今までに掲載した人物百相から写楽の歌舞伎絵を解説付きで再編集して紹介する。第四回目(1,2回は2016年に紹介)は31枚目から40枚目までについて解説する。
三代目瀬川菊之丞の仲居おはま実は稲葉六郎太夫女房
女形の名家である菊之丞の門人、養子となって人気が出た。容姿だけでなく口跡 (言葉遣い)も良く、家芸である「道成寺」などの所作事はもちろん、時代物・世話物の地芸も得意とした。寛政の改革中にあっても破格の年俸を取り「浜村大明神」と崇められた。
三世大谷広次の奴土佐の又平
名護屋の下部土佐の又平役の三代目大谷広次という役者は、このあとなかなかの名優となる。大谷広次(ひろじ)はそもそも相撲の狂言を得意にしているぐらいだから、でっぷりとしていてなおかつ芸に幅があったという。なぜ紅をさしているかというと、顔の割に目が小さかったから目を大きくためで、敵役のベテランに負けないために目立たせた紅を入れたという役者の心意気を感じさせる。
坂東善次の鷲塚寛太夫の妻小笹 岩井喜代太郎の鷲坂左内の妻藤波
ここで写楽は「勘当の場」に出てくる両者を描いている。歌舞伎では悪方に与する女性を敵役や実悪などの役者が勤めることが多い。つまりここでは、善悪だけせなく、いかにも男性的な敵役の善次と、女武道を得意とし、きりりとした面持ちをした女形の喜代太郎の対比を見事に表現している。
二代目山下金作の大内屋仲居ゑび蔵おかね実は貞任女房岩手
二代目山下金作この時六十六歳。当時としては立派な「老人」で、しかもかなり太り気味であったことが知られている。写楽はその姿を容赦なく描いている。その中にも、女武道を得意とした金作ならではの毅然とした表情も描き切っている。
三代目佐野川市松の祇園町の白人おやの
市松はこの頃すでに女形としては、やや無理があり(とうが立っていた)、写楽はその無理を骨ばった顔など見事に暴いている。市松はこの頃中堅の役者で花形ではない。それでも2枚(111枚目三代目佐野川市松と市川富右衛門で紹介)の首絵を描いているのは写楽としては理解しがたいことで、これはスポンサーがついたのではないかと見られている。
二代目瀬川富三郎の大岸蔵人妻やどり木と中村万世の腰元若草
寛政6年5月都座上演の「花菖蒲文禄曽我」に取材した作品。「亀山の仇討ち」をもとに脚色された作品で、亀山城下の屋敷でのやどり木と大岸家の腰元若草を描いたものとされる。写楽は、一画面に二人の人物を並べる時は、両者の対比を強調するようにした。この絵の中の二人も、顎を張った長顔の富三郎と、大福のような丸顔の万世とを対比させている。また、やどり木には気品がただよう一方、若草の方には主人への敬意が感じられる。
三代目坂田半五郎の子そだての観音坊
「二代目瀬川富三郎の傾城遠山と市川栗蔵の遠山義若丸」と「三代目坂田半五郎の子育て観音坊」とは対になる絵で、このシーンは不破一味から一子義若丸を守るため城を出た遠山を、悪僧の観音坊が襲う場面と想定される。半五郎の張りつめた勢いと(本作品)、富三郎の柔らかな物腰が対照的(本HP未紹介作品)。
中島和田右衛門の丹波屋八右衛門
大和から忠兵衛をを訪ねてきた孫右衛門に毒づく八右衛門。『四方錦故郷旅路』の中の一枚。「てやんでーべらぼうめ」といった雰囲気が伝わってくる。中島和田右衛門を描いたものでは「HP109ののぼうだら長左衛門」が有名。痩せて筋張った体の表現が、よくその特徴を捉えている。
四代目岩井半四郎の楠正成が女房菊水
顔の輪郭など四代目岩井半四郎の良さを実によく再現している。武家の女房の雰囲気も素直に伝わってくる逸品。「岩井半四郎」はもとは立役の名跡であったが、四代目からは江戸歌舞伎の女形として基礎を築き、以後五代目、六代目、七代目へと続いた。
初代大谷徳次の物草太郎臂員(ひじかず)
大谷徳次の物草太郎は、京の街で野宿をしながら父の仇を探すうち、土佐の又平らの争いの巻き込まれる道化方。上の侍同士の争いが、下の家来や奴に至るまで巻き込んでいくシナリオになっている。
2017.7.10 別冊太陽『写楽』より