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2023.10.4 諺集に見るわが人生(220)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「言語道断(ごんごどうだん)」元仏教語で、仏法の奥深い真理は言葉で説明しきれないことを意味する。. 『平家物語』に「時々刻々の法施祈念、言語道断の事どもなり」とあるように、古くは、言いようがないほど 立派 であるという意味でも使われていたが、現代では、言葉も出ないほどひどいことを「言語道断」と言うようになった。. 「道断」の「道」は「言う」の意味で、「道断」のみでも「言うにたえないこと」「もってのほかのこと」の意味がある。
世の中言葉にできない酷いことがあるせいか、このことわざは今でも結構人の口に登る。ここ数日ジャニーズ事務所が今は亡きジャニー喜多川氏の言語道断のスキャンダルに対する対応についてテレビはもちきりである。

 

「権者にも失念(ごんじゃにもしつねん)」どんなに立派な人でも、たまには失敗することがあるたとえ。 仏のような偉い人でも、うっかり忘れることがあること。 「権者」仏や菩薩が衆生を救うため、仮の姿でこの世に現れたもの。
(類義語)・弘法にも筆の誤り・孔子くじの倒れ・河童かっぱの川流れ・釈迦しゃかにも経の読み違い・猿も木から落ちる・念者の不念
このように類語が多いことは、誰でもいくら注意しても失敗は免れないということである。そうして凡人は自分の失敗を棚の上に乗せるのだ。

 

「今度と化け物見たことない」今度という約束ほど当てにならないものはない。たしかに「今度○○するね」とか「今度は必ず~」といってその場を言い逃れる人は、その約束を守ることはまず期待できない。そういう言い逃ればかりで、約束を守らない人を批判することわざとして「今度と化け物見たことない」と使う。
何でもかんでも人を信頼して約束をすると怪我をすることがある。大体口先のうまい人は往々にして約束を守らないものだ。 次回に続く。

 

2023.10.7 諺集に見るわが人生(221)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「こ」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「根性に似せて家を作る(こんじょうににせていえをつくる)」人はそれぞれ分相応の考え方や行動をし、自分の力量に応じた生活をするたとえ。「根性に似せて家を住まう」ともいう。
(例文)身の丈に合わないことをすると痛い目に合うから、 根性に似せて家を作る 方が良い。
家を建てるということは一生に一度の大仕事であるので、つい大きな借金までして建てても負の面が目立って苦しむこともある。高々家である。今や空き家だらけである。別のところに大きなエネルギーを注ぐのがよい。

 

「権兵衛が種蒔きゃ烏がほじくる(ごんべえがたねまきゃからすがほじくる)」人が骨を折ってしたことを、他の者があとから打ち壊すこと。また、無駄骨折りのたとえ。農夫が種をまくとすぐ烏がほじくり出すという意から。
(補説)俗謡の一節で、このあとに「三度に一度は追わずばなるまい」と続く。
子どもの頃、よく遊びながら口ずさんでいたのを覚えている。家に小さな畑があり、母親が畑仕事をするとき一緒に種まきなども手伝った楽しい思い出である。

 

「金輪際の玉も拾えば尽きる(こんりんざいのたまもひろえばつきる)」努力すれば、どのような難事でも成し遂げられるというたとえで、大地の底の底にあるような玉でも努力して一つ一つ拾っていけば、いつかは拾い尽くすことができるという意味。
「金輪際」は、仏教の世界観で、地下で大地を支えているという金輪の最下底の所。転じて底の底。物事の窮まる所。世界の果て。
(例文)少しずつ穴を掘り続けたら、もしかしたら地球の反対側にたどり着けるかもしれないね。金輪際の玉も拾えば尽きるというよ。
地球の地下資源は無尽蔵と思われがちだが、石油などはそろそろ底をついている。再生エネルギーの確保が急務だ。 次回に続く。

 

