2018.3.3 親切は日本の文化
神経痛のせいで杖をついて出かけることが多くなった。通院するために出かけるのだが、足としてはバスと地下鉄を使う。改めて気がついたことは日本人の優しさに接することだった₍外国は知らないが₎。バスなどに杖をついて乗車すると、必ず誰かが立って席を譲ってくれる。「いいです、いいです」と断っても、結局厚意に甘えることになる。このことは公共交通機関では当たり前のように行われているようで、日本人のマナーの良さを実感として感じ取って嬉しく思った。
譲り合いとか労(いた)わる心は日本人の心の中に育まれた文化といっても言い過ぎにはならないだろう。それもこれも生活にゆとりが出てきて、周囲にも気配りができる社会システムが整ってきたせいかもしれない。
2020年の東京オリンピックの合言葉は、確か「絆」だと思うが、この言葉は「糸偏に半」と書くが、「これは半分では役に立たないが半分をつなぎ合わせる糸があるので、ひとつ、ふたつと広がりをを見せ、それが大きな結びつきになる」ような意味を持つという話を聞いたことがある。語源辞典には「離れないように繋ぎ止める綱のことで、転じて家族や友人など人と人を離れがたくしている結びつき」とある。
知らない同士がちょっとした思いやりや好意で、周りを温かく清々しい雰囲気に変えてくれる。思い返してみると私が若かった頃は世の中もっとぎすぎすしていた。社会全体に油が行きわたらず摩擦が生じていたのである。丁度60年安保騒動の最中にあった。そういう時代を懐かしむ人もいるが、過去は苦痛の後の快楽のようなもので、現実にそうした苦しみを再び味わいたいと願う人などいやしない。
最初に書いたように今は人を思いやる若者や年を取っても元気な人が増えている。これは素晴らしいことで、このまま進めばきっと2020年の東京オリンピックは、世界中の人たちに絶賛されること請合いである。
反面、とくに高齢者の男性に社会に溶け込めず孤独なまま一生を終わる人も少なくないという現実もある。それは皆が背負う喫緊の課題として重くのしかかっている。「絆」は人と人を繋ぐ綱。そして、日本人の文化である。その綱の拡がりに期待するとしよう。
2018.3.7 拭う・拭く
人の行為に関する考察第2弾は「拭う(ぬぐう)・拭く(ふく)」
この言葉で直ぐに思い当たるのが「汗をぬぐう」であろう。大体からだの中でも顔が主に「ぬぐう」の主役となることが多い。上から順番に行くと「額の汗をぬぐう」、「流れ落ちる涙をぬぐう」、少しだらしないが「水っ鼻をぬぐう」、「よだれをぬぐう」などのように身体から出る液体がその対象となる。
「拭う」は表題にあるように「拭く」と同義語である。どちらを使っても当てはまる。身体の外見から見えるものと内面の見えない部分で使われる場合もある。例えば、「汚点を拭う」とか「不快な印象を拭う」といったような使い方がある。
拭う(ぬぐうと拭く(ふく)は同義語であるが、類語辞典を読むと、「拭く」の類語に分類されている。実例をあげると、どちらかというと道具として使われることが多いようで、「手拭き」、「汗拭き」、「日本手拭い」、「手拭い」、「足拭き」、「足拭い」などが見つかる。
こうして見てくると、ちょっとしたしぐさの中に「拭う(ぬぐう)・拭く(ふく)」という言葉が出てくるのが分かる。この言葉は文法上は「動詞」に分類される。ここで使われる動詞は「主体動作動詞と呼ばれ主体の動作をとらえている動詞に属し、一般に終止形語尾がウ段の音で終わる」とされている。
なぜ今回「拭う」を選んだかというと、この季節に関連して「花粉症」に悩まされ、眼から涙は出るは、鼻水は絶え間なく出るはでということが、今回のテーマになったという経緯がある。
2018.3.10 掃く 履く
行為を表す言葉第三弾は「はく」を訓読みの中から二つ、同音異義語で「掃くと履く」を選んでみた。
