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2022.3.2 諺集に見るわが人生(63)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」どういうことかというと、熟達した者であっても、時には自分より経験の浅い者や年下の者に、物事を教わることもあるということ。小さな子供は一人で川を渡れないが、背中に負ぶった子は上から浅瀬と淵をよく見分けて教えることができる。その子に教えられて深みにはまらずに済むこともあることから。
「負うた子に浅瀬(を習う)」「負うた子に教えられる」とも。『上方(京都)いろはかるた』のひとつ。
 私は7年ほどインストラクターとして教壇に立ったことがあるが、若い生徒たちは呑み込みが早く、パワーポイントの作画などでは教材として仕えるものも多く、生徒に教えられる所も多かった。今にして思えば教室とは生徒と教師が一体となって学ぶ場だと覚った。
 「追う手を防げば搦手が回る」戦国時代に生まれた諺なのだろうか殆ど使われない。「 おうてをふせげば からめてがまわる」表門を防ぐと、裏門に敵が回ってくることから。「一難去ってまた一難」と同義。辞典の説明は「一つの災いを逃れても次から次へと災難が起こってくることのたとえ」同様の類義に「前門の虎後門の狼」などがある。今のウクライナの情勢は三方から攻められゼレンスキー大統領は背水の陣を敷いている。その上ロシアは数百人の傭兵を使った要人暗殺も企てているという恐ろしい話だ。
 私も第二次大戦を子どもながらに体験しており、負け戦のトラウマは今でも消えない。
 「往を告げて来を知る」「往」は、過去のこと。「来」は、未来のこと。過去のことを告げれば、それをもとに将来のことを推察できるという意味。少し話をすれば、次に何を言おうとしているかわかること。類義の言葉は「一を聞いて十を知る」がこれにあたる。
 私の小学校時代の友達、同じ教室で勉強し、遊ぶ時も一緒で体が大きく運動神経も成績も群を抜いていた。まさに「一を聞いて十を知る」広い世の中、天才はいるものだ。 次回に続く。

2022.3.6 諺集に見るわが人生(64)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「負えば抱かれよう」一つの事をしてやると、図に乗って更に その上の事を要求すること。
 子どもにせが まれて仕方なく背負ってやると、甘えて次 は抱いてくれということから。「負ぶえば抱 かりよう」ともいう。
 幼い子どもが次々と甘えてくる姿は、ほほえましく、つい甘やかすことが多いが、いい大人が人の厚意に甘えていつまでも頼るのは見苦しい。私なども随分とお袋に甘えて育った。どれだけ親孝行できたのかと反省している。「親は木綿着る子は錦着る」などは親心を表す諺だ。
 「大嘘は吐くとも小嘘は吐くな」大きかろうと小さかろうと、うそをつくのが良くないことは当然だが、大うそは最初からうそと分かるために実害が少ないのに対し、小さなうそは真偽のほどが見分けにくいことが多く、うまく乗せられてしまう、という意味。
 昔読んだほら「ふき男爵の冒険」ご存じほらふき男爵が語る奇想天外な冒険談。狩やいくさの話はもちろん、水陸の旅に、月旅行から地底旅行まで、男爵が吹きまくるご自慢の手柄話に、ここまでの法螺話は、つい笑ってしまうほど心を和ませてくれる。
 「狼に衣」まるで狼が僧衣をまとったように、凶悪な人間が、慈悲深い善人のようにみせかけることのたとえ。「狼が衣を着たよう」ともいう。また、狼が衣を着たようなだらしのないかっこうについてもいう。
 (類義)鬼に衣。これはもともと鬼は裸でいるものだから衣類は身につけない。そこから、不必要・不釣り合いなことのたとえ。また、恐ろしい鬼が僧衣をまとうことから、巧みな見せかけで人を欺くことのたとえ。こちらの方が分かりやすい。狼は絶滅危惧種だから。今ネット上では言葉巧みに人を誘い騙して大金を奪う輩が横行しているのでご用心。
 次回に続く。

