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2018.9.3 しめなわ(注連縄)
 子どもの頃、家に神棚があった。そこに綱が張ってあって、ひらひらとした白い紙がぶら下がっていたことを覚えている。これは相撲の横綱のまわしにも見られる。さらに神社に行けば神殿の入り口にはかならず張ってある。これは『しめなわ(注連縄)』といって、神道には欠かせないツールのようだ。
 それにしても注連縄を何んで『しめなわ』と読むのだろう。そしてあの白いひらひらした紙は何なのだろう。興味があるのでその由来と、それがどういう位置づけにあるのか調べてみた。(主にWikipediaを参考にした)
 先ず『しめなわ』とは、神道における神祭具で、糸の字の象形を成す紙垂(しで)をつけた縄をさす。
 その語源はと調べると『しめなわ』を簡略化してまとめると「縄張りを侵す、縄張り争いなどと云われるように 一本の縄が境界を示し、占有の印、立入禁止のしるしを表す」とある。
 平凡社「世界大百科事典」の説明では「神域など神聖な場所を限って不浄悪穢(ふじょうあくあい)の侵入を防ぐ縄。標縄、七五三縄とも書く。
 《万葉集》の歌にも、一定の区域を占有・隔離する意味でシメという言葉がすでに用いられており、 〈標〉のほかに〈印〉〈縄〉などの文字が当てられている。
 シメは占め〈占有〉の印であり、印があることによって占有の状態を示したものである。
 神域に張られたしめ縄は、いわば神の結界占地〈けっかいせんち〉を標示するものとなっている。
 民俗のレベルにおいても新年に村境や門口に張ったり、神社や神木、磐座(いわくら:神の依り代<よりしろ>とされた岩石)などに 張るなど、しめ縄の登場することは多いが、いずれの場合も何らかの意味で内と外を区別するものである」としている。
 次に『しめなわ』にぶら下がっている白い紙であるが、これにも意味がある。白い紙は「紙垂(しで)」といって、特殊な断ち方をして折った紙である。古くは木綿(ゆう)を用いていたが、現在では紙(通常は奉書紙・美濃紙・半紙)を用いるのが一般的である。 豊作を祈願する意味で「落雷があると稲が育ち豊作とされており、その形状は、雷光・稲妻をイメージし、邪悪なものを追い払う」ものとされている。
 『しめなわ』の、巻き方・形状・場所・時期などによって違うのだが省略させていただく。
 
2018.9.7 漢方薬と秋の七草 
 私がクリニックの内科医から処方された薬の中に漢方薬がある。
 このように西洋医学の専門医が漢方薬を処方してくれると、何か奇異に感じる。つい最近まで西洋医学と東洋医学とは対立することが多かった。国の制度を見ても漢方薬の殆どは保険の適用が認められていない。薬の成分を比較すると、科学的処方をするのが西洋医学で即効性が特徴である。これに対し、自然の成分を処方するのが漢方で持続性が特徴である。
 今回は見出しのように漢方薬それも秋の季節代表的草木を取り上げてみた。
 ここで取り上げる「秋の七草」は、観賞を目的として選ばれた秋の草花である。
 秋の七草は"七草粥"に代表される春の七草とは異なり、漢方薬として使われることが特徴である。
 万葉集で山上憶良がこう歌っている「萩の花 尾花葛花 なでしこの花 女郎花 また藤袴朝がほの花」はぎ・おばな(すすき)・くず・なでしこ・おみなえし・ふじばかま・あさがお(ききょう)の七種類である。
 この七草が昔から漢方薬としても利用されてきたことはあまり知られていない。
 現在でも使われているかは実は不明であるが、つぎのような薬効があると言われている。
はぎ;根の部分が咳止め、去痰、胃の痛み、下痢などに用いられる。すすき;根茎を利尿薬として用いる。くず;根は風邪薬で有名な葛根湯(かっこんとう)として利用。風邪のほか肩こりや神経痛などにも。なでしこ;全草、種を利用。むくみや高血圧に。おみなえし;根に消炎、排膿作用がある。ふじばかま;全草利用。糖尿病、体のかゆみ。ききょう;根は咳止め、去痰薬、のどの痛みに」とある。
 七草すべてにこんな薬効があるとはちょっと驚きだ。
 ついこの間のテレビで薬の副作用というのを特集していた。それによれば、高齢者の多くが複数の薬の世話になっている。多い人は10種類を超えるという(私もその一人)。そこで心配されるのが、薬の副作用で、それが原因で入院する人がいるとも報じていた。
 これは自己責任の範囲だが、薬手帳を一つにまとめないで、かかっている医者ごとに提示することで副作用が起きるのだそうだ。一冊に纏めてあれば、どんなに多くの薬が処方されていても、薬剤師が適切な判断をして、調剤してくれるので、副作用の心配はない。
 最初に述べたように、西洋医学の特徴は対症療法である。これに対し東洋医学(漢方)は即効性は無いが「身体が本来持っている自然治癒力を引き出し、症状を改善する医学だ。検査をしても原因がはっきりしないが、体調不良や症状が続く場合などには、漢方薬の効果が期待できる(biz-journal)」と効果が出るのに時間がかかる。
 よく昔から「医者の薬も匙加減」といわれるように、専門医に相談して上手に漢方薬を使うのも効果のある処方であるといえよう。

