2018.4.1 香辛料(3)
今回は香辛料第3回。カラシとは言っても西洋のカラシ「マスタード」を取り上げる。
これなども日常の食卓に欠かせない。すぐ思いつくのが「おでん」や「シュウマイ」などだが、まだいくらでもでてきそうだ。そこでまた詳しく調べることにする(wikipedia)。
マスタードの語源は、ラテン語のムスツム・アルデンス(Mustum ardens=燃えさかる新ぶどう汁のこと)に由来すると言われている。 マスタードの種子をすりつぶし、これに発酵中または発酵前の新ぶどう汁か酢を加えて練りあげたからしの名がそのままマスタードという名で使われるようになったという。
マスタードというと黄色の練り状のものを想像するが、白からし、和からし、黒からしといった種類があり、見た目や風味が異なる。 どの品種もホールの種子や粉末の状態だと辛みはほとんど感じられない。和からしや黒からしでは、辛みのもととなる"シニグリン"という成分、白からしは"シナルビン"という成分を持っている。これらを水やぬるま湯で練ると、共存しているミロシナーゼという酵素が働き、分解されて、シニグリンはアリル芥子油、シナルビンはベンジル芥子油という辛み成分を生じる。こうしてはじめて、マスタード特有の辛みが感じられるようになるのである。
我が家にはチューブ入りの和がらしと瓶入りのマイルドなマスタードがある。チューブ入りのものはおでんなどに使い刺激的な辛みを感じさせる。瓶入りはホットドッグに使いマイルドな辛みになる。
マスタードに合う料理というと、マリネ、ピクルス、カレー、からし漬け、おでん、サンドイッチなど様々な形態で使われている。
パウダータイプは、使用する直前に、水またはぬるま湯で練ってペースト状にして使われることが多い。粉のまま、からし漬けや汁物にも利用される。 日本でよく使われるペーストタイプは、主に「和風ねりからし」「ねりからし」「マスタード」の3タイプに分けられ、使用するマスタードの種類によって辛さや風味が異なる。
おでん、納豆、揚げ物、しゅうまい、ホットドッグ、サンドイッチなどのほか、脂けの強い肉の味やこってりした味を引き締めてくれるので、とんかつやカツレツのほか、パン粉焼きや肉のソテーにも活躍する。特に辛みがマイルドなタイプの粒入りマスタードは、炒め物やパスタに加えると、豊かな味わいになるそうである。
2018.4.4 香辛料(4)
香辛料第4回目はガーリック、大蒜(ニンニク)のこと。朝鮮ではキムチ他の料理を作るのに欠かせない民族的香辛料だが、日本でもステーキなどに細かく刻んでカリカリに焼いて振りかけて食すると一味美味しさが増す。中国伝来の餃子は独特の味を出す食物として「宇都宮の餃子」などといって名物になっているぐらい好まれている。これなどもニンニクが主成分だ。
私のHPでもお馴染みの生物百様でも使っている植物図鑑で調べると「ガーリック (ニンニク)(蒜、大蒜、葫、忍辱、英名:garlic)はヒガンバナ科ネギ属の多年草で、球根(鱗茎)を香辛料として用いる」とある。
ニンニクのレシピであるが、餃子の他にも盛沢山である。私が好きなスパゲッティなどの中で、ペペロンチーノ、ボンゴレビアンコ、ナポリタンなどすべてにニンニクが使われている。その使われ方の代表例(ナポリタン4人分)を上げると次のようになる(HP cook padから)「スパゲティ乾麺400g、ピーマン2個、玉葱1/2個、ベーコン4枚、ニンニク 2カケ(正確な分量ではなくて目安で、親指の先ぐらいの大きさで1片、重さだと10g~15g程度)、オリーブオイル 大匙2、クレイジーソルト 適量、ケチャップ大匙5」で調理は「パスタを茹でるお湯を沸かしている間に、具材を切って、パスタを茹でいる間に具材を炒めて茹で上がったらすぐ出来る」とある。実に簡単で身近なランチ向きである。我が家でも週1回はパスタが食膳に供せられる。