2023.10.11 諺集に見るわが人生(222)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「才余りありて識足らず(さいあまりありてしきたらず) 」
才気はあり過ぎるほどであるが、見識が不足していること。 才気と見識との調和が必要であることをいったことば。 「識」物事の道理を正しく見分けて知ること。
(出典)「蘇軾そしょく賈誼論かぎろん」北宋の詩人蘇軾が、前漢の学者・政治家の賈誼を批判した言葉で、出典「志大にして量小なり。才余り有りて識足らざるなり」とある。
(例文)勉強だけをさせて育てると、才余りありて識足らずという偏った大人になる。
頭は良くていい大学を出ていても非常識な人はいるもんだ。

 

「斎戒沐浴(さいかいもくよく)」 神仏に祈ったり神聖な仕事に従事するのに先立ち,飲食や行動を慎み,水を浴びて心身を清めること。▽「斎戒」は物忌みをすること。神をまつるときなどに、心身を清め汚れを去ること。「沐浴」は髪やからだを洗い清めること。
(出典)『孟子もうし』離婁りろう下
(例文)資格取得のための大切な試験の前には、斎戒沐浴の気持ちで心を落ち着かせることが大切だ。
確かに何か新しいことを始めるにあたって、このような儀式めいた真似事をした経験はある。

 

「歳寒の松柏(さいかんのしょうはく」逆境や苦難の時にあっても、志や節操を失わないこと。冬の厳しい寒さにも、松や柏が緑の葉をつけているという意から。
(出典)『論語』子罕(しかん)の「歳寒然後、知二松柏後凋一也(季節が寒くなってくると、そのとき初めて、常緑樹がなかなか枯れないことがわかる)」による。
(類語)松柏之操(しょうはくのみさお) 疾風勁草(しっぷうけいそう)
(使用例)松は四季を通じていつも緑の色を湛たたえた常磐ときわ木ぎで、それが雪中にあってもなお青々として凋しぼまず、いわゆる松柏後こう凋ちょうの姿を保っている「牧野富太郎*植物記(1943)」 次回に続く。

 

2023.10.14 諺集に見るわが人生(223)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「細工は流流仕上げを御覧じろ(さいくはりゅうりゅうしあげをごろうじろ)」仕事のやり方は色々なのだから、途中でとやかく言わないで出来あがりを見てから批判して欲しいということ。「細工」とは、手先を使った細かい作業でものを作ること。
「流々」は、それぞれの流儀や流派の意味から転じて、物事には個々のやり方・方法があるものだということ。
(例文)家を建てているところに施主が、毎日顔を出し口も出すので、思わず細工は流流仕上げを御覧じろといってしまった。
このことわざなどは長い割に良く知られているもののひとつだ。

 

「歳月人を待たず」時は人の都合などお構いなしに過ぎていき、とどまることがないものだという意味。また、人はすぐに老いてしまうのだから、二度とない時間を無駄にしないで努力に励めという戒めの意味も含んでいる。時には思い切って行動すべきであるという教訓としても使われることがある。
(出典)陶潜の『雑詩』に「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず(若い時は二度と来ない、一日に朝は二度とない、時を逃さず一瞬を大切にして勉学に励めよ)」とある。
(例文)若い頃は気に留めなかったが、年を取るにつれ、歳月人を待たずと感じることが多くなるものだ。
齢を重ねるごとに一日が短く感じられる。年中昼寝しているせいか。

 

「財少なければ悲しみ少なし」金持ちでなくても、気楽である方がよいことをいう。 財産が多いといろいろな問題や心配事がおき、それによって苦しみや悲しみが乗じるが、財産が少なければ、そのようなこにとわずらわされることがないからである。貧乏人がこういうと負け惜しみにしか聞こえない。
逆に「財部軽いと心が重い」のほうが貧乏人に相応しいことわざだ。 次回に続く。

 

2023.10.18 諺集に見るわが人生(224)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「才色兼備さいしょくけんび)」すぐれた才能をもち,顔かたちも美しいこと。普通,女性にいう。
下手に使うとセクハラになる。男性目線のことわざだ。