2018.9.9 病膏肓に入る
 『やまいこうこうにいる」と読む。これは「何かに熱中して抜け出せなくなる」という古い喩えである。私の野球好きはどうやらこの域に達しているようだ。
 今日(9月8日)などはその典型例で、朝9時から始まったMLBで大谷選手の活躍を見る。期待に応えて日本人の新人記録となる19号の本塁打を放った。毎回期待に応えるビックリ箱のように何らかの記録を示してくれる。テレビ(BS1)を視ていて、子どもから年寄りまで満遍なく人気があることは、いろいろなコメントが寄せられるところからも読み取れる。
 11時からは同じMLBのヤンキース戦田中マー君が11勝目をかけて好投を続けている(8回を終わって無失点。ここでお役御免)。今書きながら観戦している所だが、14時からは伝統の巨人阪神戦が行われている。これも2~3位をかけて熱戦が繰り広げらる筈である。
 そして最後のお楽しみは、横浜Denaベイスターズ戦の鑑賞で、18:00時から始まる。今ベイは5位と低迷しているが、ここ2戦ほどは連勝しており、打線が好調なので今日も期待はしている。先発の今永が今一勝ち星に恵まれていないのが懸念材料ではある。筒香とヤクルトの山田とバレンティンのホームラン争いにも興味がある。
 この試合は22時ごろまで続くはずで、延長戦も予感されるので、もっと遅くなるかも知れない。
 こうして今日は極端な例になるかもしれないが、野球ファンの私にとって至福の時となるだろう。
 ベイスターズが残る試合を一つづ勝ち抜いていく覚悟で臨んで欲しい。特にピッチャーのエラーとも言われる先頭打者への四球と、安の守備エラーをゼロにするぐらいの戦いぶりを展開することに期待する。
 今回はリアルタイムの記事を書くという初めての試みをさせてもらった。

2018.9.12 仮名遣い(1)
 文字を綴ることは、このHPの生命線である。私の場合文章作成はパソコンのローマ字入力(手書きなら間違える表記も正してくれる)で行う。ここで間違えやすいのがDとZの使い分けで、両方とも音で発音するとづ(du)とず(zu)で、一例を示すと音は同じであるが表記の違う「続き(tuduki)」と都築(tuzuki)」のようにDとZの使い方が間違えやすい表記である。今回のテーマ仮名遣いもDをZにすると<kanazukai>仮名図解になってしまう。
 もう一つの例は、「何処へ」と「何処え」でこれは「何処へ」が正しい。音では「え」であるのに「へ」を「え」と読む。どうして日本語の仮名表記はこうも違うのだろうか。
 その原因はどうも現代仮名遣いと歴史的仮名遣いにあるようで、戦後の国語改革で、「現代かなづかい」が交付されたことに起因する。
 私たちは現在改訂を重ねた「現代仮名遣い」を使って文章を書いている。ところが、私より一世代以上の人たちは、俗に「旧仮名遣い」と言われる「歴史的仮名遣い」に慣れており、それが混乱の原因になっている。
 私が好む俳句や短歌などは歴史的仮名遣いが当たり前で、現代俳句などは感覚的に馴染めない。そのことは私の世代でも、一種の混乱があるということである。
 この混乱を解決する「現代かなづかい」を決めるに当たって、文献を調べると、次のように記述があるのを見つけた。
{1946年に公布された「現代かなづかい」は、当初は表音主義で考え始めたため、基本的に同じ音韻は一通りに書くことを原則としたが、いくつかの例外を設けた。その例外のひとつが「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けである。
 通常は音韻通り「じ」「ず」を用いるが、例外的に「同音の連呼によって生じた」場合と「二語の連合によって生じた」場合には「じ」⇒「ぢ」と「ず」⇒「づ」を用いることとした。前者は「ちぢむ」「つづく」のようなものである。ただし「いちじく」「いちじるしい」などは規範に従うとされた。後者は「はなぢ(鼻血)」「みかづき(三日月)」などであり、これらは「はな+ち」「みか+つき」と分析できるので、語源となる語を表すこととなった。 しかし、現代人の意識では2語に分析しにくいものは規範通りとし、例えば「世界中」「稲妻」は「せかいじゅう」「いなずま」とされた。後者の規定は1986年に範囲を広げることとなり、「せかいぢゅう」「いなづま」と書くこともできるとされた。
 このように、「じ」「ぢ」「ず」「づ」の使い分けは、語の意識の有無を判定しなければならないところが難点である。}
 これを読んで(一部簡略化した)何かもやもやしていた頭の中が少し整理できたような気分になった。次回もこのような使い方により書き方の違う「へ」や「え」などについて考察する。