ニンニクは独特な匂いが残る。それが嫌で敬遠する人もいるぐらいだ。最近は無臭ニンニクというのも出ているようだが、せっかく味に旨味が加わるのに食べないというのももったいない話ではある。翌日に匂いを残さない特別な手はないようだが、牛乳や紅茶、マテ茶そして水といった水分を多く摂るのがベストだと言われている。
次回は香辛料から連想される「調味料」を取り上げてみたい。
2018.4.7 調味料(1)
味噌・醤油・酢それに塩・砂糖などの調味料は毎日の料理に欠かせない必須のものであることは言うまでもない。今回はこうした調味料を取り上げることにする。
まず最初は醤油。自分の食卓での使い方を思い浮かべてみると、いろいろに使われている。私は食べる方専門で調理はしない。そこでその立場から上げていく。先ず朝食。白い温かいご飯に卵で溶いた納豆を乗せ、醤油をかけて掻っ込む。得も言えぬ食感と味が口中に広がる。これだけで充分である。納豆には醤油は欠かせない。似たようなメニューに卵かけご飯がある。これも温かいご飯に生卵を一個割って落とし、箸でかき回し、よく行きわたったところで適量の醤油をかけて食べる。これも堪らない味わいがある。これらは庶民の食文化を象徴するものと言ってもいいだろう。卵の食べ方として目玉焼きは日本では味付けに醤油を少々かけると美味しく食べられる。
夕食のおかずから醤油を使うものを選ぶと、焼き魚に大根おろし・餃子にラー油・刺身にワサビといったセットのものが上げられる。
何にでも合う醤油であるが、そのルーツは「 日本における最古の歴史は弥生時代とされている」とあるから、その歴史の始まりは原始時代には存在したようだ。今の醤油の発祥は中国で、 5世紀頃の黒豆を用いた醤(ジャン)の作り方が日本に伝来したことに始まるとなっている。 923年(延長元年)公布の『延喜式』には大豆3石から醤1石5斗が得られることが記されている。ここで醤( ひしおと読む)というのは 原料に応じて細分される。中でも穀物を原料としたものは穀醤という。日本の味噌は大豆を原料とするので穀醤であり、 そこから発展した液状のものが日本の醤油のルーツということになる。その後日本独自の発展をしており、wikipediaによれば「 現在の醤油は明治時代の中期に完成を見た。大豆、小麦、塩を原料とし、麹菌、乳酸菌、酵母による複雑な発酵過程を経て生成され、その過程でアルコールやバニリン等の香気成分による香り、大豆由来のアミノ酸によるうまみ、同じく大豆由来のメチオノールによる消臭作用と、小麦由来の糖による甘みを持つ」と記されている。
そういう長い歴史の末、私が前段で紹介したような日本の食文化の基本となる調味料になったのである。
2018.4.10 調味料(2)
調味料の2回目は味噌。私はかつて歴史のある味噌づくりの蔵を訪ねたことがある。そこで江戸時代から伝わると言われている縦横3メートル近い巨大な木の樽の中で醸造している現場を見せてもらったのだが、その樽に染み付いた麹が代々長きにわたって守られ、そこから美味しい味噌が誕生するのだと説明を受けたことを思い出す。そこで頂いた味噌は特別美味しかった。
前回醤油の起源のところでも説明したように、味噌󠄀の起源は、古代中国の大豆塩蔵食品の「醤(しょう・ひしお)」だと言われてる。醤になる前の熟成途中のものがとてもおいしかったので、これが独立し味噌󠄀という食品に発展したそうで、このことから、未だ醤にならざるもの、すなわち「未醤(みしょう)」と名付けられ、みしょう→みしょ→みそと変化したというもっともらしい由来がある。
味噌を使った料理は改めて説明の必要もないことだが、調味料と言うかそれ自体が主役である場合が多い。いい例が味噌汁で、私は毎日1回は食している。中の具は日によって違うが、どれも汁を味わうという感じが強い。