「材大なれば用を為し難し(ざいだいなればようをなしがたし)」 あまり立派すぎる人物は、世に受け入れられにくいことのたとえで、材木が大きすぎると加工しにくく、使用しにくいことから。
(出典)杜甫の詩『古拍行(こはくこう)』「志士幽人(ししゆうじん)怨嗟(えんさ)する莫(なかれ)。かれ(高い志を持っている人や、世に受け入れられずにいる人は、恨み嘆くことなどまったくない)、古来(昔から)材大なれば用を為し難し」とある。
最近のスポーツ界(野球やバスケット、バレーなど)では、運動能力(才能)があり、2メートル近い大男がチームの主力になることが多い。MLBと競うにはデカイことがプラスになることだろう。

 

「賽(さい)は投げられた」事は既に始まっているのだから、考えている余裕はない、もはや断行するしかないのだということ。
(由来)「賽」は博打に使うさいころのことで、勝負を決めるさいころは、既に振られてしまったという意味から。
古代ローマ時代、ポンペイウスと対立したカエサル(シーザー)がルビコン川を渡ってローマへ進軍するときに言ったことば。
ルビコン川を武装して渡ることは法で禁じられていたため、これを犯すことは宣戦布告を意味した。
時の英雄が残した言葉が往々にして「ことわざ」となる。

 

「福(さいわい)は眦(まなじり)に盈(み)たず、禍(わざわい)は世に溢(あふ)る」幸運は見落としてしまうほどわずかしかないが、災難は世の中に溢れるほど多いこと。▽「眥」めじり。
そこまでとは言わないが、気持ちの問題として、幸せだと思っている人より、不幸だと思っている人の方が多いと、私も思う。 次回に続く。

 

2023.10.21 諺集に見るわが人生(225)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「棹は三年櫓は三月」同じように見えても、物事には難易があることのたとえで、舟を操縦するのに、竿の使い方は難しく一人前になるのに三年かかるが、櫓の漕ぎ方は三月で覚えられるという意味から。 「櫂は三年櫓は三月」ともいう。つまり、物事にはそれぞれ時間がかかるものと、すぐに覚えられるものがあるということ。
(類義語)・櫓三年に櫂一時・櫓三年に棹八年・ぽつぽつ三年波八年・首振り三年ころ八年
ごもっとも。私も色々やってきたが、3年間も修練したことはごく少ない。

 

「境に入りては禁を問う(さかいにはいりてはきんをとう)」、異なる土地や国に行く時には、その場所のルールや風俗が違うかもしれないので、気をつける必要があるという意味。
(出典)「礼記(らいき)」出典は続けて「国に入りては俗を問い、門に入りては諱(き)を問う(その国の都に入ったときは、その土地の風俗習慣をたずねてそれに従うようにし、人の家に入った時は、その家の先祖の忌(い))み名をたずねる)」とある。
(類義語)・郷に入りては郷に従う・国に入ってはまず禁を問え
国や家には独特な「しきたり」があることを忘れてはならない。

 

「左官の垣根(さかんのかきね)」壁を塗る専門職人である左官が畑違いの垣根を作っても、上手くできるはずがない。専門外の仕事をやっても上手くいかないことから。
▷左官=壁を塗る職人。宮中の修理に木工寮の属(さかん)(官位の一つ)として出入りを認められたことからいう。
(対義)餅は餅屋
役職名だったとは知らなかった。 

 

「先立つものは金(さきだつものはかね)」(1)何をするにしても、まず最初に必要となるのはお金という事。 (2)お金が無ければ何も出来ないという喩え。 (3)人が生きている以上、何をするにも金が必要でそれが現実であると説いている。 "先立つ"は「先頭に立つ」「順序が先」「先に死ぬ」「何かをする時に初めに必要」で、そこから、何をするにしてもまず最初に必要になるのがお金ということ。
何だかんだと言っても人間金なしではどうしようもないということか。 次回に続く。

 