2018.9.15 仮名遣い(2)
 仮名文字は日本で生まれ、育まれてきた代表的文化であることは紛れのない事実である。仮名文字の歴史をここで振り返ってみる(言葉の百科事典:三省堂)。
 仮名が作られる前は国語は文章で書けないので、中国語(漢文)で書いていた。国語を書くには漢字の音を国語に当てはめて漢字だけで国語を書く「万葉がな」が用いられていた。日本で独自に生まれた仮名は漢字をもとにして今から約千年ほど前に誕生したものなのだ。
 ひらがなは「字源」でも示している、漢字をつづけたりくずしたりして書いた草書体からできたもので、 平仮名のもとになったのは、奈良時代を中心に使われていた借字(しゃくじ)である。平安京に都が遷されて以降、借字として使用されていた漢字の草体化が進み、平安時代弘法大師によって作られたという俗説がある。 平安時代の貴族の女性は、大和言葉を用いた平仮名を使って多くの作品を残した。 女流文学が平仮名で書かれた以外にも、和歌や文(ふみ)などには性別を問わず平仮名を用いていた。それにより女手(おんなで)とも呼ばれた。
 仮名は現代では四十六字ある。今は見られない"ゑ、ゐ、ヱ。ヰ"を加えると、ひらがなでもカタカナでも四十八字になる。
 一字で一音だけを表すのであるが、「は」をhaともwaとも読む例はいくらでもある。
 そこで 話を前回から引き継ぐと、私にとって見分けが付けにくいのは「は」と「わ」の使い分けと「へ」と「え」の使い分けの2種類である。比べながら検証することにする。
 先ず現代仮名遣いは、助詞の「は」「へ」「を」そのまま残した。その結果「わたしわ学校えいきました」と書いても間違いではない。つまり歴史的仮名遣いと併存しているという紛らわしさが生じている。ここでその分かりにくさを、井上ひさし氏の「日本語文法」から紹介すると、
「こひ」か「こい」か、「たひ」か「たい」か、「うぐひす」か「うぐいす」か、「いてふ」か「いちょう」か、「かへる」か「かえる」か、中略「ふぢ」か「ふじ」か、「うづら」か「うずら」か。先に記したのが歴史的仮名遣いで後に記したのが現代仮名遣いである。
 これでますます混乱してしまった。

2018.9.19 義理(前編)
 この義理と言う言葉の響きには、何かぎこちないものがある。それは多分社会的規範に縛られているところがあるせいかもしれない。とは言え日本の社会においては古くからの慣習であり、一種の文化でもある。
  形式的義理は義理チョコと言われるものや、私にとって年賀状の一部で僅かな面識で数十年も続いているものの中にはその種のものがある。一方欠かせない拘束力を持つ義理もある。それは血縁者・親類との付き合いで、冠婚葬祭(主に法事)には必ず出席するか、「寸志」を包むような人間関係である。
 義理を具体的に定義している一文を紹介すると「義理とは、年齢、性、性格、家庭など個人的要因、時代、職業、立場、役割、環境など社会的要因、その他公私による特殊な要因によって異なる。自身の利害に関わりなく、人として行うべき道義、とくに交際上嫌でも他人にしなければならないことなどである」
 ここで義理とはどんな実態なのか、諺・成句で紹介すると次のようなものがある。
 「義理と褌(ふんどし)欠かかされぬ」男子が常に身につけていなければならない「ふんどし」を引き合いに出して、義理を欠いてはいけないことを強調した言葉。義理と褌はずされぬ。義理と褌せねばならぬ。
 「義理一遍」つきあい上、心からではなく、形式的にのみすること。
 「義理の柵(しがらみ)」人を束縛する義理を柵に見立てた語。
 「親の恩より義理の恩」親から受けた恩よりも、先生や雇い主など世話になった人から受けた恩の方が重く、先に報いるべきだということ。
 このように見てくると、最初に述べた言葉のぎこちなさはこのような「しがらみ」や「足かせ」のようなマイナスイメージが強いことが見て取れる。 漱石の「草枕」の一節「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」と日本の世の習いについて嘆いている。 しかし、義理人情が大切な訳は、生きていくには他人との関係を避けることはできず、他人と関係する以上お互い好き勝手をすることはできないからで、これは世の中を円滑に生きていくための、昔から伝わる知恵の一種であると考えると、呑み込みが良い。 後編のテーマは「義理と人情」