それだけ親しい食品だけに、何かにつけて喩えられることが多いのも一つの特徴。例を上げると、「手前味噌」自分で自分のことをほめること。自慢。「味噌をつける」失敗して評判を落とす。面目を失う。「味噌も糞も一緒」良いものも悪いものも価値のあるものも無いものも一緒くたに扱うこと。「みそっかす」味噌っ滓。みそをこした後のかす。子供の遊び仲間にも一人前に扱ってもらえない、小さい子供のことをいう。「みそっ歯」幼児の乳歯が欠けて黒色や茶色になっている状態のこと。「そこがミソ」自慢できる点や、工夫趣向を凝らして点、押さえておきたい点が味噌と同じ。
自分の記憶にある喩だけでも、こんなにあった。このこと一つをとっても、いかに味噌が古くから日本人の食文化を支えてきたかがよく分かる。
2018.4.14 調味料(3)
のっけから食いっ気の話で恐縮だが、酢と言えば「何と言っても寿司でしょう」。無論いろいろな料理の調味料として使われていることは先刻ご存じのことと思うが、酢は酸性かアルカリ性かという話になると、これは大方の予想とは違い、アルカリ性食品に属しているのだそうだ。ここは聞きかじりで、よくは分からないが、口に入るときは酸っぱいから酸性なのだそうだ、それが腹の中に入ると、どうなるかというと「酢酸等の有機酸は分解されて酸度を失い、代わりにカルシウム、ナトリウム、カリウム等のアルカリ度が高いミネラルが残る。そこで、ややこしい事に『お酢はアルカリ性食品』と分類されるんですね」という話だから驚きもんだ。
どうもこれで酢は体にいいから人気が高いのかもしれない。悪口は聞かれない。ではどんな効用があるのだろう。結構出てくる「 唾液や胃液の分泌を促し、食欲を増進させる」とか「 腸の悪玉菌の増殖を抑えて腸内環境を整える」とか「 お酢は肌にも良いと美容効果も期待される」さらに「酢酸がクエン酸に変換! 疲労回復効果 - 骨の強化にも!」と!マークまで飛び出してくる始末である。
さて、酢という字は酉(とり)偏である。それに似ているのが酒で、これはサンズイに酉と書く。何か共通点がありそうだ。
そこで早速ネットで検索すると、見つかった「 米を蒸して米麹と水を加えると、麹菌の働きで、糖化もろみができるので、これに酵母を加えると酒の状態になる。この後、酢酸発酵すると酢(純米酢)になる。 酢は、糖化発酵、アルコール発酵、酢酸発酵の三段階を経て作られる。 アルコールを原料とする場合は、最後の酢酸発酵だけが行われる」 とある。
アルコールという共通項で酢と酒は結び付いていることが分かる。違うところは酢はアルコールには戻らないが、アルコールは酢になるという成長過程のような関係が見えてくる。
調味料としてどんな料理に使われるかは字数の関係で、読者の知識に任せることにして、今回はお開きにする。次回は塩と砂糖について考えてみたい。
2018.4.17 調味料(4)
今回は調理には欠かせない2つの調味料「塩と砂糖」について考察してみた。
ほとんどの料理に塩は使われている。最近は減塩と言ってなるべく減らす傾向にあるが、これは高血圧対策と言われ、平成25年の調べでは 日本人の成人の塩分摂取量は1日平均10.2g(男性11.1g、女性9.4g)となっている。これに対して、日本人の摂取目安量を定めた、「日本人の食事摂取基準(2015年版)」では、男性1日8.0g未満、女性7.0g未満を目標と定めているので、2gから3gほどオーバーしているということになる。だからどうだということではないと思う。他の国と比べると多少摂り過ぎというのが実態らしい。
私は糖尿病で糖分は厳しく制限されているが、血圧は極めて正常である。だから塩分は気にしない。
