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2023.6.3 諺集に見るわが人生(189)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん」言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者は、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだということ。
「巧言」とは、口先巧みに言葉をあやつること。
「令色」とは、人にへつらうような愛想のよい顔つきのこと。
「鮮し」は「少なし」と同意だが、原典に沿えば「鮮し」と書く。
「仁」とは、他人を思いやる心を元にして自己を完成させる、最高の徳のこと。
出典『論語』<学而(がくじ)>と<陽貨(ようか)>に全く同じ句が出てくる。それだけ頻繁に孔子によって語られた句とも考えられる。孔子の理想とした「仁」という道徳については、『論語』の中で、さまざまな角度から説かれているが、この句は、その仁を体得した人の人間像を具体的に示しているものといえる。
私が関わった人間関係でもそういう人は結構いる。そういう人は人を平気で裏切るものだ。

 

「孝行のしたい時分に親はなし」親が元気なうちは、苦労や有り難みに気づけず、気づく頃には親がいなくなっている、生きている時に孝行しておけばよかったと、後悔するということ。
(出典)江戸時代に作られた川柳から出た表現で、多くの人々の共感を得て、幕末にはことわざとしてほぼ定着し、「孝行のしたい時には~」などの異形も生じている。
(類義)石に布団は着せられず(いしにふとんはきせられず)・子養わんと欲すれど親待たず(こやしなわんとほっすれどおやまたず)・樹静かならんと欲すれども風止まず(きしずかならんとほっすれどもかぜやまず)・風樹の嘆(ふうじゅのたん)。
私は父親を早くに無くしたが、母親は百歳を超えるまで生きたお蔭で親孝行をすることができた。私が59歳ぐらいの時は、お袋は元気で働き者だったので、親孝行らしきものはしていない。 次回に続く。

 


2023.6.8 諺集に見るわが人生(190)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「後顧の憂い(こうこのうれい)」あとに残った心配事」や「未来への心配事」を意味する言葉。「後顧の憂い」は、「後ろを振り向く」という意味から分かるように、元々は「旅立つ時に残された家族を不安に思う気持ち」を表現した慣用句。
(由来)『後顧之憂』は、昔の逸話を元にしてできた言葉で、中国の故事である魏書「李沖伝」には「我をして、境を出し、後顧の憂い無からしむ」という一文が記されている。
これは、現代訳にすると「李沖は私が国の外に出るときに、後の心配がないようにしてくれた」となる。
この一文から「自分がいなくなった後の心配・気遣い」という意味で「後顧之憂い」という言葉が使用されるようになったという。
最近では、伝統工芸などの修行に十年もかかる仕事は後継者不足が問題になっており「後顧の憂い」を残すところとなっている。

「高山流水(こうざんりゅうすい)」優れた音楽、巧みな演奏のこと。また、自分をよく理解してくれる友人のたとえ。高い山と流れる水の意から。清らかな自然の意にも用いられる。
(故事)中国春秋時代、琴の名手伯牙(はくが)が、高い山を思い浮かべて琴を弾くと、友人の鍾子期(しょうしき)は「素晴らしい、まるであの高い泰山が目の前にあるようだ」と評し、川の流れを思い浮かべながら弾くと「まるで長江や黄河の滔々(とうとう)とした流れが目前にあるようだ」と評した。鍾子期が死ぬと、伯牙は琴を打ち割って、生涯琴を弾かなかったという。この故事から「断琴の交わり」「知音」「伯牙、琴を破る」などの成語が生まれた。
(類義語)「花鳥風月」「管鮑之交(かんぽうのまじわり)」「金蘭之契(きんらんのけい)」「繁絃急管(はんげんきゅうかん)」などが挙げられる。
ここ数十年間毎年4回程定期的に宿泊して親交を深める仲間がたちがいる。こうした関係を「高山流水」とか「金蘭之契」という美しい四字熟語で表現することができることだろう。 次回に続く

 

