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2023.3.2 諺集に見るわが人生(164)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「車の両輪」二つのうち、どちらを欠いても役に立たないほど密接な関係にあることのたとえ。車の両輪は2つ揃っていなければ役に立たないことから。
私は毎月医者(主治医)に薬を処方してもらい。薬局で薬を出してもらう。まさに医者と薬局は車の両輪のようなものだ。医者と看護師も同様に車の両輪のように働く。

「紅(くれない)は園生(そのう)に植えても隠れなし」すぐれている人は、どんな所にいても目立つというたとえ。
「紅」は、紅花(べにばな)のこと。
紅花はどんな花園に植えても際立つとの意から。
[解説] 「紅」は、紅べに花ばな。「園生」は、花などを植える園。
散歩で裏道を歩いていると、深い緑の葉に覆われた中に椿だろうか真っ赤な花が一輪際立って目を引くことがある。比較的長いことわざで、覚えにくいが、光景が目に浮かんでくる。たしかにたとえのように、優秀な奴はどこにいても目立つものだ。

「食わず嫌い」食わず嫌いは、2種類の意味で捉えられることがある。
1つ目は、全く食べたことのないもので、絶対に口にしたくないと強く思うこと。
2つ目は、一度食べたことがあるけど、食べ物に対して嫌な思い出が残り、食べたくないと思ってしまうこと。
しかし、本来の意味の食わず嫌いは、1つ目の理由のことを示している。
食わず嫌いになる理由としては
・食わず嫌いになる理由は見た目にある!
・食わず嫌いになる理由は匂いにある!
・食わず嫌いになる理由はイメージにある!
・食わず嫌いになる理由はまわりの反応にある!
以上4点が上げられている。私の場合はイメージの悪いものは食わない。また魚などで生臭いのはダメ。

「群軽軸を折る(ぐんけいじくをおる)」きわめて軽いものでも沢山積めば重くなって、それを載せた車の軸が折れてしまうことを表している四字熟語。小さなものや微力なものでも、多く集まれば大きな力となる。
「群」は多いことや多くの人、「軸」は車の軸のことで、軽いものでも数が多ければ重くなって、車の軸は折れるという意味から。
(出典)積羽船を沈め、群軽軸を折り、衆口金を鑠(と)かす(大勢の人が口をそろえてそしれば、金属をも溶かしてしまう)とある『戦国策』。
選挙などはその好例で、票を多くとった者が勝者となる。 次回に続く。

2023.3.8  諺集に見るわが人生(165)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 「君子危うきに近寄らず」教養があり徳がある者は、自分の行動を慎むものだから、危険なところには近づかないということ。
「君子」とは、学識・人格ともに優れ、徳のある人のこと。
(出典)『春秋公羊伝』には「君子不近刑人」とあり、これが元になっているという説がある。
君子と思われる人でも冒険心が強い人は平気で危険なところに行き、無茶してけがすることがある。サーファーとかロッククライミングは危険でけが人がよく出る。きっとアドレナリンがでるのが、危険を恐れなくするのだろう。
(対義)虎穴に入らずんば虎子を得ず

 「群して党せず」群れをなすが徒党を組むことはしないということ。「群」の原義は羊が群れをなすことを表わしている。羊の群れはおおよそ自由で無秩序に見えるが、羊飼いを中心に一定の秩序が保たれている。こういう自由で且つ秩序ある集団をつくるのが君子だということ。
(出典)群而不党「孔子が君子の態度について述べたこと」「君子は矜(きょう)にして争わず(君子は厳正な態度をとるがむやみに争うことはなしい)群して党せず」とあえる。今の政治家に熟読してもらいたいフレーズだ。

 「君子に三戒あり」 (論語)人格者が自ら慎む三つのこと。 青年期の色欲、壮年期の争いごと、老年期の強欲をいう。若いときは血気がまだ落ち着かないから、戒めは女色にある。 壮年になると血気が今や盛んだから、戒(いましめ)は争いになる、老年になると血気はもう衰えるから、戒めは欲にある。ここでいう老年とは60歳ぐらいのことだろう。80歳を超えるとその欲も失せ、戒めは長生きしたい欲などをあげてみたい。またはその反対でお迎えがくるのを待つことを戒めているのか。 次回に続く。