2022.3.9 諺集に見るわが人生(65)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「大きな家には大きな風」家が大きいとそれなりに吹きつける風の量も大きいというわけで、金持ちには金持ちの悩みがあるということのたとえ。
  また、仕事などの規模が大きければ、よきにつけあしきにつけ、なにごとも大がかりになるという意味でも使う。私はそういう立場に置かれたことがないので、実感がわかないが、世の中大きさによってそれなりの悩みがあるのだなということは理解できる。
 「多く少なし子三人」子どもは三人いると、多からず少なからずで理想的だということ。これに似たことわざに、三人子持ちは笑うて暮らす。子供の数は、1人ではさみしいし、あまり多すぎてもたいへんなので、3人ぐらいが、 少なくもなく、多すぎもしないので、ちょうどよく、家の中も楽しく笑って暮らすことが できるということ。
 この諺は時代が古く、我が家などは「産めよ増やせよ」の時代、親父とおふくろは頑張って八人の子持ち。流石に多すぎて戦後は苦労の連続だった。今は少子化の時代せいぜい子どもは一人か二人が一般的家族構成である。おまけに両親とは別所帯というように、戦前と戦後では大きく分かれる。先行き不透明で教育にも金がかかるのが少子化に拍車をかけている。
 「大遣いより小遣い」大きくまとまった一度の出費よりも、日常のこまごました出費のほうが、かえって大きい金額になりやすいというたとえ。
 [類句]出遣いより小遣い。我が家などはその典型で大きな買い物ができない。これは日常の倹約で苦労し、せせこましい生活をするより、健康第一の食生活に主眼をおいているからで、お蔭で大病もせずここまで生きてきている。私も手っ取り早く食を切り詰めてまで大きな買い物の蓄えにすることは、疑問視している。 次回に続く。

2022.3.12 諺集に見るわが人生(66)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「大船に乗る(おおぶねにのる)」信頼できる基盤を得て、何の心配もいらない状態であること。難破する恐れのない大きな船に乗ったようだという意から。(類義語)「親船に乗る」(対義)「泥船から逃げる」」崩壊しそうな組織や、失敗が濃厚な状況などから離れることを表現する。長い人生いつも大船に乗っていられるわけではない。たまには泥船に乗って困難を経験するのもまた大切なことなのかもしれない。
 「大風呂敷を広げる」現実に合わないような大げさなことを言ったり、計画したりすること。「大風呂敷」とは、大きな風呂敷のことで、風呂敷とは物を包み、持ち運ぶための四角い布のこと。私の知り合いに大風呂敷を広げ、言い各千金を狙い職を転々とし、いつも成功を見ることない可哀そうな男がいる。結構本人は本気で、仕事を始める前に借金をするので借財ばかり広がる。それでも本人は「借金も財産の内」とうそぶいている。
 「大水に飲み水なし」物はたくさんあっても目的にかなうものは少ないというたとえ。また、人は大勢いても本当に役に立つ人は少ないというたとえとしても使う。洪水の水はたくさんあっても、飲み水としては使えないということから。「火事場に煙草の火なく大水に飲み水なし」ともいう。私は時計のレプリカを集めるのが趣味だが、機械式腕時計を除きクオーツ時計は電池が無くなると動かなくなる。電池交換を時計屋に頼むと本体価格よりも高くつくので、自分で交換しようと専門の道具を取りそろえ(4種類ほど)、裏蓋を開けようと頑張っているが、どれ一つとして固くて開かない。ネット調べて、いとも簡単に開けているのを見て、真似してもやはり開かない。暇を見ては繰り返すがいまだ成功していない。このように道具多くして役立たずを評していう諺としてぴったりだ。 次回に続く。

2022.3.18 諺集に見るわが人生(67)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「陸に上がった河童」陸に上がった河童とは、自分に適した環境から離れたときに、力を発揮できず無能になること。
 河童は頭の皿に水がなくなると死ぬと言われており、水中では自在に泳ぎ回ることができる河童も、陸へ上がればどうしようもなくなることから。 「陸」を「りく」と読むのは誤り。また「丘」「岡」と書くのは誤り。
 どんなに優れた人でも一つや二つは全く無能なものはあるものだ。私などは同じところを堂々巡りするような生活をしているから、いったん環境が変わると情けない状態になること間違いなし。
 「置かぬ棚を探す」体裁を取り繕うため、あるはずのない物を探すたとえ。棚上げにする (たなあげにする) 問題の解決や処理を先延ばしにすること。この諺に一文字付け加え「置かぬ棚をも探せ」となると、念には念を入れて探せ、ということの例え。探し物が見つからないときは、絶対に置いたはずのない棚でも念のために探してみよということ。前者の諺は政治の世界ではよく見かける。後者は自分では置いたつもりの物が見つからず、ひょんなことから見つかることがある。まるでマジックの世界だが意外とよくある話である。
 「傍目八目(おかめはちもく)」《他人の囲碁をそばで見ていると、対局者よりも冷静に手が読める意から》第三者のほうが、物事の是非得失を当事者以上に判断できるということ。囲碁から出た語。碁をわきから見ていると、実際に打っている人よりも、八目も先まで手を見越すという意から。「岡目」は他人がしていることをわきで見ていること。「目」は碁盤の目の意。「岡」は「傍」とも書く。私は小学生の頃から父親が碁を打っているところを脇から見て碁を覚えた。親父は有段者ではなかったから、それほど上達する前に中学生になり囲碁に興味が無くなった。それでも何十年か後に碁盤に向かったときに打ち方は忘れていなかった。パソコン相手に囲碁を打ちたいと、AI囲碁なるソフトを購入した。これがアマチュア8台の棋力があるそうで、初段に設定して対戦したが中々勝てず、今は対局しない。根は負けず嫌いなのかもしれない。  次回に続く。