2023.6.11 諺集に見るわが人生(191)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「嚆矢(こうし)」昔むかしの中国で、戦の始めに鏑矢を敵陣に向けて射かけ、 戦の始まりの合図としていたことから、 「嚆矢 (こうし)」は「物事の始まり・最初」を意味する言葉として使われる。
(語源)武器の一つに弓矢がありますが、嚆矢は矢を放つことを指す。 しかし、ただ矢を放つのではなく、嚆矢として放たれる矢は特別な造り(中が空洞にしてある)がされており、射ると音が鳴る仕掛けになっている
(実用例)体操で笛の合図に合わせて体を動かしたり、徒競走ならピストルの合図で走り出したりすること使われる。「用意ドン」といったところか。

「好事魔多し(こうじまおおし)」『好事』は、自分にとってとても調子のよい状態を指している。何をやってもうまくいくような、上昇気流に乗っているようなときを表している。
『魔』は、よからぬことを意味している。妬みによる誰かからの邪魔や、慢心による気の緩みなどがそれにあたる。そして『多し』で、そのようなことが起きがちであることを示唆している。
つまり、調子がよいときほど、邪魔をされたりミスをしたりして痛い目にあうもので、気を付けるべきだということを、戒めとして伝える言葉である。
(出典)元末明初(げんまつみんしょ)と呼ばれる古い時代に書かれた『琵琶記(びわき)』にある。中国の高明(こうめい)という劇作家が創作した戯曲に出てくる言葉といわれている。
(使用例)友人と、模試の結果について話し合っていたとき、評価がよかったときの自分について次のように使用する(dime.jp)。
Aさん「あなたの結果は素晴らしいですね。努力が確実に実っているようです」
Bさん「ありがとう。でも好運だっただけでまだまだです。好事魔多しというし、コツコツ勉強し続けないとすぐに成績は落ちてしまうから気を付けたいです」というように使わない。 次回に続く。

 

2023.6.14 諺集に見るわが人生(192)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「孔子も時に会わず」いかなる聖賢でも、時宜を得なければ世に入れられることはない。いかに有能な者、いかによい考えであっても、好機にめぐりあわなければ用いられないというたとえ。
(出典)孔子が南巡した際に飢餓に苦しみ、弟子の子路が「先生のようなりっぱなかたがどうしてこんなに困窮しなければいけないのですか」と問い、孔子が「古来より君子で博識な人でも時世にめぐりあわなかった者はたくさんいる。なにも私だけではない」と答えたという「荀子―宥坐」に見える故事によることば。
(例文)チャンスは意外と少ない。孔子も時に会わずというが、才能を開花させることができず埋もれていく人のなんと多いことよ(proverb-encyclopedia.com)。

 

「好事も無きには如かず」人生は何事もなく平穏であるのがもっともよいということ。よいことであるとわずらわしく、悪いことだとなおさらである意から。
(出典)太平記(14C後)三四「好事不レ如レ無(カウシモなキニハシカず)と申事候へば、まして此事吉事なるべしとは申し難し」 〔巖棲幽事〕
『禅語事典』には「好事とは善いこと、喜ばしいことなどです。どんなに価値があろうとも、それがあることにより、分別や執着心が起こり、煩悩妄想のもとになります。この句は、これを戒め、吉凶・好悪を分別したり吉事、好事に執着する心を捨ててしまいなさいという意味です。そして、さらに捨てるという意識も捨て去るところに悟りが開けるのです(平田精耕)」
禅の世界では、好事の分別を捨て、好事も悪しきこともあるがままに受けとめることを良しとします。何事のにも捉われなければ、好事は好事として否定せず、、捨てることもない。でも、自分からは求めない。あればあったらいい。心穏やかに生きるには自然体がいちばん、という事です。 次回に続く。

 

