2018.11.2 ライフスタイル(生活様式)Ⅱ
ライフスタイルを構成する4つの要素の3番目「環境」に関しては、多分に個人の選択で変えることができるものである。それには経済的制約や家業などの制約要件もある。環境を大きく変えるものに家の問題がある。私の場合も家の購入で生活の利便性や子どもの教育環境は大きく変化した。経済的に富裕層は自分で好きな社会環境を選べるということは言うまでもない。更にそれを制約する要因として、本人・家族・地域社会に起こる突発的事故や病気によって、思わぬ方向に変わってしまうという厳しい一面もある。
次の要素「行動」とは、暮らし向きの関するもので、上の3つの要素と重なる面が多い。この調査報告書によれば、実際に暮らしを展開するためには、自分の志向・嗜好を踏まえつつ、環境と照らし合わせ様々な点で妥協を図ることになる。
この循環する構造がうまく回っている時は「幸福の構造」になると、この調査では結論付けている。私にとってこれに当てはめると、まさに妥協の産物であり。幸福というものが心の問題なのか経済的豊かさ・地域との密着度によるところが多いのか、結論の出ない命題ではあるが、全体のバランスを考えれば一応「幸福の構造」に近いものと判断できる。
これらはライフスタイルというものを統計的視点から捉えたもので、これだけで人のライフスタイルを云々することは意見が分かれるところがあることだろう。
この調査の狙いは「地方再生」という現政府が最も力を入れている施策の一つを後押しする目的で国がまとめたもので、地域と大都市との格差を是正する標準モデルを見つけようと試みたものである。その点少し「つぎはぎ」で結論を急いだ感がある。
誰にもライフスタイルはある。自分のライフスタイルを見直すきっかけにでもなれば、喜ばしいことである。
2018.11.7 道具の移り変わりⅠ
80年も生きていると、周辺の環境は大きく変わるものである。今回は家庭にある生活環境の変化について、自らの体験から振り返ってみて、これから先のことも考慮に入れて考察していく。
話は思い浮んだ成り行きで進めるので、まとまりを欠くかも知れないが、その点はご容赦願いたい。
私が中学生になったころから、日本は徐々に戦後の回復期に差し掛かっていた。この頃、家庭内の生活を一変させる電化革命が起きることになる。電化製品の「三種の神器」の出現に象徴される変革である。これは歴代天皇に伝わる三種の神器になぞらえた呼称である。
時代は1950年代後半で、「三種の神器」とは白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の家電3製品を指す。人はこの時代を神武景気と名付けて記憶に残している。
それまでの我が家では、洗濯はタライ(盥)に洗濯板そして洗濯石鹸で衣類を洗濯していたものだ。冷蔵庫は木製枠の3つの開き戸の最上段に氷屋が運んでくれる角柱(15×15×40センチ)を入れて、内側はアルミで熱が逃げないように囲ってある原始的なもので、お店でぐらいしかお目にかかれない代物だった。白黒テレビはまだまだ先の出現で、ラジオ全盛の時代で「君の名は」という菊田一夫原作の放送が大人気で、放送時間には町の銭湯ががら空きになったという逸話も残っている。
まず洗濯機は、日本でも1930年に東芝が第1号機を発売しているが、一般家庭に普及するまでには至らなかった。その後、1953年に三洋電機から現在の洗濯機の原点とも言える噴流式洗濯機が低価格で発売され、一気に家庭に広まった。今のような全自動ではなく、ハンドルを回して衣類を挟み込んで絞るという、力仕事も必要だった。
冷蔵庫は1930年代初頭に東芝と日立が第1号機を売り出した。当時家1軒が買えるという高価なもので、今でも企業博物館に所蔵されており、 2008年度に、経済産業省「近代化産業遺産」の1つに認定されている。三種の神器に入る冷蔵庫も当時1950年代ではサラリーマン10か月分の給料に相当する高根の花で、普及率50%を超えたのは1965年(昭和40年)なってからである。日本の驚異の復興劇は更に続く。
2018.11.10 道具の移り変わりⅡ
