まり我が家の玄関口には、今年の無病息災、家内安全を呼び込む松飾りが置いてある。
 言い伝えによれば、お正月を迎えるに当たって松を飾るのは、神道で言うところの「歳神様」の訪れる際の目印とするためなのだそうだ。
 正式には門松を立てるのが理想だが、住宅事情でそうもいかないので、我が家のような飾り付けになっても心の広い「歳神様」は、訪れていただけるというから有難いことだ。
 今でもショピングセンターの入り口などで本格的門松を見ることはできる。観察してみると、3本の長く太い竹を中心に置いて松と梅の枝を組合せ、下の方に筵(むしろ)を巻き輪飾りを掛けているのが見て取れる。
 松を飾るという風習は、長くから続いているもので、どこの家庭でも見られる光景だ。松飾りをして、清々しい新年を迎える事ができるのであれば、宗教には関係なく、それはそれで良しとしよう。
 松の内の期間は1月7日までで、それまで「歳神様」は松の内に宿っていて、7日を過ぎると家の中で1年間家を守ってくれると言う。どこの家も「歳神様」に守られことを祈るとしよう。(2015.1.1)

七草粥
 大晦日から今日まで忙しく時間が過ぎ去った。ホームページのリニューアルに手間取り、食事と短時間の散歩以外は、殆どパソコンに向かう日々であった。どうにか恰好が付いてきたので、ようやく予定のコラムを書き上げることができた。
 1月7日は年中行事の一つ「七草粥」を朝の食膳に供する日である。
 春の七草とは、一般には「セリ、ナズナ(ぺんぺん草)、ゴギョウ(母子ぐさ).ハコベラ(はこべ)、ホトケノザ(三界草).スズナ(かぶの別名)、スズシロ(だいこんの別名)を指す。
 起源は、「平安前期の896年(寛平8)に宇多天皇は、初めて七種の若菜を入れた粥を、神に供えて無病息災を祈念し、これが七草の始まりとされる(たべもの起源事典)」
 七草を刻みながら「七草なずな唐土の鳥が、日本の国に渡らぬ先に、七草たたく、すとんとんすとんとん」と唱えるのだと、幼い時、誰知らずだが教わった記憶がある。
 我が家の七草粥は上に示した具とは違う、餅や大根の葉っぱ、玉ねぎ、里芋、せり、人参といったお節料理の残り物を雑炊にしている。なぜか7つ目の具に鳥のささ身を細かくほぐしたものが入っていたりして、中華風鳥雑炊の感もあるのだが。それに醤油やラー油をかけたりすると、お節料理に食傷気味の胃袋に、新鮮な食欲を呼び戻してくれる。
 明日は一日遅れ(1月5日)の御用始め。休息していた企業戦士たちが、また忙しない日々に追われることになる。これで今年は本当に景気良くなればいいのだが。(2015.1.4)

小正月
 昨年1月4日のコラム「七草粥」を読むと「この歴史は古く平安時代に遡る。神事の一つで七草の若葉を入れた粥を神に供えて無病息災を祈念したと伝えられている」このコラムでは「今年は本当に景気が回復してほしい」という言葉で締めてる。
 昨年は気象面でエルニーニョによる異常気象が続いたが、景気面ではそれほどのダメージは受けなかったようである。
 今年は春先から普通の年に戻ると気象庁では見ているようだ。
 さて、小正月に話を切り替えると、お天気と農業とは切っても切り離せない関係にある。
 古来農耕を中心にして生活が成り立っていた日本では、当然な話ではあるが、気候の安定を祈る神事・祭礼が年中行事として定着している。特に正月には色々な神事が重なる月である。
 今回はそうした神事の数々が執り行われる小正月についてまとめてみた。
 年中行事大辞典によれば「1月14日から15日の初満月をを中心とした正月のことを小正月と呼ぶ。そして満月に当たるところから望(もち)の正月と呼ぶこともある。この小正月が終わると1月20日をもって年神様を送るとされている地方が多い」
 先にも記したが、小正月は主に農耕に関わる予祝や豊穣を祈る多様な行事が伝えられている。これは国学者の柳田国男氏の説であるが「在来の正月行事を2つに分けて、主として表向きの半分を元日の方に移し、残りの半分は旧来の年越し、すなわち14日の夜に行うように残したものと考えた。従って小正月には大正月に比べて呪術的な行事が多く行われており、大正月を男の正月というのに対して小正月は女の正月と称している」
 小正月の特徴は、奈良時代の朝廷行事の一つ、正月の満月の日に、文武百官に御竃木(みかまぎ)を進ぜさせたということに始まり、民間にも広く伝承されていったと考えられている。
 小正月の行事と言えばその火祭りが特徴である。左義長、道祖神祭ほか中国地方以東ではどんど焼きと呼ばれ、その火で道陸神(どうろくじん)とか道祖神(さいのかみ)などと呼ばれる藁人形の神様を焼く行事がある。この神様がこれからの一年間に病気にする予定の村人の名前を書いた帳面を持っているので、それを焼いて無病息災を祈るのだと語り継がれている。個人的にも、今年が平穏無事な一年であることを祈りたい。
 このほか小正月にはこうした祭りが目白押しで、「時の風物詩」の紙面を賑わすことになるだろう。(2016.1.8) 