2023.6.17 諺集に見るわが人生(193)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「好事門を出でず悪事千里を走る」よい評判はなかなか世間に伝わらないが、悪いことは隠そうとしても、まるで千里を走るようにあっという間に遠くまで知れ渡る。
(由来)宋の孫光憲の『北夢瑣言』に「好事門を出でず、悪事千里を行く」とある。
(類義語)好事門を出でず悪事千里を走る/好事門を出でず悪事千里に伝わる/好事門を出でず/悪事千里を行く/悪事千里を走る/悪事千里/悪い噂は早く伝わる/悪い知らせは翼を持つ/人の口に戸は立てられぬ/隠すこと千里
つい最近のニュースに、人気上昇中の俳優が大麻不法所持の罪で捕まった。私ははこの俳優の存在は知らなかったが、メディアはいち早くこの事件を報じ、俳優は世の耳目を集めることになった。軽い罪のようにも見えるが、有名人にはその後の人生変えてしまう大事になる。

 

「項斯(こうし)を説く」先輩が後輩を引き立て、その人柄や才能を人々に吹聴すること。「項斯(こうし)」唐の時代の詩人の名前。
(故事)詩人の楊敬之(ようけいし)が、当時無名であった項斯の詩を見て感心し、実際に会ってからは、彼の人格に一層敬服した。以来楊敬之は項斯をたたえる詩を作り、至る所で項斯のことを人に吹聴したので、項斯の名は長安の宮中にまで知れ渡ったという。
(使用例)彼が項斯を説いていたようで、入社後「彼からよく聞いているよ。優秀なんだってね」といわれることが多かった。前評判以上だねといわれるように頑張るよ。いい上司や先輩に恵まれると売り込みをしてくれて順調に階段を上がっていくことができる。逆に悪い上司に会うと足を引っ張られることもある。 

 

「後塵を拝する(こうじんをはいする)」「後塵」とは、人や車馬が通り過ぎた後に立つ土埃のこと。車馬が通り過ぎた後に土埃を浴びて見送る意味から、人に先を越されて遅れをとることをいう。
また、すぐれた権力者に追従すること、人にこびへつらうことのたとえとしてもいう。
社会はピラミッド型の構造をしている。大方の人が後塵を拝することになる。 次回に続く。

2023.6.21 諺集に見るわが人生(194)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。


「後生畏るべし(ごしょうおそるべし)」若い人にはさまざまな可能性があるので、侮ってはならず、むしろ恐れるべきであるということである。この言葉は、一生懸命学問に励んだら、その進歩には目を見張るものがある、という意味でも使われる。▷後生=あとから生まれた者。後輩。
(出典)孔子の言葉として「後生畏るべし。焉(いずく)んぞ来者(らいしゃ))の今に如( し)からずを知らんや」とある。
大谷翔平を見よ!あの若さで世界をあっと言わせる仕事をやってのけている。

 

「浩然の気(こうぜんのき)」何物にも束縛されない豊かでのびのびとした心。天地の間にみなぎっている。生命や活力のみなもととなる気の意から。「浩然の気を養う」という言い方で用いる。▷浩然=水が豊かに流れる様子。また、心などが広くゆったりしている様子。
(出典)「敢問、夫子惡乎長。曰、我知言。我善養吾浩然之氣」
敢(あ)えて問(と)う、夫(ふう)子(し)悪(いず)くにか長(ちょう)ぜる、と。曰(いわ)く、我(わ)れ言(げん)を知(し)る。我(われ)善(よ)く吾(わ)が浩然(こうぜん)の気(き)を養(しなう)と。▷夫子 … 先生を呼ぶ尊称。▷悪乎長 … どの点でまさっているか。▷知言 … 他人の言葉の真意を理解する。▷浩然之気 … 天地の間に充満している非常に大きく強い気。
中国、戦国時代の儒者である孟子(もうし)が説いたもので、『孟子』の「公孫丑(こうそんちゅう)」上篇(へん)にみえる。気とは、もと人間のもつ生命力、あるいは生理作用をおこすエネルギーのようなものを意味するが、孟子はこれに道徳的能力をみいだした。仁義(じんぎ)に代表される徳目は人間の内部に根源的に備わっているものとし、それが生命力によって拡大されることを「浩然の気」と表現したのである。
(例文)若い頃は浩然之気を持ち合わせていたが、段々と何かに歯向かうのは面倒なだけで碌な事がないと分かってしまうと、大人しく静かに生きる方を選択してしまう。 次回に続く。

 

