2022.2.3 諺集に見るわが人生(55)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「う」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「運根鈍(うんこんどん)」成功するには、運がよいこと、根気があること、粘り強いことの三つが必要だということ。
運については「運天果報」といって、物事がうまくいかない時は、あせってもいい事はないので、気長に運の向いてくるのを待つよりしかたない。
類義:果報は寝て待て。待てば海路(かいろ)の日和(ひより)あり。
私はこのHP作成を10年近く続けているので、根気と粘り強さはある方だと思う。身体の衰えで取材できないのが残念だが、仕方ない。許される範囲で素材を探し、今の形になっている。これで運がよければいいアイデアが生まれ新しさも生み出せるのではないか、と密かに期待するところがある。それも運次第だ。
「雲散霧消(うんさんむしょう)」物事が一度に消えて、跡形もなくなくなってしまうこと。
新型コロナウイルス、オミクロン株の感染拡大がとまらないが、明日にも雲散霧消してもらいたい。
「蘊蓄を傾ける(うんちくをかたむける)」自分の学識、技能を惜しみなく発揮すること。極めて真面目な響きのある諺なのだが、実際に「傾けられる」と何か落語の世界の話のようで失笑を禁じ得ない。
「運は天にあり」人の運命は初めから天命によって定まっているとする考え方で、運命を賭けたいくさや勝負ごとなどで、結果を天に任せ、覚悟を決めて行動するときに用いる。原典は上杉謙信の居城、春日山城の壁に書かれた"壁書"と言われ「運は天にあり。鎧は胸にあり。手柄は足にあり。何時も敵を掌にして合戦すべし。疵つくことなし。死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり(以下略)」とある。江戸時代、このあとにもじりの表現を加えて「運は天にあり、ぼた餠は棚に有り」などといった対句も行われた。
八十代半ばを過ぎると、運より「生死」は「天にあり」ということになる。(類義)仏語「生死無常(しょうじむじょう)」人の一生が儚いことのたとえなどもある。2月1日元東京都知事で芥川賞作家の石原慎太郎氏が89歳で「天寿」を全うした。
次回に続く。
2022.2.7 諺集に見るわが人生(56)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「う」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「運否天賦」人の運命は天の定めによるということ。運不運は天命であること。転じて、運を天に任せること。「運否」は運不運、運のあるなしの意。「天賦」は天が与える、天が与えたものの意。運任せ。(類義)運は天に在り(前掲)。読みは「うんぷてんぷ」テンポがよく覚えやすく、日常会話の中でもよく使われる。それだけ多くのことが運任せなのだといえよう。ポジティブに考えれば運を天に任せればそれだけ気楽になるということだ。
「運用の妙は一心に存ず」処世術の一つ。これは(「宋史‐岳飛伝」の「陣而後戦、兵法之常、運用之妙、存二乎一心一(陣して後に戦うは兵法の常なるも運用の妙は一心に存す)十八史略:七巻。元の曾先之の撰」による語) 戦術、法式は、それだけでは役に立たない。それを臨機応変に用いる妙味はその人の心一つにある。
これは現代企業の経営者にも通じるもので、一つ一つの決断が後の企業の存続を左右する事を、肝に命じて決断するべきである。特に非日常のコロナ禍においては厳しい決断をしなければ存続は難しくなっている。
「運を待つは死を待つに等しい」「運」は何の努力もせずに巡ってくるものではなく、ただ待ち続けることは自分の死を待つのと同じくらい愚かだという意味。「果報は寝て待て」の対義で、努力し続けなければ「運」は巡ってはこない。
私は麻雀が好きで経験も積んでいる。囲碁将棋とは違い技2割ツキ8割といったゲームである。