まず最初に「掃く」という言葉を観察すると、掃除するに代表されるように「塵やごみを片付ける」ことで、大辞林では「 ほうき・刷毛(はけ)などで表面をさっとなでるようにして,塵(ちり)などを除く。また,掃除をする」とある。箒や刷毛などの道具が必要である。それ以外の表現としては「掃き溜めに鶴」や「 掃いて捨てるほど」などがあげられる。平昌オリンピックで活躍したカーリングもストーンの直前の氷をこすって掃いていたのが印象に残る。英語でbrush (ブラッシュ)も「さっと塗る」ということで「眉を掃く」などという使い方もある。
同じ同音の「履く」は、「はきもの。くつ」の意味があり、「草履 (ぞうり) ・木履 (ぽくり・ぽっくり) 」という使われ方があると思えば、またこの履くは「穿く・佩く・着く」と同義語で使い方で分けられている。一つ例を上げるなら「「太刀を佩く」は刀を腰にさすことである。全然意味の違う使われ方として、履歴書の「履」とはどういう意味なのだろうか。漢和辞典(学研:漢字源)で調べてみた。それによると①足で踏む②約束を行う「履行・履歴」などが上げられ、語源は人が足で道を踏み歩く意を示す。そこから人が歩んだ道筋を示す言葉としても使われている。
このように人も行為を表す言葉は沢山あって、それをテーマにすれば話のタネは尽きないような気がする。ただ面白さには欠けるとは承知している。千夜一夜物語を維持するにはこれも手法の一つと察して容認して頂きたい。どうしても引用が多い文章はオリジナリティーが出せないものである、これもわが身の浅学菲才のなせる業と自戒している。
2018.3.14 未読の山
仕事がら私にはかなりの蔵書がある。辞典・事典類を除けば、物書きに欠かせない情報源となる単行本が多い。これらは個別のテーマでコラムを書くときに拾い読みしたもので、ほとんど通読すらしていない。こうした本は本立てに収まるものは、その居場所を得るが、その他は平済みで部屋を占拠している有様だ。女房には日ごろ「何とか始末して」と言われている。
こうした書籍は読みかけで、表題にあるように未読の状態であるので、処分するわけにいかないし、その積もりもない。いつか読もうと時々思いついたようにページをめくるが、読み切れない。その中途半端な状況に置かれた本が山をなすのである。
小説のように読み始めたらやめられない本は、とっくに時間の無駄になるので読まないことにしている。ということは、ここに平積みされている本は何らかの専門性を持っている。日本の習慣や文化・歴史などを知る本は一気読みするほどの面白さがあるわけでもなく、難解なものも多い。
例えば古典の徒然草や枕草子、方丈記などをまとめた一巻本などは全く手つかずの状態で書棚の中で眠っている。禅に関する書籍が他にもまとめて沢山あるが、「現成公案の巻」でも紹介したように、難解で数ページ読んだだけで根気が尽きてしまう。未読の山を制覇するには一にも二にも根気と辛抱が必要だ。
これは当たり前の話なのだろうが、読みさしの本は元に戻って読んでも、それまでが記憶に鮮明に残っている筈もなく(それほど優れた脳をもっているわけがないので)ブックマークを付けてあっても、読み返しをしないと筋道を見誤ってしまうことがしばしばある。
こんな苦労をしても、投資したものを少しでも取り返そうと未読の山を崩すことが当面の課題になっている。
2018.3.17 モチベーション
「風が吹けば桶屋が儲かる」という古いたとえがある。このたとえは因果関係をたどっていくのが筋道になっている。
これは何か行動を起こす時に通じる話である。そのことをモチベーションという。私の仕事を支えているのはモチベーションで、それなしには成り立たない。