2023.6.24 諺集に見るわが人生(195)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「巧遅は拙速に如かず(こうちはせっそくにしかず)」上手だが遅いよりも、下手でも速いほうがよいということ。
▷「巧遅」とは、出来はよいが仕上がりまでが遅いという意味。
▷「拙速」とは、出来はよくないが仕事が早いという意味。
場合によっては、ぐずぐずしているより、上手でなくとも迅速に物事を進めるべきだということ。
(由来)兵法家の孫子が、戦争は戦術がよくないものであったとしても、迅速に行動し早く終結させるのがよいと説いた言葉による。
(例文)超絶技巧を凝らした彼の作品を見ると、「巧遅は拙速に如かず」という言葉はかすんでしまう。
私の仕事も時間に追われてしまうと、つい拙速になってしまう。

 

「荒唐無稽(こうとうむけい)」言うことや考えがでたらめで、まったく根拠がないこと。具体的な証拠や確証がないのに、大げさに話している様子を表している。良い意味か悪い意味かで言うなら、あまり良くない意味として用いられる。
(由来)中国古典の「荒唐之言」と「無稽之言」に由来し、「荒唐之言」は『荘子』、「無稽之言」は『書経』に見られる。
ただし、「荒唐」と「無稽」が一緒に使われた例は見られないことから、「荒唐無稽」は日本で作られた四字熟語と思われる。
(例文)それは傍からみると荒唐無稽のようだが、実際のところ裏には綿密な計画があって成り立っていた。

 

「功成り名を遂げて身退くは天の道なり」りっぱな仕事を成し遂げて名声を得たら、その地位にとどまらず退くのが、自然の摂理にかなった身の処し方であるということ。
(由来)「老子―九」の一節。「金銀や宝石を家にいっぱいため込んでも、守り抜くことはできない。地位と財産を得て思い上がると、災難を引き起こす」と述べたあと、「功成り名遂げて身退くは、天の道なり(功績を挙げて名声を得たら、その地位を退くのが、自然の理にかなったやり方である)」と続けている。
(例文)功成り名遂げて身退くは天の道なりというように、上り詰めたと思ったら、退く準備を始めるべきだ。 次回に続く。

 

2023.6.29 諺集に見るわが人生(196)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「郷に入りては郷に従え(ごうにいりてはごうにしたがえ)」
自分が訪れた土地や環境に適応し、その地域の風習や慣習に従うべきであるという教えである。この言葉は、人々が新しい場所や異文化に触れる際に、柔軟な態度で受け入れることの重要性を示している。また、異なる文化や価値観を尊重し、互いに理解し合うことが円滑なコミュニケーションや協力関係の構築に繋がるという意味も含まれている。
(由来)「郷」とは、村里の意味。『童子教』の「郷に入りては而ち郷に随い、俗に入りては而ち俗に随う」から。
生活の場を変える時などに、移転先の風土習慣に慣れるということは、例えば関東と関西などを比べても、そう簡単なことではない。

 

「公は明を生ず(こうはめいをしょうず)」心が公平だと判断も正確で、物事の道理を見通す力を持つに至るということ。
(補説)荀子が君子の謹むべきものを六項目挙げたうちの最初の項目で、出典では、このあとに「偏(かたよ)りは闇を生じ、端愨(たんかく)は通を生じ、詐偽(さい)は塞(そく)を生じ、誠信は神を生じ、夸誕(かたん)は惑を生ず「狭く偏(かたよ)って闇愚(あんぐ)が生じ、正直であると物事がとどこおりなく通じ、いつわりの行為は行きづまりが生じ、誠の心で当ると知恵が生じ、みだりに大声を吐いて人をだませば疑惑が生じる」と続く。
(例文)公は明を生ずといわれるので、差別や偏見をなくし正しく世の中を見る。

 

「弘法にも筆の誤り」書に優れている弘法大師であっても字を間違えることもあるということから、たとえその道の名人と呼ばれるような人間であっても、失敗をすることはあるという意味。
(類義語)「河童の川流れ」「猿も木から落ちる」 次回に続く。