2023.3.11  諺集に見るわが人生(166)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「君子に三楽あり」君子が楽しみとする3つのこと。父母と兄弟が健在なこと、世の中のだれに対しても恥じることのないこと、天下の英才を教育することの三つをいう。
原文:孟子曰、
君子有三樂,而王天下不與存焉。
父母俱存,兄弟無故,一樂也。
仰不愧於天,俯不怍於人,二樂也。
得天下英才而教育之,三樂也。
君子有三樂、而王天下不與存焉。
孟子曰はく、
「君子(くんし)に三楽(さんらく)あり、而(しか)して天下に王たるは、与(あずか)り存(そん)せず。
父母倶(とも)に存し、兄弟故(こと)なきは、一楽なり。
仰(あお)いで天に愧(は)ぢず、俯(ふ)して人に怍(は)ぢざるは、二楽なり。
天下の英才を得て、之を教育するは、三楽なり。
君子に三楽有り、而(しか)して天下に王たるは、与(あずか)り存(そん)せず。」と。
君子たるには最初の両親が健在であることは運に左右される。

「君子は豹変(ひょうへん)す」徳の高い立派な人物は、過ちに気づけば即座にそれを改め正しい道に戻るものだということ。また、状況によって態度や考えを急に変えるものだというたとえ。
「君子」とは、学識・人格ともに優れた立派な人のこと。
豹の毛が季節によって抜け変わり、斑紋がはっきりと目立つことから転じて、態度ががらりと変わることを「豹変する」という。
本来は、過ちを直ちに改めるの意味で使われていたが、現在では、自分の都合により態度を一変させるといった、悪いほうに変わる意味で使われることが多くなった。
『易経・革卦』に「君子豹変す、小人は面を革む(君子が過ちを改めることは、豹の模様のようにはっきりしている。しかし小人はただ外面を改めるだけである)」とある。
人と人との関係は往々にしてちょっとしたことでがらりと変わる。それがきっかけで疎遠となるのは小人であるからだ。 次回に続く。

2023.3.16  諺集に見るわが人生(167)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「君子は和して同ぜず小人は同じて和せず」他者と違う意見でも、人と仲の良い状態を確保できる、君子。
他者と違う意見だと嫌われるのではないかと不安になってしまい、すぐ同意をしてしまう。けれど、結局は友達と仲の良い状態を保てない、小人。
(原文)子曰、「君子和而不同。小人同而不和」(論語)
私は付き合いは少ないが、信頼する友人には変わらぬ友情を持ち続けている。しかし、この年齢になるとそうした大事な友人が櫛の歯が抜けるようにこの世を去ったしまうのが寂しい。

「軍は和にあって衆にあらず」戦いは兵の数が多いから勝つというものではなく、全軍の心が一つになっていることが大切なこと。「和」人の和。
(原文)「孟子」にある「天の時(日時・方角などの吉凶や天候などの自然現象)は地の利(地勢が有利なこと)に如かず、地の利は人の和(民心の和)に如かず」をふまえた言葉。
今回のWBC日本代表の活躍ぶりは日本中に喚起の渦を巻き起こした。テレビの視聴率はすべて40%を超える異常な高さを示した。このチームの凄さはMLBでも非常に活躍している一次リーグMVPの大谷選手を筆頭に個性豊かな粒ぞろいの選手で構成されている。これは栗山監督の作り上げた傑作である。今回チームで異色の光を放ったヌートバー選手はカージナルスバリバリの現役で、日本人の母親を持つことから栗山監督自らが現地に赴き獲得した選手である。すでに彼の活躍は多くの人が視た。彼の全力プレーと言葉の分からない中にあって、選手を鼓舞する声出しでも大きな役割を果たした。まさに侍魂の発露である。このチームには育成上りの甲斐選手を含め4人が選ばれており、適時に活躍する姿を見せている。ダルビッシュ有投手はこのチームを引っ張る中心人物である。これからの出番に期待する。以上誰もがまとまった「人の和」を示す軍団である。 次回に続く。