座る場所にツク場合と人にツク場合とある。それを見わけることが肝要で、自分にツキが回る確率は四分の一しかないから。残りの四分の三は守りになる。いかにツイてる相手に放銃しないかが重要で無理をすればほぼ相手に負けることになる。降りる(勝負に出ないこと)ことも大切な戦法で、その内必ず自分にもツキが回ってくる。その時に存分に勝負をかけても勝ちにつながるものだ。すなわち運を導くには、専守防衛に徹してこそ道が開けると考えればよい。 次回はあ行の「え」から始まる。
2022.2.11 諺集に見るわが人生(57)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「え」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「郢書燕説(えいしょえんぜつ)」うまく理屈をあわせること。こじつけ。中国・春秋戦国時代に、楚の都郢からきた手紙に対して、燕の国の人がとった解釈という意。とある郢の人が、ある夜、燕の国の宰相に手紙を書いたが、灯火が暗いので、召使いに「燭(しょく)を挙げよ」と命じ、うっかり「挙燭」というこのことばをそのまま、手紙に書き込んでしまった。これを読んだ宰相は、「挙燭」の語を「明(めい)を尊べ」の意と誤って解し、王に進言して賢者を登用し、大いに治績をあげた、と伝える『韓非子(かんぴし)』「外儲説(がいちょせつ)左上篇」の故事による。日本の諺では「瓢箪から駒」とか「怪我の功名」などが思い浮かぶ。現在「こじつけ」や「屁理屈」が罷り通るのは、家元の中国や独裁国家ぐらいだろう。
「英雄色を好む」 英雄色を好むとは、英雄は何事にも精力旺盛であるから、女色を好む傾向も強いということ。今の世では政治家やタレントなどは色事がバレて、票を失ったり、人気を失なったりする。
「得難きは時、会い難きは友」「得難きは時」の「時」とは、 「チャンス、好機」 のこと。 そして「会い難きは友」の「友」とは、「善き友、善友」のこと。 これは「絶好のチャンスは、得難いものであり、善い友に出会うことは、非常に難しいことである」 という意味になる。私は高い目標を掲げたことはないので、実感として絶好の機会には恵まれなかった。ただ善き友には多く恵まれている。別に年中暇なしに会っているわけではないが、たまに会うとリセットされた喜びを分かち合える。しかし、長く生きると善き友を少しづつ失っていくことが寂しい。 次回に続く。
2022.2.14 諺集に見るわが人生(58)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「え」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「益者三友、損者三友」交わって益する友は三種類あり、損する友に三種類ある。素直で正直な人を友とし、誠実な人を友とし、知識の豊かな人を友とするのが益である。体裁ぶる人を友とし、人ざわりが良くて誠実のない人を友とし、口先ばかりで調子の良い人を友とするのは損だ」
出典は論語から「孔子曰わく、益者三友、損者三友、直きを友とし、諒(まこと)を友とし、多聞(たぶん)を友とするは益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔(ぜんじゅう)を友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり」友を選べということらしいが、現実は為になる友もあれば、悪友と呼べる友もいる。それは過去を振り返って見なければ見分けがつかないものだ。
「えぐい渋いも味のうち」味には色々あって、味覚の幅は広いということ。えぐみも渋みも好まれないが、なくてはならないものである。(類義)熱さ冷たさ味のうち。
春野菜のほろ苦い成分は「植物性アルカロイド」というのだそうだ。モルヒネ、コカイン、コルヒチン(痛風の治療薬)、アコニチン(トリカブトの毒)も同じ植物性アルカロイドだと言う。
苦みや渋みがある飲み物に、紅茶やコーヒーがあるが、なんとそれは渋みのもと植物性アルカロイドで、眠気覚ましにきく成分があるからだ。私は苦みや渋みを和らげるために薄めのコーヒー(アメリカンという)に砂糖とミルク入れて口当たり良くしている。毎日コーヒーカップ何杯も飲むから、これは麻薬のように常用性があるのだろうか。