白黒テレビの映像を初めて街頭で見た時の印象は今でも瞼に焼き付いている。力道山と木村政彦のタッグが、シャープ兄弟と熾烈な争いを繰り広げ、結局力道山の空手チョップで試合が終わるという、敗戦国日本の復活を象徴するシーンが繰り広げられたところにある。
この頃(1953年ごろ)Wikipediaによれば「テレビは非常に高価であったため、街頭テレビやキャラバン隊を通じて宣伝され、電器店の店頭のみならず銭湯や大型飲食店など集客能力の高い店舗から先に導入された。プロレス中継など人気番組の放映時には近隣住民が寄り合い、一同鑑賞する光景が当たり前のように見られていた」という記述の通り、わたしなども最初に書いたように、街頭で観たり、喫茶店(今のパブリックビューイング)で有料で観ていた。
それほど人気は高く、これをきっかけに家庭にも普及し始め、「総合家電メーカーの市場参入による量産効果で低廉化し、1958年(昭和33年)の東京タワー竣工とミッチー(ご成婚)ブームを境に爆発的に売れ出した」とある。
これまで書いたのは、戦後日本の産業の復活を象徴する「三種の神器」のあらましであるが、このことは、家庭の道具が電化していく姿を浮き彫りにしている。
製造と消費で多くの電気を消費することから、電気の需要もJ カーブで増えることになっていった。 これを統計資料(ガス・石油等も含むエネルギー消費量)で見ると、1965年から1973年の第1次オイルショックまでの消費量は産業用で約2.4倍、家庭用1.7倍にもなっている。こうした産業の復興は、後に公害の種子になったことも記憶しておかなければならない。
この時期が「三種の神器」に続く新たな家電革命が1960年代半ばから1973年まで続く、いざなぎ景気時代である。カラーテレビ (Color television)・クーラー (Cooler)・自動車 (Car) の3種類の耐久消費財が頭文字が総てCであることから、「3C」と呼ばれる時代に入っていた。次号はまた私の身の回りの道具の変化について記す。
2018.11.14 道具の移り変わりⅢ
電化製品が出回る前の我が家の道具類はどうだっただろうか。
暖を取るのはもっぱら火鉢で、我が家のは陶器の丸火鉢で、形状は味噌樽を茶碗のように焼いたものである。これは単に暖房を取るだけでなく煮たり焼いたりもしたので、いろいろな小道具が付属する。どのようなものがあったか次に示す(wikipedia)。
火起こし:片手鍋に似た形状で、底に炎を通す穴が開いており、ガスコンロなどに乗せて使用する。
十能:小型のスコップあるいは柄杓(ひしゃく)のような形をした、日本の、炭や灰を運ぶための家庭道具。
火箸:炭火などを扱うための金属製の箸。
五徳:炭火などの上に設置し、鍋やヤカンなどを置くための器具。
金網: 餅などを炙るのに使う。
火鉢本体の半分程度まで灰を敷き詰め、そこに当時、家にはガスは来ていたのでガスコンロに火起こし器を乗せ、炭に火をつけたものを十能で火鉢に運ぶ。火鉢には炭火をいじる鉄製の火箸は必需品で、他の小さな火鉢(手あぶり)などに炭を移すのにも使われた。炭火を囲うような形状の五徳を据え付け、普段はその上に南部鉄の茶瓶を載せて湯を沸かしていた。これは冬の部屋の乾燥を防ぐのにも役立っていた。五徳の上に網を載せると、餅を焼いたり、スルメを焙るのも楽しみだった。
それが石油コンロの出現で姿を消した。灯油を燃料としたもので、火のつき始めは独特の臭いが気になるが、部屋は格段に暖かくなった。これもコンロの上にヤカンを載せて湯を沸かすことはできた。当初は火災の原因にもよくなったが、今では電化も進み、センサーで事故防止できる装置もつき、今でも使っている家庭は多い。
身の回りの小物の電化(電池)も進んでいる。歯ブラシは電動歯ブラシに、髭剃りは電動シェイバー(旅行時携帯用)に、とくに私が重宝しているのが電気バリカンでここ50年来床屋に行っていない。次回は大物の台所道具について記すことにする。
2018.11.17 道具の移り変わりⅣ