2018.9.22 義理と人情(後編)
 「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」。これは高倉健の名作『唐獅子牡丹』の一節である。人の世でも任侠の世でも、これが生きていく上での約束事のような言葉である。
 今回は「義理と人情」を秤にかけて見ることにする。
 人情という言葉の響きは優しい。おもてなし、おもいやりは次のオリンピックのテーマである。
 それほど日本人の人情は世界に知れわたった情感である。辞書の定義によれば「人が本来持っている人間らしい感情、とくに人に対する思いやりや慈しみの心」とあるがこれは日本人の文化であって、諸外国ではこのように解釈されるようなことはない。
 日本人を描いたルースベネディクトの『菊と刀』(長谷川松治:訳)に日本人の「義理」について細かく論述しているので、まずそれを見てみよう。
 日本人のよく言う言葉に「義理ほどつらいものは無い」というのがある。
 人は「義務」を返済せねばならないと同様に「義理」は返済せねばならない。しかしながら「義理」は「義務」とは類を異にする一連の義務である。これに相当する言葉は英語には全く見当たらない。(中略)それは日本独特の範疇であって、「義理」を考慮に入れなければ、日本人の行動方針を理解することは不可能である。
 「人情」についても外国人の視点から見ることにし調べてみると、次のようになる。
 日本人は他人の生活に干渉しない。うわべの付き合いのように見える関係は、多くの外国人が偽善と感じている。日本人について、自分の主張を人に強制して受け入れてもらえる必要はなく、干渉せず、お互いに好意をもって付き合い、人が困ったときに助けてあげれば良いという、お互いの自由な生活を尊重し、困った時には助けてあげるのが「大いなる和の国」の流儀である。
 外国人が馴れない日本の生活に悪戦苦闘していると、周囲の日本人は「がんばって」「がんばってください」「がんばってね」と声をかけてくれる。実は初めは驚いた。よその国では、そういう経験があまりない。まごまごしていても冷淡である。
 逆に日本人は深い付き合いでもない外国人に対しても、そんな風に誰もが励ましのエールを送ってくれる。「暖かいなあ」と感じさせるのが、日本人の人情である。
 とまあこれは多少持ち上げ過ぎだが、日本人がこれを読んでも特に奇異に感じることがない。日本人は多少おせっかいで、特に肌の色の違う外国人に甘いのが「人情」の実態であるといえよう。
 こう見てきても日本人は義理に縛られ、人情に厚いということは明らかである。もっともこの基準も若い世代がグローバル化してきているせいか、薄れているのも事実である。

2018.9.28 しつけ(躾)と行儀作法(1)
 この世の中から「しつけ(躾)」という慣習が消えつつあるように感じられる。これは世の大人が小さな子供たちに受け継がれてきた、良き慣習であったものだが、強制されて行われる学習のような教育とは違うあり方の上に成り立ってきた存在であるせいだと思う。
 大人は子どもにとって良い見本でなければならないのに、その大人たちですらそのような躾を受けていないのだから、伝承することができるはずがない。これは考えてみれば由々しき問題である。
 私の記憶では、私の父親は子どもたちの躾に厳しかったようだ。朝起きる時からそれは始まる。ということは父親に対する礼儀を教え込むということである。朝の挨拶は座って手をついて「お早ようございます」とまるで武家の作法のようだった。食事の時も父親が箸を取ってから始まり、全員「頂きます」と頭を下げる。食事中は口にものを入れて話すことは厳禁で、大体会話が無かったように記憶している。今では夕飯時は親子のコミニケションの場で賑やかな時間を過ごす機会ではないだろうか。食事が終われば必ず「ご馳走様」と感謝の気持ちを示さなければならない。そして父親が会社に出かける時は、家族全員玄関で「行ってらっしゃい」と言って送り出す。帰ってくれば「お帰りなさい」と出迎える。それらは習慣となっていた。当たり前のことだが、目上の者への「口答え」は厳禁だった。
 その上、子どもとしての役割もあった。たとえば買い物など醤油や豆腐、父親の配給制のたばこの購入に至るまで、手伝いの仕事は結構あった。親父の留守の間が解放された時間で、「子どもの遊び」で示したような遊びに夢中であった。
 このように父親がいる時はぴりぴリしていたものだ。学校などでは「行儀のいい子」という評価であった。後年こうした躾を受けたことは「三つ子の魂百まで」の喩のように、社会に出てからの行儀作法も、ある程度身についており、それが人物評価にも影響していたと思う。
 次回は今の世でどのように礼儀作法を教えていくのか、また現状はどうかなどについて書くことにする。