一方、砂糖については大の甘党であることには変わりなく、制限されていてもつい甘いものに手が出るのは仕方がない。チョコレートやカリントウ、あんドーナツはおやつに欠かせない。最近は年齢が年齢なので血糖値は測らないが、また悪い数字が出ていることだろう。
さて塩は辛い。砂糖は甘い。童謡にも「あっちの水は辛いぞ、こっちの水は甘いぞ・・・」という一節を覚えている。
これらの違いであるが、塩は岩塩や海の水を精製して作られるミネラル(無機物)であり、砂糖はサトウキビなどの植物から作られる糖質(有機物)という違いがある。
両者を歴史で比べると「塩は 日本の食事では旨みの調節は塩で行っていた。塩は旨さの代表であると共にミネラルだから人体の健康維持に不可欠な食品であった。日本人は穀物を主食とした食生活を行っているから、塩がないと健康維持ができない」とその重要性が述べられている。
一方、砂糖と言えば「 砂糖の歴史は実は比較的新しく、産業革命以後のことである。もともと砂糖は贅沢な食品だったから、裕福な国の裕福な人々が食べ始めたものであるため、かつては砂糖の消費量は文明のバロメーターと言われていた。ところが、誰の口にも入るようになると、 砂糖の消費量が多くなり、その逆に穀物の消費量が少なくなってきて、砂糖は危険な食品に姿を変え、砂糖が人体に害を及ぼすことが多くなった」というように、童謡とは違い塩は善いもの、砂糖は悪者扱いされるようになってしまった。これは私のように甘党にとって耳の痛い話ではある。
2018.4.21 粗食に耐えるYes or No
私が今研究している「禅」においては、厳しい食のルールがある。典主(てんぞ)といって食事の管理者(管理栄養士のような存在)がいるくらいに重きを置いている。一汁一菜と言われている厳しい粗食の中でどう栄養を保持していくかが彼らの職務である。僧侶が健康なのは日々の修行もさることながら、どのような食事を摂っているかが注目される。
自分がそのようなメニューで満足できるかというと、全く自信はない。
そこでどうすれば粗食に耐えられるか、もっとも我が家では、かみさんがすべてを管理しているので、それほど騒ぐほど粗食になることはまずない。
一般論として粗食に耐えられるか参考までに、「粗食のすすめ(幕内 秀夫 )」の知恵を拝借することにした。この本は中々説得力があるので、そのくだりを要約して紹介することにした。「日本人の食事に米が減り、肉や牛乳、乳製品、魚、野菜、海藻、油脂などが多く摂られるようになった。果たしてその結果日本人は健康になったのだろうか。その答えはノーと言わざるを得ない。
今の子どもたちは、生まれた時から『豊かな食生活』で育っている。その結果アトピー性皮膚炎の急増、虫歯の急増、歯並びのまともな子どもを探すのは困難な状況になっている。まさに、ご飯を食べなくなり、先述の高タンパク質の食物の過剰摂取の結果なのである。はたして、これが豊かな食生活と言えるのだろうか」という疑問を投げかけ「そろそろ食の問題を考え直す時期ではないだろうか」
そして、「今こそ『粗食』に帰るべき時なのである」としている。
では粗食とはどう定義づけられるのであろうか。「粗食のすすめ」では現代の食生活は大きな問題点を抱えているとして、次の三点を上げている。
1.米を食べなくなった日本人
2.食生活が欧米化した日本人
3.栄養素にこだわりすぎる日本人
煎じ詰めると、粗食が健康維持に適していることは、明治生まれの人が長生きだったように日本人の食生活の原点に回帰することをヒントにして、食生活を変えていくということだと理解した。
2018.4.26 すたれる