家庭の電化の進み具合は止まるところを知らず、我が家でもいつの間にか3Cを手にしていた。カラーテレビ、クーラー、カーの頭文字の3Cである。車など子どもの頃は夢みたいな存在だったが、今では一家に2台なども珍しくはない。最初の2つカラーテレビもクーラーも今は省エネ化が進み、LED(発光ダイオード)やエアコンのIE化が進み快適になっている。車もハイブリットや電気自動車など燃費が安く、自然環境にも適したものに変化を遂げている。電力の供給は3.11の天災で原発の危険性が表面化し後退しているが、太陽光発電、風力発電などの自然エネルギーの再利用のような形に少しづつ変化している。これは地球環境を守る上で絶対に必要なことで、日本の省エネ技術や再利用の技術が世界中に広まれば、地球の環境悪化の進行を少しは送らせる一助にはなるだろう。
話を戻して台所の電化であるが、もう一つ大きな発明品は電子レンジで、今ではレトルト食品(食品革命も進んでいる)がコンビニの中心食料品になっており、とくに独り者には重宝され、チンすればすぐ食べられるという手間いらずが特徴で、台所の主要道具になっている。他には朝の食事はパンという人も多く、トースターやコーヒーメーカーはどこの家にもある。我が家はガスレンジなので調理にはこれが主役になることが多い。都会の高層マンションなどではIHクッキングヒーターが使われるようだ。
台所を離れて電化で大きく変わったのは照明である。昔はマツダの電球といってフィラメントを光源とするものが主役だったが、今ではほどんどの家庭の照明はLED化されており、かつての電球は店頭にさえ出ていない。それに代わって出現したのがLEDで、電力消費量は十分の一程度で明るさは変わらない。色も自由に変えられるので、これからクリスマスシーズンを迎えるが、街を綺麗なイルミネーションで飾り、人の目を楽しませてくれることだろう。LEDは消費電力が少ないので、昼間太陽光で充電し、夜の照明に使うことができるなどのメリットも有り、交通信号や防犯灯に大活躍している。この発明には日本人も大きく関与しており、ノーベル賞ももらったことは記憶に新しい。
次回はAI(人工知能)化の原動力パソコンなどについて記す。
2018.11.21 道具の移り変わりⅤ
仕事で編集作業に長く携わってきたが、文書作成は最初は原稿用紙のマス目に文字を書き入れるところから始まった。
1978年、東芝が初の日本語ワードプロセッサ(ワープロ)「JW-10」を発表 したことが、日本語文書をコンピュータで作成することができるという、編集者にとって衝撃のデビューであった。これが多くの人に燎原の火のように広まったのは、1980年代後半の東芝Rupoの発売で、私もこの機種が最初に手にしたワープロであった。
これは編集作業に画期的な変化をもたらした。ワープロが活躍した時代は1990年代後半までで、愛用者が多かった割りに終わりは早かった。これにはパソコンの出現が大きく影響している。
その背景には日本独特の事情がある。それは発明がガラパゴス化する傾向が強いからである。ガラパゴス化とは日本一国だけで進化を遂げるもので世界標準になろうという汎用性に欠けるからである。
結局今のパソコンはマイクロソフト社とアップル社のOS(オペレーティングシステム)がベースとなって、それに対応するアプリケーションに仕事をさせることになってしまった。この2社がパソコン業界の富を独占する形が出来上がっているのである。多くのハードウェアメーカーはその製品化にOSのライセンス契約をせざるを得ない状況が今も続いている。
当然のことであるが私のパソコンも外国製(made in chaina)であり、このホームページを生み出しているのも外国製のソフトウェアである。
日本の伝統と文化を伝えたいといくら意気込んでみても、この電子社会はインターネットやSNS(ツイッターやインスタグラムなどの簡便なコミュニケーションツール)といった外来の文化(カタカナの文化とでも言おうか)に頼っているという現実がある。次号は「電話」について記す。
2018.11.24 道具の移り変わりⅥ