2022.3.21 諺集に見るわが人生(68)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「起きて半畳寝て一畳」必要以上の富貴を望んでも、仕方がないということ。どんなに大きな家に住んでいようと、人一人が占める場所は、起きているときは半畳、寝るときは一畳あれば充分足りることから。続けて天下取っても二合半」という。「天下取っても二合半」とは、「人は1度の食事で二合半以上食べることはできない、例え天下を取ってもそれは変わらないので贅沢を望むべきではない」ということ。
 とはいっても欲に際限はないから、天下を取ってもさらに自分の領土を広げようとするのが英雄で、ナポレオンはロシアを深追いし冬将軍に敗れたという史実がある。
 「沖にも付かず磯にもつかず」頼るところのないことのたとえ。どっちつかずの状態でいる様。沖にも磯にも寄り着かず。「沖にも磯にも寄り付かず」ともいう。中途半端な気持ちで決めかねることはよくあることだ。そのことが自分の望まぬ方向にいってしまうことだってある。
 「屋上屋を重ねる」ムダなことを繰り返すことのたとえ。屋根の上にもうひとつの屋根をつくる意から。屋根が一つでも二つでも「雨風をしのぐ」という効果にはかわりがなく、2つめ、3つめの屋根はあっても意味がない。 このように、重ねても意味がないのに重ねてしまうものは、日常生活で多く見受けられる。(類義)「屋下に屋を架す」四世紀の中国、東(とう)晋(しん)王朝の時代。庾闡(ゆせん)という文人が、「揚都(ようと)の賦」という文章を作り、すばらしい作品だと大評判になった。しかし、時の実力者、謝安(しゃあん)は、すでに同じように都会の繁栄ぶりを描いた名文がいくつかあり、それらには及ばないところから、「此(これ)は是(これ)屋下に屋を架するのみ(この作品は、屋根の下に屋根を作ったように、何の新しみもない)」と述べたことが由来。テレビなどでコロナやロシアのウクライナ侵攻の行方について評論家は同じような話を語るだけで、明確な結末を断言できませる者はいない。 次回に続く。


2022.3.25 諺集に見るわが人生(69)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「奥歯に物が挟まる」奥歯に物が挟まるとは、思ったことをそのまま言わないで、何か隠しているような言い方をすることのたとえ。
 最近毎月のように歯医者にかかる。歯が老朽化しているためで、歯茎も痩せてものが挟まるようで、これが中々取れない。気になるものである。実際そんな状態で話をすると滑舌(かつぜつ)が悪くなる。だがこれは別に隠し事をしているわけではない。国会答弁などではこの諺が生きるかも知れない。
 「噯(おくび)にも出さない」物事を深く隠して、決して口に出さず、それらしいようすも見せない。おくびにも見せない。私も家族関係においてはこうしたことはしばしばある。いらぬ諍いのもとになることがあるからだ。
 「臆病(おくびょう)風に吹かれる」臆病な気持ちになる、怖気づく、怖くなってくる、という意味で用いられる表現。「臆病風に誘われる」「臆病風が立つ」「臆病神がつく」ともいう。子どもの頃は年中臆病風に吹きまくられたものだ。肝試しなど足がすくんで動けなかった。不思議なもので年をとる毎に怖いものがどんどん減っていった。子どものはお化けや幽霊の話を聞かされて記憶に刷り込まれて、それが臆病風の発生源になっていたのだろう。
 「奥山の杉のともずり」自分の行為がもとで、自分自身が苦しむことのたとえ。自業自得のこと。奥山の杉の枝と枝とがすれ合って、自然発火して山火事を出すこと。あまり聞かない諺だが「奥山の杉」など何となく雅な表現で、自業自得を弁解するのには都合がよさそうな諺だ。
 「送る月日に関守なし」月日の流れをさえぎる関所の番人などはいないのだから、止めることはできないということから。年月の過ぎるのは、早いものだということのたとえ。(類義)光陰人を待たず。光陰矢の如し.一刻千金。一寸の光陰軽んずべからず。と類義の方がよく聞く話。私は77歳で隠居生活に入ったが、それからの月日はまさに光陰矢の如しで過ぎている。今は昔を思い出すことが多い。
 次回に続く。