「日本の代表するくだもの(国果)といえば柿」と言われるほどだが、柿には甘柿と渋柿の二種類がある。渋柿の渋みは「タンニン」という成分によるもので、「渋柿」はもちろんのこと、「甘柿」にも少なからず含まれているのだそうだ。干し柿は渋柿から作って甘い味を出しているから、成分は同じだということは分かる。
えぐいと言えば旬の「筍」や「くわい」がある。これらは毒性(青酸配糖体という植物性の毒)を抜くために「あく抜き」という一手間が欠かせない。何事にもこの一手間を忘れてはいけない。
次回に続く。
2022.2.17 諺集に見るわが人生(59)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「え」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「会者定離(えしゃじょうり)」会者定離 (えしゃじょうり)は、 日本 の 諺 。 出典は 遺教経 。 仏典のひとつである遺教経の文章が原典。 日本では 四字熟語 として有名だが、本来は「生者必滅会者定離」でひとつの意味をなしている。 命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れることになるという意味(Wikipedia)。
ずしんと胸に響く言葉である。出会った者の多くがもうこの世にはいない。
「海老で鯛を釣る」少しの元手または労力で大きな利益を得ることのたとえ。えびたい。 「鯛」は古くから高級魚として大切にされてきた魚。 一方の「海老」はいわゆる「小海老」を指す。 つまり、「小さな海老で高級魚である鯛を釣りあげる」ということから。私は投資(株式とか)に興味がなく消費に金を使ったので「鯛」を釣ったことはない。
「選んで粕を掴む(えらんでかすをつかむ)」選り好みをすると、かえってはずれを引いてしまうことのたとえ。私の場合は凝り性なところがあり、一つの物に拘り、そのために結果として役に立たないものを結構買い込んで失敗することが多い。それでも懲りない。
「煙霞の痼疾(えんかのこしつ)《「唐書」田遊巌伝から》自然の美や風物をこよなく愛でること。隠居して自然とともに暮らすこと。(類義)煙霞の癖 (へき) 。「煙霞」は、もやとかすみのことから、自然の風物。山水。「痼疾」は、長く持病がなおらないこと。自然にこだわり、山水を愛でる気持ちを持病にたとえて言ったもの。中々難しい諺で変換に苦労した。人間年を取れば何らかの持病はあるものだ。そこで自然をこよなく愛するなどとは凡人にはできない業である。まだまだ修練することは多い。 次回に続く。
2022.2.20 諺集に見るわが人生(60)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「え」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「遠交近攻」は、中国前漢時代の歴史書「史記」の「范雎(はんしょ)列伝」。また、兵法書「兵法三十六計」の戦術の一つ第二十三計にあたる戦術。「遠きに交はり近きを攻む」と訓読し、「遠い国と親しくし近くの国を攻略する」という意味。日常生活ではまず使いどころがない言葉だが、国レベルでの外交戦略は確かにそのようなシステムが今でも生きている。
「遠親は近隣に如かず」血の繋がっている親類であっても、遠く離れて暮らしていれば行き来も少なくなり、情も通わなくなるもので、万が一急を要する出来事があった場合に助けられることはない。赤の他人であっても、自分の近くにいる人のほうが、かえって力になってくれるという意味。「遠い親戚より近くの他人」ともいう。私の住んでいる地域にも自治会があり、マンションには管理組合があって互助の精神が生活の安心・安全に繋がっており、遠くの親戚より頼りになる。
「遠慮は無沙汰」 遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。先方の迷惑を考え遠慮して訪問を控えると、ついご無沙汰をすることになり、礼を欠くことになるという意から。「遠慮が無沙汰」ともいう。私はここ数年年賀状だけ送り、訪問はしていない。気持ちは訪問したいのだが、会いたい会いたいと言葉だけが空回りしている。本当に礼を欠いていると反省している。
