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2022.4.4 諺集に見るわが人生(72)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「尾大掉わず (びだいふるわず)」上に立つ者より下の者の勢いが強く、治めにくいことのたとえ。尾があまりに大きいと、自由に動かせないという意から。一言で言えばリーダーシップ論である。多くの理論があるが、今回はshikumikeiei.comの中から「サイモン・シネックのリーダーシップ論」を紹介する。
 サイモンはゴールデンサークルという人間の意思決定と行動のシンプルな仕組みについて解説している「ゴールデンサークルには、What(何を提供するのか)、How(それはどのようなものか)、Why(なぜ提供するのか、何を信じているのか)の3つの層がある。成功するリーダーはWhyを最も重視し、Why→How→Whatの順で物事を考え、人に伝える。何の仕事を(What)、どうやってやるのか(How)から始めるのではなく、なぜ/何のためにこのビジネスをやるのか(Why)をまずは伝え、経営者の信念を社員自身の信念と捉えてもらうことができれば、ビジネスは必ず成功する」という理論である。
 古い役所の上意下達の世界では部下は自分で考える必要はないから生産性に欠ける。お役所仕事と言われる所以である。
 「小田原評定」戦国大名の後北条氏における重臣会議のこと。月2回開かれ、諸事を決した行政機構である。天正十八(1590年)年、小田原城主の北条氏直が豊臣秀吉の軍勢に包囲されたとき、戦いを続けるか降伏するかの評議が長引き、遂に決定しないまま滅ぼされたことからいう。
長引くだけで、いつになっても結論の出ない会議や議論の比喩表現として使われる。今ウクライナの停戦協議もこれに似た様相を呈している。相手がプーチン(どことなく怪僧ラスプーチンを想起させる)だけに何をやらかすか分からない。早目の手打ちが必要だろう。 次回に続く。

2022.4.8 諺集に見るわが人生(73)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「お茶を濁す」その場しのぎでいい加減なことをいったり適当なことを言って、取り繕おうとしたり、ごまかしたりすることを意味する言葉。言葉の語源・由来にはいくつかの説があるが、主なものとして、ひとつは茶道の作法からきている「ここでの『お茶』は緑茶や紅茶ではなく抹茶のことをさしている。抹茶を点てるためには茶道の知識が必要である。茶道の作法を知らない人が見様見真似でお茶をかき混ぜても、ただ濁るだけでうまく点てることはできない。ここから、その場しのぎでごまかしたりいい加減な言葉で取り繕ったりすることを意味する『お茶を濁す』ということわざにつながったと言われている」
 一般的に中途半端な言葉でその場を取り繕いうことなどはよくあることだ。物事に明確な判断を示すことなど土台無理な話なのかもしれない。はっきりした物言いにはそれなりの覚悟が必要だ。
 「落ちれば同じ谷川の水」出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねば同じ土になるというたとえ。雨・霰(あられ)・雪など形はさまざまであるが、地上に落ちてくれば同じ谷川を流れる水になるという意から。語源は「雨霰雪や氷と隔つらん落つれば同じ谷川の水」という和歌(一休さんの詠んだ歌とされてる)からきている。確かに韻を踏んでいて使いたくなることわざである。
 「踊り三人見手八人」実際に物事を行う人よりも、傍観者の方が多いことのたとえ。踊る人よりも見物人の方が多いことから。私などは踊りの輪に入るよりいつも見物人で済ましている。コロナ禍で長い間家に蟄居しているせいか、ニュースウォチッに専念し、自分で意見を語ることなどない。野次馬根性が染みついている。 次回に続く。

