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2023.2.4 諺集に見るわが人生(157)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「口に糊する」何とか貧しい生計を立てることのたとえ。粥をすする意から。
経済的な余裕はまったくないがどうにかこうにか生活していく、といった意味合いで用いられる言い回し。
ああそういえば、そんな時代もあったな。芋粥の表面に貝のようなものが見える。貝が食えると思ったが、自分の目玉が映っていたのだ。

「口に蜜あり、腹に剣あり」口ではやさしいことを言うが、内心は陰険であること。
(出典)中国、唐の玄宗帝の時の宰相、李林甫の人柄について評した言葉。表面上は、さも親しそうにしてうまいことを言うが、陰では人を陥れた。世間では李林甫のことを「口に蜜あり、腹に剣あり」と言ったことから。
私の友人は上司に恵まれず陰湿ないじめに堪えかねて、キャリアを棒に振り、職を辞するに至った。悲劇の芽はどこにあるか分からない。

「嘴(くちばし)が黄色い」《ひな鳥のくちばしが黄色いところから》年が若くて経験の足りないことをあざけっていう言葉。
(類義)尻が青い。
私も長い間尻の蒙古斑は抜けず、退職するまで尻は青かった。

「口は禍(わざわい)の門」何気なく言った言葉が元で災難を招き、身を滅ぼすこともあるから、ものを言うときには慎重に言うべきだということ。
『古今事文類集・後集』に「口は是れ禍の門、舌は是れ身を斬るの刀なり(うかつなことを言うと禍が起きる、舌は槍よりも多く身を傷つける)」とある。
口が滑るというか。迂闊に喋ったことで、飛んでもないしっぺ返しを受けたことがある。寡黙が一番の徳。

「口も八丁手も八丁」言うこともすることも、極めて達者であること。
似た言葉に「手八丁口八丁」がある。もともとは褒め言葉だが、皮肉や悪口としても使われる。
八丁というのは、八つの道具を使えるほど達者であるという意。
八丁の道具で思い浮かぶのは、鋸(のこぎり)・鉋(かんな)・金槌(ゲンノウ)・錐(きり)・鑿(のみ)・差金(サシガネ)・墨ツボあと一つが思い浮かばない。何だろう? 次回に続く。

2023.2.8 諺集に見るわが人生(158)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「轡(くつわ)の音にも目を覚ます」ちょとしたことにも敏感に反応する様子。転じて、職業柄身についた感覚や習性のたとえ、武士が常に油断せず、轡の小さな音でも目を覚ましたことから。▷轡=馬の口にくわえさせ、手綱を付ける鉄の輪。
私の場合は油断しているとかしていないからではなく、単に眠りが浅くて小さな物音にも眼が覚める。しかし、年中眠い。

「苦肉の策」敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀 (はかりごと) 。
(語源)三国志演義でも使われている「苦肉計」。「苦肉計」は自軍が劣勢のときに使う「敗戦の計(はいせんのけい)」のひとつで、「人は自分のことを故意に傷つけない」という心理を使い、あえて自分や身内を傷つけて相手を騙す術策。
(使用例)お金がなくて食べるものにも困っているという状況で、両親の形見を売ってお金にするなど、非常に困っている状況を抜け出すために考え出された苦し紛れの手段や策略を言い表す言葉。
会社が傾いた時などに打つ手の一つだが、失敗に終わることが多い。実際このコロナ禍にあって、経営が苦しくなった中小企業を助けようと、政府も苦肉の策と言えるような施策を打つが成功例は少なく、倒産する企業は増大している。

「国大なりと雖も戦いを好めば必ず亡ぶ」強大な国でも、平和を求めず戦争ばかりしていると、いつかは滅亡するということ。
(出典『司馬法』)「国大なりと雖も、戦いを好めば必ず亡び、天下安しと雖も、戦いを忘するれば必ず危うし(天下太平であっても、戦いを忘れ、軍備をおろそかにすれば香必ず侵略を受けて危険である)」とある。
丁度ロシアのウクライナ侵攻から1年経つ。ロシア国内は大分疲弊しているようだ。内部崩壊が噂されている。学者の言を待つまでもなく、このことわざのような事態が生じる事だろう。 次回に続く。



2023.2.11 諺集に見るわが人生(159)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「国破れて山河在り」戦乱で国は荒廃してしまったが、山や川の自然は昔のままの姿で存在しているということ。
(出典)中国の詩人、杜甫が詠んだ漢詩「春望」の原文
国 破 山 河 在(国破れて山河在り)
城 春 草 木 深(城春にして草木深し)
感 時 花 濺 涙(時に感じては花にも涙を濺ぎ)
恨 別 鳥 驚 心(別れを恨んでは鳥にも心を驚かす)
 もし、将来米国と中国が台湾を巡り軍事衝突に至れば、それは第3次世界大戦へと突入することになる。そして、遂に核兵器が使用されれば、広島や長崎以上の荒廃を生み、そこには山河も失われる。不毛の戦となるだろう。