「遠慮ひだるし伊達寒し」遠慮したり、見栄をはったりするのもほどほどにせよということ。「ひだるし」はひもじいの意。食事をすすめられ遠慮して食べないとひもじいし、伊達をして薄着でいると寒い思いをするという意から。見えを張ってやせ我慢するのもいい加減にせよという戒め。
(類義)「伊達の薄着」伊達とは、粋に見せようとすること。洒落ていること。伊達政宗が派手な服装であったことからともいわれている。私も若い頃はTVの影響もあってこんな真似事もしたが、今となっては懐かしい諺だ。 次回は「あ行」の「お」から始める。
2022.2.23 諺集に見るわが人生(61)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「老いた木は曲がらぬ」老木は弾力がなくなって曲げようとしても曲がらないことから、老人の頑固さをたとえていう。.また、若いうちに欠点を直さないと、年をとりてからでは直らないことにもいう。人に新しいことを教えたり、その人の習慣や性格を変えることはとても難しい。
(類義)「矯めるなら若木のうち」「鉄は熱いうちに打て」私のような老木になるとリセットはできずシャットダウンのみになるということらしい。
「老いたるを父とせよ」年長者を敬う精神を伝えることわざとして古くから使われている。
(補説)出典の「年長ずること以って倍なれば則ち(すなわち)これに父事(ふじ)し、十年以って長ずれば則ちこれに肩随(けんずい)す(年齢が自分より倍の上の者に対しては父として仕え、十歳年上の者には兄として仕え、五歳年上の者には肩を並べていても一歩退いて従う)によることば。実際は下克上のような社会でモラルハザードが起きている。
これに対応する「老いては子に従え」年をとったら出しゃばったり我を張ったりず、何事も子に任せて、これに従っていくほうがいいということ。「老いた木は曲がらぬ」だから双方に軋轢が生ずることも多い。難しいことだが年寄りは隠居らしく大人しくしていることがいいと思う。
「老いてはますます壮(さか)んなるべし」年老いても元気が衰えず、ますます盛んな意気がなければならないということ。《「後漢書」馬援伝から》「丈夫志為るや、窮しては当に(まさに)益々堅なるべく(一人前の男子が志を立てたなら、困難な目にあっても志をますます堅固にしなければならないし)老いては当に益々壮んなるべし」とある。
こうして見ると、年寄りを評して全く対立する諺があり、どうしたらいいのか分らないのも面白い話だ。 次回に続く。
2022.2.26 諺集に見るわが人生(62)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「老いの一徹」老人の、いったん思い定めたことは必ずそのとおりにしようとするがんこな気質。有名な諺。私などもそういう気質が見られる。思い込んだら押し通す。ただし思い込むまでには自分の経験を総動員して考えを巡らすようなことはする。大体どこの老人も似たり寄ったりである。
「老いの学問」年をとってから物事を習うこと。人は年を取れば身体的機能は衰えるが、精神や知恵の面では老化と共に学べることができるという、医学的知見がある。「生涯発達理論」というもので、老化によって失うものを精神面や能力の円熟を補いながら、生涯成長を続けていくと述べている。記憶力は老化し、残留することが難しくなるが無くなる訳ではないので、学ぶことは例え90歳でもできるはずだ。歳をとることの豊かさ・奥深さを教えてくれている。
「往時渺茫(おうじびょうぼう)として都(すべ)て夢に似たり」過ぎ去った昔の事はもうはるかかなたの事で、とりとめがなく、まるで夢のように思えるということ。 「往時」は過ぎ去った昔のこと。 「渺茫」は遠くはるかで果てしないさま。出典は「白居易(白楽天)原文は往事渺茫都似夢
舊遊零落半歸泉
醉悲灑涙春杯裏
吟苦支頤曉燭前
・読み
往事は渺茫として都(すべ)て夢に似たり
旧遊は零落して半ば泉(せん)に帰(き)す
酔(ゑ)ひの悲しみ、涙をそそく春の盃(さかづき)のうち
吟の苦しみ、頤(おとがひ)を支(ささ)ふ暁燭(げうしよく)の前
・解釈
昔のことは果てしなく遠くなり、すべては夢のようだ。
昔の友達は落ちぶれて、半ばは黄泉(よみ)に帰ってしまった。
酒に悲しく酔っては、春の盃の中に涙をこぼし、
詩を苦しく吟じては、明け方の灯の前で頬杖をついている」
老いを詠んだ七言絶句の詩で心に響くものがある。 次回に続く。