子どもの頃、学校の理科の時間に糸電話の実習をしたことを覚えている。これは紙コップ(手製)に穴を開け、そこに糸を通し2~3メートル伸ばした先に同じような紙コップに繋げるという仕組みで、それで片方の生徒が紙コップに口を当て、他方の生徒が耳に紙コップを当てて、送話と受話を交互にするという学習だった。
これこそ電話の基本原理で、それを長距離で通話することを可能にしたのが電話機である。
子どもの頃の記憶で確かではないが、NHKの朝ドラで昭和の戦前のシーンで観ると、電話機は据え付け型の木箱に送話器(現在のマイクロフォン)とダイヤルが前面に、箱の右側面に受話器(現在のイヤフォン)というスタイルであった。
『大辞林』では電話機とは「音声を、電流・電波を媒介に伝送・再生して相互に通話する装置。送話器・受話器・電話線・交換機などからなる」と解説している。
少し時代が下がると黒電話という今の電話の原型が発売?(電電公社との契約)され、わたしの実家では今でもこの黒電話を使っていて、ダイヤルをギーコギーコと回して発信するという、今や骨董品のような存在である。それでも50年近く働き続けているのだから極めてタフである。
いま家にある電話機はプッシュ型でピポッパと指で押すものでFAX機能もあり、子機もついており、おまけに電話番号を記憶できるもので、黒電話に比べ飛躍的に進歩したものだ。それでも、これは2世代型で有線電話の最後を飾る存在であろう。
今は無線の電話の時代で、システム自体が大きく変わって衛星を使うGPS機能を備えた機器になっている。第3世代は俗にガラ携といわれる液晶画面とプッシュホン型のダイヤルがついていて、右手(左利きは左手)一本で操作でき、メールを送ることもができるので、高校生を中心に急速な広がりを見せた。その使いやすさから、第4世代のスマホに移行しても高年齢世代を中心に根強い人気を保っている。
現在は私もスマホ派であるが、この歳になると覚えることが多く正直使いにくい。移行した個人的理由はさておき(2016.6.2 スマホに悪戦苦闘で記載)、若者たちを中心に幼児に至るまでスマホを持ち歩くという社会現象すら起きており、年代を問わず小型のパソコンを持ち歩くような時代に入っていることは間違いない。次回は消えてしまった電化製品について述べる。
2018.11.28 道具の移り変わりⅦ
今回は「消えてしまった電化製品」と銘打って、バブル時代に生まれ今は発売を止めたモノやニッチな製品として愛好家を対象に細々と命を繋いでいるモノについて、私の持っているモノや処分したモノに焦点を当て語ることにする。
特に音響製品やカメラが中心で、コンポーネント(オーディオアンプ、プレイヤー、スピーカ-のセット)はその原型は昔からあたものだが、急激に広まったのはバブル期(昭和30年代後半)のことで、私もどうしても欲しくて買ったものである。金額はピンからキリで私は中級程度のセットを揃えた。レコード(直径30センチほどのベークライト製の円盤)をきれいな音で再現して聞きたかったからである。アンプと言うのは、入力(インプット)された音源を再生し出力(アウトプット)する音声や映像の管制塔のような装置である。それにテープデッキやビデオデッキ(VHSビデオ)と繋げて録音や録画そしてその再生もできるモノだ。これらの機器はオーディオラックという棚に一括して収納されていた。これは私にとって最も贅沢な趣味で金もかかった。
順に個別なモノについて説明すると、先ずレコード盤であるが、前述の円盤に音の記録である溝を切ってあり、これをアームのついた針(ダイヤモンド針)でなぞって、その信号をアンプを通してスピーカーから流すという仕組みである。このレコード盤はエジソンが世界で初めて1877年12月6日(のちの「音の日」)に発明したもので、今から140年余りも前というから、その歴史はとても長い。
それに終止符を打ったのがCD(コンパクトディスク)で、これの特徴は従来の録音がアナログであったものを、デジタルで行ったところが画期的であった。人によっては音質面で柔らかみがないと嫌う向きがあるが、私には聞き分けるほどの耳は無い。そのCDでさえICのチップに集積されるということになり、音の革命は急速に進んでいる。次号に続く。