2022.4.11 諺集に見るわが人生(74)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「驚き、桃の木、山椒の木」は大きな驚きを表す時に使われる慣用句。この言い回しが多くの人に広まるきっかけとなったのは、人気映画『男はつらいよ』シリーズとされている。主人公の"寅さん"こと車寅次郎が、作品中のセリフの中でこの表現を使ったことから、「驚き、桃の木、山椒の木」が世間に広まっていった。しかし現在では見聞きする機会が少なくなってしまい、死語となっている。こうした言葉遊びから生まれた慣用句は多く存在する。
 「あたり前田のクラッカー」・「会いに北野の天満宮」・「ごめん、そうめん、ひやそうめん」・「その手は桑名の焼き蛤」・「冗談は顔だけにしてくれ」などを上げることができる。
 私も麻雀を打っている間にこういった地口の類を言って楽しんでいる。例えば「雉子も啼かずば討たれまいに」とか。
 「同じ穴の狢(むじな)」一見関係がないようでも実は同類・仲間であることのたとえ。多くは悪事を働く者についていう。同じ穴の狸 (たぬき) (狐 (きつね) )。一つ穴のむじな。「狢(むじな)」とは「アナグマ」のことを指す。
 時代や地域によってはタヌ牛やハクビシン、またはそれらの総称を指すこともあるが、多くは「アナグマ」を指す。そしてこの「アナグマ」だが、非常に鋭い爪を持っており、穴を掘るのが得意な動物として知られている。この事から、田畑を荒らす厄介な動物として昔から農家の人に忌み嫌われていた。また、似たような動物でタヌキやキツネがいるが、彼らは穴を掘るのが得意ではない。そのため、アナグマなどが掘った穴を見つけ、乗っ取ったり同居したりする習性がある。
 中学時代にいじめを繰り返し恐喝などをする集団(1年から3年まで)があり、私もその標的から免れることはなかった。屈辱的で嫌な思い出だ。まさに彼らは学年は違うが同じ穴の狢そのものだった。
 戦後10年ほど経った 当時は、そうした非行を学校も、見て見ぬふりという荒んだ時代でもあった。 次回に続く。

2022.4.14 諺集に見るわが人生(75)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「同じ釜の飯を食う」他人ではあるが、生活を共にしたり、同じ職場で働いたりして、苦楽を分かち合った親しい間柄のたとえ。「一つ釜の飯を食う」とも。今はあまり聞かないが、戦争の時代には同じ小隊の戦友などはこういった関係にあったことだろう。今でも数十年も同じ職場で定期的に会合の場を持つ仲間がいるが、まさに同じ釜の飯を食う関係である。
 「鬼が住むか蛇が住むか」世の中には、どんな恐ろしい人が住んでいるのかわからないこと。また、人の心の底はどんな考えがひそんでいるのかわからないことのたとえ。思いがけない事や、意外な人に対して使うことわざ。「鬼」も「蛇」も、恐ろしく不気味なものをあらわしている。あまり自分の身辺ではこういうことは体験しないが「触らぬ神に祟りなし」のことわざにあるように避けて済ませたものだ。
 「鬼に金棒」強いものが何かを得て、さらに強くなることのたとえ。元々強い鬼には素手であってもかなわないのに、鉄の棒まで加わったらますます強くなって立ち向かうことなどできないことから、強いものが良い条件を得て更に強くなることをいう。「鬼に金棒、弁慶に薙刀」と続けていうことも。『江戸いろはかるた』の一つ。今多くの人が注目している大谷翔平選手の二刀流などはこういう表現に似合う。
 「鬼の居ぬ間に洗濯」こわい人やうるさい人がいない間に、くつろいで息抜きをすることのたとえ。主人や監督する者など、こわい人やうるさい人がいない間に、のんびりくつろいで気晴らしをすることをいう。
「鬼」は怖い人、「洗濯」とは命の洗濯の意味で、日頃の苦労や束縛から解放されて気晴らしを楽しむこと。よく分かる。よく分かる。 次回に続く。

2022.4.17 諺集に見るわが人生(76)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「鬼の霍乱(かくらん)」ふだんきわめて健康な人が珍しく病気になることのたとえ。「霍乱」とは中国の医学の病名の一つであり嘔吐や下痢、腹痛などに襲われる病気の総省のこと.。鬼とは基本的に強いだったり、頑丈なイメージのある生き物とされており、そのような意味からも健康的な肉体を持つ人が珍しく病にかかるという事で「鬼の霍乱」となる。
 「えーっ、珍しい!あの人が風邪をひくなんて・・」というような場合に「鬼の霍乱」と使ったりする。
 「鬼の目にも涙」鬼の目にも涙とは、冷酷で無慈悲な人間でも、ときには同情や憐れみを感じて涙を流すというたとえ。悪代官が年貢の取り立てに情をかけたり、高利貸しが憐れみの心で証文を破ったりしたときに使われた言葉から。
現在では、鬼のように怖く厳しい人でも感動して涙を流すという場合に使われることが多い。通常は男に限定される。女の涙は武器。
 「己の欲せざる所は人に施す勿れ」他人からしてもらいたくないことは、自分も他人にしない。自分がいやなことは、他人もいやなのだからしないことである。〈論語・顔淵(がんえん)から〉孔子の弟子の)仲弓(ちゅうきゅう)が、仁とはどういうことかと質問した。孔子は次のように答えられた「家の外で他人に逢(あ)うときは、その人を自分にとって何よりも大事なお客のように扱わなければならない。人民を公役に使うときには、祭りを執り行うときのように慎み深くしなければならない。自分が他人からしてもらいたくないことは、他人にもしてはならない。そうすれば国の中枢にいても人に恨まれることはなく、家庭にあっても人に恨まれることはない」が由来。
 当たり前のマナーのように見えるが、なかなか守られないものだ。それが原因で不仲になる場合だってある。 次回に続く。