「苦杯を嘗(な)める」つらく苦しい経験をすることのたとえ。「苦杯」は、にがい酒を入れた杯。 皿嘗めた猫が科を負う (さらなめたねこがとがをおう) 悪事をはたらいた主犯が罪を逃れ、悪事に少しだけ関係した小者が罰せられるたとえ。
 俗に「トカゲのしっぽ切り」巨悪の源には到達できない仕組みになっている。最近政治がらみで大物も表に出るが、うやむやの内に不起訴になってしまうというオチでけりがつく。

「九は病、五七は雨に四つ旱(ひでり、六つ八つならば風と知るべし」地震が起きた時刻によって、それが何の前触れであるか占えるという俗説を詠んだ歌。地震が九つ(午前・午後の12時ころ)に起きたら病気が流行り、五つ(同8時ごろ)と七つ(同4時ごろ)なら雨、四つ(同10時ごろ)なら日照り続き、六つ(同6時ごろ)と八つ(同2時ごろ)なら強風が吹く前触れであるという。 昔の十二刻では四つ時から九つ時を数えるもので一つから三つはないのでどの時間に地震があっても用心しなければいけないと戒めたもの。
 語呂がいいので取り上げてみた。地震に対する江戸時代の人たちの知恵がそこに伺える。 次回に続く。

2023.2.16 諺集に見るわが人生(160)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「狗尾続貂(くびぞくちょう)」劣った者がすぐれた者のあとを続けるたとえ。すぐれた者に粗悪な者が続くたとえ。もと官爵をみだりに出すのをののしる語。犬のしっぽをてんの代わりにして続ける意から。
また、他人がやり残した仕事を引き継ぐことを謙遜していうことば。
▽「狗」は犬。「貂」はてん。イタチ科の獣。毛皮が珍重され、高官はてんの尾で飾った冠をつけた。「狗」は「こう」とも読む。
(出典)『晋書しんじょ』趙王倫伝
中国晋しんの趙王倫の一族が勢力を得て、みな高位高官を授かって、てんの尾で飾った冠をつけたので、世人が、この様子ではてんが足りなくなり、後は犬の尾の飾りの冠をつけるほかない、と罵った故事から。
日本の政治家も特に保守系は世襲が多く、地盤、看板(知名度)、カバン(お金)も引き継ぐから、選挙に勝てる。人事としては未知数で粗悪かもしれない。仕事を引き継ぐ際はできるだけ情報を多くのこしてやるのが親切というもの。
このことわざ漢字が難しくておもけに難読あまり聞くことはない。言わんとしていることは中々のものだ。

「 頸を延べ踵を挙ぐ(くびをのべかかとをあぐ)」首を長く伸ばし、 爪先で立って待つという意味で、転じて、傑出した人物や絶好の時期の到来を待ち望むことを意味します。

「延頸挙踵」の語源は、『呂氏春秋(りょししゅんじゅう)』(紀元前239年)の「精通」 にある。(抜粋)聖人南面而立,以愛利民為心,號令未出而天下皆延頸舉踵矣,則精通乎民也。夫賊害於人,人亦然。
是も政治がらみで使える。今のように支持率30%台では、もう持たない。誰が引き継ぐか。それとも続投か。

「窪(くぼ)い所に水溜まる」くぼんだところに水がたまるように、集まるべきところに自然に寄り集まってくること。善悪ともに使い、利益のあるところに人は寄り集まってくる、不良のとこには不良が寄り集まり、事件が起きると刑事が寄ってくる。生活の苦しい者に、病気などほかの苦しみがついてくる。
新型コロナウィルスもようやく収束の方向に向かっているようだが、一時は生活困窮者に追い打ちをかけるように疾病が蔓延した。何でもそうだが、一つ流れができるとそこから脱却するのは非常に困難である。 次回に続く。

2023.2.19 諺集に見るわが人生(161)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「蜘蛛(くも)の子を散らすよう」《蜘蛛の子の入っている袋を破ると、蜘蛛の子が四方八方に散るところから》大勢のものが散りぢりになって逃げていくことのたとえ。
たとえは悪いが、アメリカなどでよく起こる学校への銃撃事件では、銃撃の後生徒たちが校門から散り散りになって逃げてくる有様をテレビで放映している。多くの者が集まる場所でテロが起きるような時も同様で人々が逃げ惑う様子がYouTubeなどに拡散する。
(類語 )散り散りに逃げる、一斉に逃げる、四方八方に、てんでバラバラに逃走する、総崩れになる、一目散
意味 はいづれも、大勢のものがばらばらになって逃げていくことのたとえ。

 