2023.3.18  諺集に見るわが人生(168)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「く」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「軍門に降る(下る)」戦争に負け、降参する。また、競争や試合などに負ける。
(由来)「軍門」は、陣営の入り口のこと。投降して敵の軍門に入るという意から。
今回のWBCは準々決勝のイタリア戦まで、すべての対戦チームが日本の「軍門に降る」ことになった。あと2勝すればすべての対戦相手が日本の「軍門に降り」優勝を手にすることができる。といったように表現できる。ソフトバンク応援歌「いざゆけ若鷹軍団」には、チームを軍と表現しているから間違いではないだろう。しかし、戦争ということになると、日本には軍隊がない。

 

「群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)」「多くの英雄たちがある地で対立しあうこと」という意味に、単に対立するだけでなくさらに「覇権を争っている」という状態が含まれることもある。
(説明)「群雄割拠」は、元々は戦国時代の混沌とした社会を象徴する言葉だった。王様や幕府、または政府など明確な統治している役割がいない状態で、だから「我こそは全国統一する」と地元の権力者や武将などが隣や近隣の敵地を奪取しようと対立が全国各地で起こった。具体的には、織田信長・武田信玄・上杉謙信・豊臣秀吉・徳川家康などが有名な戦国時代の武将として割拠していた。そこから、現在は、圧倒的な存在がない業界やスポーツ等々で喩えとして「群雄割拠」が用いられる。例えば、野球やサッカーの優勝チームを予想する際に、良く言えばどのチームも優れているが、悪く言えば他を圧倒する優勝候補となるチームが無い場合は「群雄割拠」となる。新しい時代が始まる前の転換期的な雰囲気を漂わせる。"群雄"は「大勢の英雄」「群豪」、"割拠"は「勢力を張る」「自らの領地から勢力をふるう」こと(bing.com)。 次回は「か」行の「け」から始まる。

2023.3.23 諺集に見るわが人生(169)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「け」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「鯨飲馬食(げいいん-ばしょく)」 むやみにたくさん飲み食いすること。また、一度にたくさんのものを飲み食いすること。鯨のようにたくさんの酒や水を飲み、馬のように多く食べる意から。
出典『史記しき』范雎伝(はんしょでん)杜甫(とほ)がつくった漢詩「飲中八仙歌」(いんちゅうはっせんか)からの引用といわれている。
「飲中八仙歌」では、8人の酒豪が登場する。そのうちのひとり、李適之(り てきし)の飲みっぷりを杜甫は「飲むこと長鯨の百川を吸うが如し」=「鯨が100本の川を飲み干しているようだ」とたと鯨飲馬食えた。
「鯨」は海に生息する巨大な哺乳類で、エサとなるプランクトンは小さいために、膨大な量が必要になる。そのために、海水と共にプランクトンを一気に飲み込んで摂取する。
実際に海水はその後排出されるのだが、この様子が「大量に飲むこと」にたとえられている。
「馬」も1日にたくさんのエサが必要なことから、「大量に食べること」にたとえられていまる。
昨日侍ジャパンがアメリカを3対2で下し、世界一に輝いた。花見をしながら応援していた人たちは「花より団子」ではないが「鯨飲馬食」して大騒ぎして勝利の喜びを分かちあった。

「形影相同じ(けいえいあいおなじ)」形と影はぴったり同じ。心が正しければ、行ないも正しいというたとえ。形が曲がっていれば影も曲がる。
(出典)『列子』「説符」形枉(ま)がれば則(すなわ)ち影曲がり、形直(なお)ければ則ち影正し(物の形体が曲がっていると影も曲がって映るし物の形体がまっすぐな場合には影も正しく本来の姿に映る)とある。
人の心は形が見えない。従ってこのことわざのように影があるか見分けることは難しい 。物の形体のように影が見えるようになれればよいのだが。 次回に続く。