2022.4.20 諺集に見るわが人生(77)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「帯に短し襷(たすき)に長し」「中途半端で役に立たないものやその状態のこと」を指すことわざ。 ある布の長さについて、「着物の帯に使うには短くて長さが足りない。 かといって襷として使うには長すぎる」と、"どっちつかずの状態"を示している。 「役に立たない」「使い道がない」と、中途半端な状況を比喩的に表現している。帯と襷の中間の長さである3m前後が「帯に短し襷に長し」の長さで、帯と襷いずれの用も足すことができない中途半端なもの。類語に「あちらを立てればこちらが立たず」がある。2つのものがあった場合、双方を満足させる解決策がなく板挟み状態になることを指す。こちらの方がよく使われる。いずれにしても中途半端は厄介だ。
 「思し召し(おぼしめし)より米の飯」「召し」と「飯」をかけたしゃれで、同じ「めし」なら、口先だけの好意を示す「召し」よりも米の「飯」のように実際に役立つものの方が有り難いという意味。類語に「同情するなら金をくれ」がある。これなどは頻繁に使われるジョークのようなもの。
 「溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ」溺れそうになっている人は、麦藁のように頼りないものであっても、永らえようとして頼ってしまうというたとえ。危急の時にあっては、普段なら取り合わないような、頼りないものにでさえ、助けを求めてしまうものである。または、そのようなものにまで、助けを求めてしまうような危急の状態にあること。このたとえはよく目にする方である。コロナ禍でストレスのたまった人たちはワクチンなどの予防接種は普段では見向きもしない人でも積極的に受ける。これなど罹患しないように願う人たちにとって藁のよう存在なのかもしれない。ウクライナのゼレンスキー大統領の世界中に対する演説も、そのような切なる願いに聞こえてくる。 次回に続く。

2022.4.23 諺集に見るわが人生(78)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「思い立ったが吉日(きちじつ)」何かしようと思ったら、すぐに始めるのがよい。いざ何かを始めたいと思っても、「失敗するかも」「今がタイミングじゃないかも」と躊躇することがあるもの。
  しかし、始める前にあまりあれこれ悩まずに「今が好機」と考えて行動すべきだと伝えていることわざ。由来は暦の上で縁起のよい日とされている「吉日」を用いて、「思い立ったが吉日」という言葉になった。私などは思い立っても何も行動しないことが多い。面倒くさがり屋なので結構好機を逸しているに違いない。
 「面倒くさがり屋」とは「対人関係」をめんどくさいと感じる人。「仕事のしがらみ」をめんどくさいと感じる人。「効率が悪い事」をめんどくさいと感じる人。現状に不満を抱えてるけど「新しい事」に挑戦することがめんどうくさい人。などのタイプの人のこと(lovely-media.jp)。どうやらすべてに思い当たる。
 「思うこと言わねば腹ふくる」心に思う事があっても差し障りがあるからと遠慮してなにも言わずにがまんしていると、食べ過ぎで腹がふくれているように、不快な気が腹の内にたまってすっきりしないということ。
 由来は明確ではないが。徒然草第十九段「折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。」に「おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば」から来ているようだ(大鏡という説もあり)。
 こういうことは誰でも経験した覚えがあるはずだろう。
 平安時代の書にも書かれているくらいだから、こうなるとこれ(思うことを言わぬ)は日本人の特性なのかも知れない。
 対義「物言えば唇寒し秋の風」人の欠点を批判したり自分の長所を自慢したりした後は、必ず言わなきゃよかったという思いにとらわれるものである。また、そうしたことによって余計な災難を自ら招くこともある。
 口を開くと秋の冷たい風が唇に触れて、寒々とした気分になることから。
 松尾芭蕉の「座右の銘」にある句で、この句の前には「人の短をいふ事なかれ己が長をとく事なかれ」とある。しゃべり過ぎてにっちもさっちもいかず、赤っ恥をかいたことのなんと多かったことか。 次回に続く。