今回このコラムに合わせて「すたれる」と題して、シャッター商店街の代表的な姿を描写したが、こうした社会現象は今日に始まった話ではない。その背景には色々な事情があることだろう。単純に類推してみても、後継者がいないか、不安定な経営内容なので継ぎたがらないで他の職についてしまう。建物の老朽化で廃業する。中でも最大の要因は、商店街への客離れ現象。これはスーパーや廉価な大型商業施設の進出。インターネット販売(amazonや楽天市場)の浸透。そして旧態然とした販売方法(対面販売が悪いわけではない)による非効率化の弊害などなどが頭に浮かぶ。
それを象徴するのが今回のマイペインティングで描いた衰退していく商店街の姿である。それではどこの商店街もすたれていく方向にあるのだろうか。決してそうではない。私が随時紹介している商店街訪問は賑わいの絶えない街である。
そこに共通するのは客を引き付ける何かがある。天王町近くの松原商店街は天王様と呼ばれる「橘樹神社(たちばな)」の存在が大きい。ただ安くて新鮮な魚屋さんの存在だけではない。古くからある門前市の名残がある。同様に弘明寺商店街には「弘明寺観音」があり、横浜橋商店街には「金毘羅大鳥神社」が控えている。これらは金運を呼ぶご利益がある寺社のお蔭であろう。一方で、「六角橋商店街」は学生街で神奈川大学の道筋にある商店街で、お茶の水学生街の小型版とでも言えよう。
こうして見てくると地域の商店街が生き抜いていくためには、そこに魅力がなければならない。街を歩くことにわくわく感をもたらす気分的な雰囲気をもたせることに魅力が生まれる。新たに生き残りを賭ける地域商店街には、今あちこちの町で行われている「町おこし運動」という知恵の結晶が結実しなければ、町は繁栄を取り戻せないだろう。
そのためにはどうしても若い商店主たちが揃わないと、街にエネルギーを生み出すことはできないと考える。スムーズな世代交代が望まれる。
2018.4.29 タトゥーといれずみ(刺青)
私は野球好きで大のベイスターファンである。MLB(メジャーリーグ)も大谷や田中、ダルビッシュなどの日本人も多いのでよく視る。そこで気が付くのが、メジャーリーガーで東洋人以外の選手は殆ど腕にタトゥーを入れている。日本に来ている外国人元大リーガーも同様である。
MLBに渡った日本人大リーガー、たとえば長く大リーグ生活を送るイチロウやそのほかの選手がタトゥーを入れたという話は聞かないし、見たことはない。当然日本本土の日本人野球選手も同じである。
これは日本人のタトゥーに関する認識の違いにあるのかもしれない。日本ではタトゥーをいれずみ(刺青:入れ墨)といって古い歴史がある。ただ彫り物を入れる人種が極道(または任侠)の世界に住む者 に多く(一部の職人の世界も含む)。筋ものと呼ばれ特別視されている歴史がある。クリカラモノモンとか登龍、緋牡丹など芸術的でさえある。北町奉行遠山金四郎のセリフ 「この桜吹雪にまさか見覚えがねーとはいわせねー」はあまりにも有名である。これも奉行になる前の放蕩生活の名残の「あだ桜」とでも言えよう。
それに比べタトゥーは、私の見る限り日本ほどの歴史はないようだ。古い洋画を見ても彫り物をした役者の覚えがない。
思うにベトナム戦争がタトゥーに大きな関わりがあるようで、戦場で命を落とすことが多くなり、認識票もどこかに飛んで行ってしまい本人確認ができない時に、肉体の一部に恋人の名前を入れたり、独特な記号を入れたりしたことが広がりの始めと類推できる。
これは日本のように精巧で緻密な芸術的彫り物ではなく、一種の記号とでも考えていい。それが彼らにとっての戦後、国内でも広まり、誰でも彫り物を入れるのが当たり前の世界になったようである。
そのイージーさが日本の一部の若者にも蔓延し、若者の腕にタトゥーを見るのも珍しくなくなった。
こうしてみるとタトゥーといれずみとではその背景が違い、伝統的いれずみが姿を消し、陳腐なタトゥーが流行るという、逆輸入の現象を見るのも時代の流れであろうか。