「雲を霞」一目散に走って行方をくらますさま。
▼本来は「雲霞と逃げる」と使われたが、「雲」の語尾が助詞の「を」と聞き取れるところから「雲を霞」になったという説がある。
雲とは空気中の水分が凝結して、微細な水滴や氷晶の群れとなり、空中に浮かんでいるもの。高度や形状によって種類を分ける。
「確かでない形・行動・所在などのたとえ」に使われる。
霞とは空気中に浮かんでいるさまざまな細かい粒子のため、遠くがはっきり見えない現象。また、霧や煙が薄い帯のように見える現象。「―がたなびく」
平安時代ごろから春のは霞、秋のは霧と区別されるようになった。

 

「雲を掴む」物事があまりにも不明瞭で、はっきりしていないさまを意味する表現。「雲を掴むような話」などのように用いる。「
前項で雲の物理的有様を説明したが、ここではその雲を掴むのだから「ぼんやりとした、漠然とした、掴むことできないもの」といった意味に使われる。未来は絶対こうなるというような話はまさに「雲を掴む」ような話である。 次回に続く。

2023.2.23 諺集に見るわが人生(162)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「供養より施業」死者への供養よりも、生きている者に施しをするほうが大切だということ。死んだ者より生きている者を優先せよというたとえ。
信心深いのはよいが、現実離れしてはいけない。
その現実離れした宗教がオウム真理教(オウムしんりきょう)。かつて存在した日本の宗教団体でテロ組織。
1988年(昭和63年)から1995年(平成7年)にかけて、教団と敵対していた弁護士一家の殺害、信者・元信者へのリンチ殺人や信者の家族の拉致監禁殺害を繰り返したほか、毒ガスであるサリンを用いた松本サリン事件や地下鉄サリン事件など、日本犯罪史上最悪とされる一連のオウム真理教事件を引き起こした(wikipedia)。
事件が明るみに出ると、テレビは連日この番組が独占し、ハチの巣をつついたような騒ぎになった。

 

「食らえどもその味わいを知らず」何事も精神を集中しないと、身につかないというたとえ。ただ食べていたのでは、その食べ物の味はわからないという意味から。
(出典)「心焉(ここ)に在らざれば視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず(大学)」とある。
『大学』(だいがく)は、儒教の経書の一つ。南宋以降、『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書とされた。
私の場合、老眼が進みルビのように小さい文字はさらに拡大鏡を使わないと視えない。
最近歯が脆くなり、毎週歯医者に通っている。そうした状況なので集中してかみ合わせを選んで食うのだが、味がよく分らない。加齢による衰えはいたるとこに現れ人を苦しめる。

 

「暗がりから牛」区別がつきづらく、はっきりしない物事のたとえ。暗い場所に黒い牛がいると、その姿形をはっきり見ることができない。 その状況に、はっきりしていないことをたとえている。 場合によっては、ぐずぐずしている態度やはきはきしていない様子をたとえるのに使われることもある。「暗がりから牛を引き出す」などともいう。 次回に続く。

2023.2.26 諺集に見るわが人生(163)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「苦楽は生涯の道連れ」苦労と安楽は、生きている限りついて回るものだということ。一生は苦楽の繰り返しであることをいう。
人間に苦労を重ねて立派な社会人に成長するものだ。苦なくして成長なし。
人間は一生懸命努力して生きなければならない、我慢と忍耐に耐えて乗り越えるものだ。
我慢と忍耐無くして成長できる方法はないものか。世の中それほど甘くない。苦労した方が、学ぶことは多い。

「暗闇の頬被り(くらやみのほうかぶり)」不必要な用心をすることのたとえで、暗闇の中で顔を隠しても、意味がないことから。「暗がりの頬破り」ともいう。
暗闇で顔は見えないのに、さらに頰かむりをして顔を隠そうとする様子が語源になっている。
頬破りは「知らん振りする」という時に使うことが多いようだ。
暗闇と言う言葉にはその中に胡散臭さが込められている。
子どもの頃は「暗闇」と言えばお化けであった。一方で「暗闇に花火」などは美しい夏の風物詩である。

「苦しい時には親を出せ」言い訳に困った時には、親を口実に使うのがいいということ。場合によっては生きてる親を殺して「親父の3回忌の法事があるから」などと逃げる飛んでもない方便に使うこともある。何れにしてもいつだって親は救いの神になってくれる。
(例文)「課長、すみません。父親が急に病気になりまして、今日はちょっと会社を休ませてください」「苦しい時は親を出せかね。しかし、度が過ぎるよ、きみ。少しはほかの手を使うようにしたらどうかね」

「苦しい時の神頼み」困ったときにだけ、他人に頼ろうとすること。普段は神や仏を拝んだこともないのが、苦しい時だけ神仏に祈って助けを求めることから。転じて 普段は神や仏を信じていない癖に、自分が必要に感じた時だけ頼ろうとする身勝手な行いや自分本位な考え方 のことを指す。
前項の「親」が「神仏」に格上げされている。親の出番は言い訳の時だが、自分が本当に困った時には「神仏」にすがる。
前にも触れたが、人生は「苦」の連続である(99999)。 次回に続く