固い表現をするなら「行動規範」のようなものがあって、それに準じて仕事をさばいていく。多くシリーズ化されているものは、内容の出来不出来でモチベーションが高いか低いか、結果で見ることができる。
私の仕事の中でもモチベーションを必要とするのは、今書いているコラムである。テーマを決める時は冒頭しめした古いたとえのように「風」から始める。奇しくも私のHPのサブタイトル「風を楽しむ」に一致する。仕事の動機づけになるとは、当初予想だにしなかったことだ。
私に限らず、現に今仕事に励んでいる人にはとくにこのモチベーションが要求される。
あるHPのコラムに次のような記事が掲載されていた。要約すると、「今の日本には高度成長期などのように誰もが目指す絶対的な価値観が存在していない。そのため、どこを目指して良いかわからずにモチベーションが上がらないという人が沢山いる。つまり、我々はモチベーションが下がりやすい時代に生きているのだ」と。
ここに書かれているように今の時代は、これといった目標もなく、結果も見えにくいといったモチベーションの阻害要因が多すぎる。だからといって誰もがそういうわけではなく、自分でアイデアを出し起業して成功している例はざらにある。どんな職場にいようともアイデアを出し合えば、変化が生まれる。このアイデアを出し合える雰囲気を企業が盛り立てているかが、社員のモチベーションに大きく関わってくる。
アイデアは「風」を起こすというところから始まると私は考える。
2018.3.21 刺激
食卓に欠かせない香辛料。餃子にラー油。ざるそばに七味唐辛子。シュウマイにからし。うな丼にさんしょ。といったようにそれがないと何か物足りない。味がピリッと引きしまる。その「ピリッ」が刺激である。身体に何らかの興奮を引き起こす現象のことを刺激というのが生理学的見解だ。
また目に強い光を当てると一瞬周りが見えなくなることがある。これは外部からの働きかけが感覚に反応を起こさせるのも刺激である。これは感覚のみならず、勝負事をするときなどに身体の中にアドレナリンが放出されて一種の興奮状態になることも心に対する刺激ということができる。
このように私たちは何らかの刺激を受けたり、求めたりして毎日の生活の味わいを変えている。
刺激のない生活を考えたことはあるだろうか。刺激とは身体の五感に作用してちょっとした変化を起こさせることである。必要不可欠とは言わないが、それ無くしては無味乾燥な生活になってしまう。
刺激を求めるのは、生活をしていく上では人によっては活性化の働きもする。その代表がアルコールとニコチンである。私には無縁な存在だが、人によっては毎日欠かすことのできない常用性がある。これも度が過ぎると中毒になり、身体を痛めつけることになる。過度の刺激を与え続けることは人に害を及ぼすことになる。
私にとって大切な刺激とは、頭のリフレッシュである。そのためには散歩をかねて出かけることである。今はまだ体が復調していないので、1時間(約3000歩少々)が限界で、新しい場所への取材に出かけるのは難しい状況だ。それでも外の空気に触れると、物書きに必要な気分転換になる。刺激とは人の行動の誘因となるギアを一段上げるのに役立ってくれる。
2018.3.24 香辛料(1)
前回香辛料について触れたので、今回はこうした薬味について少し詳しく調べてみた。(wikipedia調べ)
個人的によく使っているものから始める。コショウ(胡椒)であるが、その歴史は古く、古代からインド地方の主要な輸出品だった。紀元前4世紀の初め頃にはその研究をした書物も出ており、古くから使われていたことが分かる。
それが中国にわたり西方から伝来した香辛料という意味で、胡椒と呼ばれた。日本には中国から伝来し、そのため日本でもコショウ(胡椒)と呼ばれる。 天平勝宝8年(756)、聖武天皇の77日忌にその遺品が東大寺に献納されたという記録がある。
今では何と4種類もある。それは収穫の時期と製法に関係している。