2022.3.28 諺集に見るわが人生(70)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「屋漏に愧じず(おくろうにはじず)」たとえ人が見ていない場所でも、人に知られて恥じるような行いはしないということ。「屋漏」は家の一番奥まった所、または人目につかない所の意(詩経大雅・抑から)。こういう行為は意外と誰でも経験があるのではないだろうか。それほど人はストイックな生活を続けることはできなものだ。
 「驕る平家は久しからず」鎌倉時代に書かれたとされる「平家物語」の冒頭部分「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」が由来。
 栄耀栄華を朧めた平家は「平家にあらずんば人にあらず(平家でなければ人でないの意味)」と思いあかっていましたが、その天下も長くは続かなかった。。
 どんな事でも順調にいっている時や勢いが盛んな時、人はつい傲慢になってしまうので、そんな時ほど慎むべきという戒め。
 源平合戦勝利の分かれ目、壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。
 「平家物語」では、壇ノ浦の戦いは海上戦だったため海を熟知した平家軍が戦いを有利に進めた。だが潮の流れが反転し、義経軍は乗じて猛攻撃を仕掛けた。平氏の船隊は壊乱状態になり、やがて勝敗は決した。『平家物語』は、敗北を悟った平氏一門の武将たち、女性たちや幼い安徳天皇が次々に自殺してゆく、壮絶な平家一門滅亡の光景を描写している。
 安徳天皇と共に海の藻屑と消えた天皇家に伝わる三種の神器については、その内神鏡と勾玉は浮かび上がり源義経軍に回収されたと伝えられている。残る宝剣は発見されることはなく、海の藻屑と消えたという。 次回に続く。

2022.3.31 諺集に見るわが人生(71)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「教うるは学ぶの半ば」人に物を教えるということは、生半可な知識や教養では教えられない。 自分の知識のあいまいなところを、はっきりとさせて、その後でなければできない。 したがって、自分の勉強にもなることをいう。
 私は定年後パソコンの知識を生かす職業に就きたく、伝(つて)でインストラクターの道に入った。予想だにしなかった茨の道が待ち受けていた。知っていることと教えることは別物だということを身も持って知った。対面で人に教えるのは教本だけを頼りにして行くのでは相手に記憶づけるのは難しい。優秀な生徒は自分で考える。そうでない生徒はマンツーマン指導が必要で、それには経験が大切で、自分の知識もそれなりに広げていかなければならない。この仕事はパソコンが無いとできない。学校にとっては機種変更には大きな投資が必要で、結局この講座は私が5年ほど従事して廃止になりインストラクターの仕事は終わった。75歳の時だった。
 それからは自分のホームページ作成が仕事のようなもので、最初は独特な言語を使うのに苦労し、それをマスターし最初のバージョンが生まれた。学ぶことに終わりはない。
 「恐れ入り谷の鬼子母神」ということわざは「恐れ入りました」という意味で用いられるしゃれ言葉のこと 。 「しゃれことば」とは、語呂合わせなどで人を笑わせる気の利いた言い回しのこと。 このことわざは、恐れ入った気持ちを冗談めかして表現したいときに用いられる。「鬼子母神」は、出産・育児の神で、その鬼子母神を祭る東京都台東区入谷と「恐れ入りやした」の「入りや」をかけていったもの。
 しゃれ言葉には、フーテンの寅さんの得意のセリフ「見あげたもんだよ、屋根やのフンドシ、たいしたもんだよ、カエルのションベン」などしゃれだけに面白い(犬が白けりゃ尾も白い)。 次回に続く。