年末の行事まとめ
 今年の冬至は21日(22日の時もある)だった。夕食にかぼちゃを食べ、風呂は柚子湯にして、温まりながら考えた。
 日本の伝統文化や行事は年末年始に多く集まる。
 そこで今回は年末の行事とかしきたりについてまとめて見た。
 行事の順番で、冬至・天皇誕生日・クリスマス・餅つき・正月飾り・歳の市・大祓・年越しなどの行事があるが、全部は紹介しきれないので2回に分け、前編は歳の市までを紹介しよう。
1.冬至(21日)
 冬至に食べるカボチャは、特別に冬至南瓜と呼んで、秋に収穫したカボチャをこの日まで保存して食べる。冬至カボチャを食べると、風邪をひかないとか、中風(中気ともいう)にならないという言い伝えがある。
また、柚子(ユズ)湯に入ると身体が温まる。言い伝えでは柚子湯に入ると一年間病気に罹らないという、医者知らずの効能があるということだ。
2.天皇誕生日(23日)
 今上天皇の誕生日『 明仁(あきひと、1933年〈昭和8年〉12月23日 満82歳 )は、日本の第125代天皇』で、これは法律があって「国民の祝日に関する法律」によるもので、即位した天皇の誕生日が祝日になる。昔は天長節という呼び方があった。これは老子の言葉「天地が永久に不変であるように、物事がいつまでも変わらずに続くこと、天地長久に由来する」
3.クリスマス(25日)
 キリストの誕生を祝う降誕祭であるが、24日の前夜祭(イブ)が一番賑わう。今年は連休の関係で22日が公立学校の終業式だったこともあり、街中の盛り場には多くの人が繰り出すことだろう。既にこれを書いている23日にはMM21地区などは来街者で人や車が溢れ、地元の私などはこの時期近づかない。ケーキが飛ぶように売れて、景気の良い話となる。
4.餅つきと正月飾り
 正月の餅を年末に搗くのであるが、これには古くから言い伝えがあり「29日に搗く餅はクニチ餅といい、大晦日に搗く餅は一夜餅といって禁忌とされている」また、同様に大晦日に正月の飾り付けをすることを「一夜飾り」といって、年神様(正月に家々に迎えて祀る神様)に対して誠意に欠けるということで忌む。
5.歳の市
 12月の半ば以降に各地で行われる年末の市で、大きな神社やお寺の門前に、伝統ではガラクタなどを並べて売る骨董市のようなものであるが、今は正月の仕度などのものも売っている。路上にシーツを敷き商品を並べる。年末の風物詩ともいえよう。
6.大祓い
 晦日に行われる罪や穢れを払う行事。もとは宮中行事の一つで、とくに天下万民の罪穢という意味で大祓と呼ぶ。1年のうち、毎年6月と12月の晦日(新暦では6月30日と12月31日)に行われるものを恒例となっている。県内では寒川神社で大晦日の師走大祓が行われる。 
7.年越し
 旧年を越して新年を迎えることで、大晦日に氏神様やお寺などに詣り、年を越す人で賑わう。最近では街なかの渋谷センター街なども越年する人が多く集まるなど、必ずしも神事に関係なく賑わう場所も多い。年の終わりには寺では108の鐘が鳴り、神屋では篝火が焚かれ、甘酒なども振る舞われて、正月の初詣が始まる。私も普段は近くの八幡様に詣でる。高台にあり、遠く港が見える。そこから停泊する貨客船が鳴らす汽笛のボーッという音が聞こえ、年越しは最高潮を迎える。
 ちなみに、晦日の夕食は年越し蕎麦と決まっている。
 なぜ、寒い最中に都市が切り替わるのか、これは正月には年神様が各家々を訪れるからで、トシとは米のことで、農事と深い関わりがある。したがって新年の豊作を約束してくれる神様だから丁重に迎える。子どもたちはこんな童歌を歌って年神様を迎える。
「お正月さまござった どこまでござった ××までござった 何に乗ってござった ゆずり葉に乗って ゆずりゆずりござった」(2016.12.24_28)  






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