第一に黒胡椒(ブラックペッパー)は、胡椒の木から取れた完全に熟す前の緑色の実を長時間かけて乾燥させ黒色に変色させたもので、世界中どこの食卓にも塩と並べておかれているとといわれるほど使われている。私はパスタにふりかけるが、牛肉との相性がいいと言われている。
第二は白胡椒(ホワイトペッパー)。これは赤色に完熟してから収穫した後、乾燥させた後に水に漬けて外皮を柔らかくして剥ぐと白色の実が出てくる。そこからホワイトペッパーという名の由来がある。ブラックペッパーより風味が弱く魚料理と相性が良いという。これは世界標準で日本では魚料理は極めて幅広いから、焼いても、揚げても私は醤油派である。
それはどうでもいいことで、先を急いで第三の青胡椒(グリーンペッパー)は完全に熟す前の実で収穫するが、ブラックペッパーと異なり塩漬けまたは短期間で乾燥したもの。青胡椒と呼ばれるが、実の色は緑である。「爽やかな特徴のある辛み」があり、肉料理や魚料理との相性が良いとされるいるが、私はついぞお目にかかったことはない。
第四は赤胡椒これも調べて初めて知ったもので、赤色に完熟してから収穫するが、ホワイトペッパーとは異なり外皮をはがさずにそのまま使用する。ペルーなど南アメリカの料理で使用されることが多く、マイルドな風味であり、また色合いもよい。別名は『ピンクペッパー』と呼ばれる。赤胡椒を直訳すると『レッドペッパー』であるが、これは唐辛子のことをさす。ということで、紙数が尽きた。次回は唐辛子をベースにした香辛料について調べてみる。
2018.3.28 香辛料(2)
香辛料2回目は唐辛子を鳥上げる。家庭でもソバやトン汁などの汁物には欠かせない薬味で七味唐辛子の名で親しまれている。そのルーツや使われ方などを調べてみた。図鑑によれば「唐辛子、唐芥子(とうがらし)、蕃椒(バンショウ)は、中南米を原産とする、ナス科トウガラシ属 の果実あるいは、それから作られる辛味のある香辛料である」と記載されている(以下wikipediaより要約)。
そのルーツは唐の名があることから分かるように「唐から伝わった辛子の意味であるが、歴史的に、この「唐」は漠然と「外国」を指す語とされる。同様に南蛮辛子(なんばんがらし)、それを略した南蛮という呼び方もある。唐辛子の総称として鷹の爪を使う者もいるが、正確には「鷹の爪」はトウガラシ種の1品種である」
唐辛子は英語ではカプシカム・ペッパー (Capsicum pepper)、レッド・ペッパー、チリ・ペッパーなどと呼ばれる。その由来として次のようなエピソードがある。「胡椒とは関係が無いにも関わらずペッパーと呼ばれている理由は、ヨーロッパに唐辛子を伝来させたクリストファー・コロンブスがインドと勘違いしてアメリカ大陸に到達した際、唐辛子をインドで栽培されている胡椒の一種と見なしたためである。それ以来、トウガラシ属の実は全てかぎ『ペッパー』と呼ばれるようになった」という話である。
その用途であるが、胡椒などの他の香辛料と同様に料理に辛みをつけるために使われる。また、健胃薬、凍瘡・凍傷の治療、育毛など薬としても利用される。
使われ方はその猛烈な辛さから好き嫌いがあり、それは唐辛子の辛味成分がカプサイシン類ということで。この辛さは刺激が強く人により好みがある。粘膜を傷つけるため、適量を超えて過剰に摂取すれば胃腸等に問題を起こすこともあるそうである。
七味唐辛子というのは、名の通り七種類の調合である。老舗の調合では、唐辛子のほか山椒(さんしょう)、麻の実(おのみ)、黒胡麻(くろごま)が共通し、けしの実、青のり 、生姜(しょうが)などに違いがある。一方、唐辛子のみの調味料は、一味唐辛子(いちみ-)という。
私が薬味として使うのは七味であるが、その辛さで口の中が燃えるような感じを受ける時は悲鳴を上げることになる。