2022.4.26 諺集に見るわが人生(79)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「重きを負い遠きを渉(わた)る時は地を択(えら)ばずして休(いこ)う」苦しい時は、えり好みをしないことのたとえ。重い荷物を背負って遠方まで行かねばならないというときには、休める場所があればどんなところででも休もうとすることから。
 由来は「孔子家語」致思篇の美しくかつ名高い次の逸話を踏まえたもので「ある日孔子と何人かの弟子たちがくつろいでいたとき、子路が孔子に向かって言うた。「先生、わたしはこう聞いております。負重渉遠、不択地而休」と。
 現代は一家に一台車がある社会だから、重いものは車で運ぶから実感がないが、子どもの頃、駅止めの荷物をリヤカーで運んだことがある。荷物は20キロ余りあり、子どもの力ではリヤカーとは言え結構な体力を使うもので、家に差し掛かる手前の坂道はさすがにきつく、一休みしてからやっと家に運び込んだ覚えがある。小学校5年生の頃で。子どもでもこんな仕事を命じられたものだ。
 「表木綿の裏甲斐絹(うらかいき)」甲斐絹は、山梨で作られる平織りの絹布のこと。木綿の表地でできた着物の裏地に甲斐絹を使って、うわべを地味にして眼に見えないところは贅沢をする、というたとえとして言われている。甲斐絹が例に出されているが、実際には江戸つ子の好みを表したことばとされている。
 これは女房から聞いた話だが、近所に働き者の婆さんがいて、朝から晩まで貧しい着物姿で仕事に精出していたそうだ。見た目は貧乏そうに見えるが、裏話として、この婆さん実は高島屋(高いが本物「ブランド」を売る店で知られる)の上客で金に糸目をつけないことで知られていたそうな。これは想像だが、こうして買い入れたブランド品に囲まれた寝所で、これまた絹織物の布団に包まり極上の夢を見て、明日のエネルギーを蓄えていたことだろう。
 私には縁遠い話でコピペ(「コピー&ペースト」の略)に明け暮れ、いつか本物とはどんなものかさえ見分けがつかなくなった。浜っ子は見栄っ張りのお粗末。  次回に続く。

2022.4.29 諺集に見るわが人生(80)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「親の心子知らず」親が子を思う気持ちは通じにくく、子は勝手な振る舞いをするものだということを意味する ことわざ。 また、「自分が親になってはじめて、親の気持ちを理解することになる」という文脈で使われることもある。
 このことわざが使われるのは、親子関係のみに限定されるものではなく、 親子と同じように親しい間柄で、かつ、上下関係が存在する人同士にも使う。家庭問題の多くはこのような親子関係や夫婦関係の祖語によって発生する。それは殆ど不可避なこととも言えよう。
 「親の脛をかじる」子どもが経済的に自立することができずに、親に援助してもらうこと。私の場合はかじるべき脛が早くして亡くなったので、かえって自立するまでの時間は長くかかった。親の脛をかじれるものはそれだけ果報者ともいえる。
 「親の目は贔屓目(ひいきめ)」自分の子供の可愛さから、子供の欠点が目につかなくなってしまい、子供の良い面しか目に入らないという意味。可愛さのあまり子供の欠点が目につかなくなってしまう親が多い。「親の欲目」ともいう。類語に「親バカ」や「親の甘いは子に毒薬」などがある。何れも親は子に対してはスパルタ教育などは虐待扱いされるから、甘くなることは仕方のないことだ。
 「お山の大将俺一人」低い盛土などのどの頂上に競争して登り「お山の大将俺一人」と言って互いに他の者を突き落とす子供の遊びから生まれた言葉。小さな集団や限られた世界の中で頭となり、得意になっている様子。実際には体験したことはないが、子どもの頃には近所の子どもたちの集団には必ず「餓鬼大将」がいてリーダーシップを発揮していたものだ。私はいつも子分だったけど。 次回に続く。