2023.3.26 諺集に見るわが人生(170)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「け」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「軽挙妄動 (ケイキョモウドウ)」 軽はずみに何も考えずに行動すること。是非の分別もなく、軽はずみに動くこと。▽「軽挙」は深く考えずに行動すること。「妄動」は分別なくみだりに行動すること。
両方の熟語の意味から、軽挙妄動は軽はずみで分別のない行動を意味する。単に何も考えていないのではなく、思慮のなさから一般的によくないとされる行動に出てしまったときに使われることが多い。
(類義)「軽慮浅謀(ケイリョセンボウ)」目先のことにとらわれた浅はかで考えなしの計画や作戦という意味。「軽慮」という言葉が浅はかな考えという意味をさし、「浅謀」という言葉が考えの浅い作戦や計画という意味を指す。これらの2つの単語が組み合わさって、「軽慮浅謀」という1つの四字熟語として使われる。

「短慮軽率(タンリョケイソツ)」考えが浅はかで行動が軽はずみという意味。「短慮軽率」という四字熟語は、「短慮」という言葉と「軽率」という言葉の二つに分けられます。「短慮」とは、思慮が足りないという意味を指し、「軽率」とは、物事を深く考えずに軽々しく行動にうつすという意味を指す。
人はとっさの場合、状況判断を誤り、軽はずみな行動をとることはよくある。それを指して「軽挙妄動」というのだろう。

「敬して遠ざける」敬(うやま)っているが、むやみに親しくしないこと。転じて、うわべは尊敬するようなふりをして、内心では疎(うと)んじること。鬼神を敬って、軽々しく近づかない意から「敬遠」ともいう。
(出典)「論語」「樊遅(はんち)、知を問う。子曰く、民の義を務め、鬼神を敬して遠ざく、知と謂うべし」=弟子(でし)が「知」とは何かについて尋ねると、先生が「人民に対して人間としての義務を果たす大切さを教え、鬼神(祖先・神霊)を尊敬しながら、遠ざけておくようにするのが知と言えるだろう。」と答えた。口語的にいえば、「人々に人間としての義務を果たすこと、祭祀(さいし=神々や祖先などをまつること)はほどほどにしておくことの大切さを教えるのが「知」の一例です。」という意味であり、ここからこのことわざが生まれた。
「敬遠」といえば良く分かる。 次回に続く。

2023.3.30 諺集に見るわが人生(171)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「け」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

「敬士は遭い易く人師は遭い難し」経典を教えてくれる師は出会いやすいが、人道を教えてくれる師と出会うのは難しい。
原文「経師易遇、人師難遇(資治通鑑:しじつがん)」経師=儒教の経典の経書を講釈する師匠。
私は今回のWBC優勝の立役者は栗山監督だと思う。それはその人柄にある。野球界では珍しい教員資格を持っており、自分では先生になろうと思っていたそうだ。それが何故かプロ野球の選手になってしまった。きっと凄い苦労をしたことだろう。それが人物を大きくし、現役引退後10数年を経過し、侍ジャパンの監督に指名された。その後の活躍ぶりはテレビなどで取り上げられた通りである。ひたすら選手を信じ面と面と向かい合って話し合い選手の信頼を勝ち取って試合に臨ませた。選手ひとりがベストをつくすことができた。栗山監督は選手に人道を教えた稀有の監督である。
きっと3年後にはどこかの学校で生徒を教えていることであろう。そうした監督に巡り合える生徒は本当に幸せだ。

「芸術は長く人生は短し」芸術家の生命は短いが,芸術作品は作者の死後も永遠に残る,の意で使われる。
(出典)古代のギリシャの医者であったヒポクラテスが、残した言葉から変化して伝わってきたことわざと言われています。 そのヒポクラテスの言った言葉は、 「医術を学ぶには長い月日を必要とするが、人生は短いので怠らず励むべきだ」 というものでした。 この言葉が、 「芸術家の命はとても短いが、その作者が残した作品は長きに渡り後世に残っていく」 という言葉になっていったようです。 モーツアルトは35歳、ゴッホ37歳など早世したが、不朽の名作を今に残している。3月28日には世界的作曲家坂本龍一氏が死去した。享年71歳。彼のモットーがこのことわざだった。死後に高い評価を得て現存しているものも多いのも芸術作品の側面である。 次回に続く。