2023.10.26 諺集に見るわが人生(226)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「先立つものは金」何をするにも、まず必要なものは金であるということ。資金がなければ、どんな仕事も始められないということ。人が生きている以上、何をするにも金が必要でそれが現実であると説いている。
このことわざは、受け取り方によっては悲観しているとも取れるが、現実社会を前向きに捉えているとも解釈可能である。また、だからこそお金を大事にしなさい、節約をしなさいとも感じ取れる。
(類義)人間万事金の世の中
ごもっとも。

 

「鷺と烏」「烏鷺(うろ)」とは、鳥の種類である「カラス」と「サギ」のこと。
黒色と白色は、囲碁の碁石の色を表しています。つまり、「烏鷺の争い」は、囲碁の勝負のこと。
転じて「物事の正邪(せいじゃ)や善悪、是非をはっきりさせる」たとえ。
(補山家集(12C後)下「合はせばやさぎとからすと碁を打たば答志(たうし)菅島(すがじま)黒白の浜」説)
AI囲碁を持っているが、強くて初段に挑戦しても負けてばかりなので、つまらなく止めてしまった。

 

「先んずれば人を制す」人よりも先にものごとを行えば、有利な立場に立つことができる、という教え。
(由来) 「史記―項羽紀」に載せる、殷(いん)通とうという人物のことば。紀元前二世紀の終わり、秦王朝に対する反乱が各地で勃発したとき、地方長官をしていた殷通は、自分も反乱を起こそうと考えて、地元の実力者の項V(こうりょう)に相談を持ちかけました。「先んずれば即すなわち人を制す、後おくるれば則すなわち人の制する所と為なる(先手を取れば相手を抑え込むことができるし、後手に回れば相手に抑え込まれることになる)」とは、そのときのことば。早く決起しないと、有利に戦いを進められないと判断したのだった。
(類義)「先手必勝」「早い者勝ち」といった慣用句と、同じ意味を表す。今の時代にもかなう現実的なことわざだ。 次回に続く。

 

2023.10.29 諺集に見るわが人生(227)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「さ行」の「さから始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。

 

「策士策に溺れる(さくしさくにおぼれる)」
解決策や方法などを難しく考えすぎることによって失敗してしまうことをいう。
知識が広く多方面に考えを巡らせることができるからこそ自分の能力を過信してしまい、難しい方法を選択した結果、失敗してしまう。
策士とはその名の通り策略は思考能力の高い人のことをさし、策士策に溺れるの「策士」とは三国志にも登場する兵法家「曹操」のことを表しているとも言われている。
素直に考えれば単純な物事でも考えすぎて失敗してしまうという場合や、自信過剰ゆえに己の考え方に固執してしまうような場合に用いられる言葉。
(使用例)「なまじ自らの経験ばかりに頼ってしまうと、策士策に溺れるということになりかねない」
私は策士ではないが、思い込みが強くそのせいで失敗することが多い。

 

「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」庭木の剪定法をいったことばで、桜の枝は切らずにおくのがよく、梅の枝は切るのがよいということ。
桜は枝を切るとそこから腐りやすくなるので切らないほうがよく、梅は枝を切らないとむだな枝がついてしまうので切ったほうがよいとされることから。
また、桜の枝は切らずに折り、梅の枝は折らずに切るほうがよいともいわれるが、桜は折ることもよくない。
「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」とも書く。
(類義語)梅を伐らぬ馬鹿もあり、桜を伐る馬鹿もあり/梅は伐れ桜は伐るな/桜知らずの桜切り、桃知らずの桃切らず/桜折る馬鹿、柿折らぬ馬鹿/桃を切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿/木を伐る馬鹿に伐らぬ馬鹿。馬鹿にも色んな種類があるものだ。

 

「酒なくて何の己が桜かな」花見に酒は付き物であり、酒を飲まずに花見をしてもつまらないということを五・七・五の俳句調にいったことば。
(類義)「花より団子」
私は体質的にアルコールはだめで、花見には団子が向いている。 次回に続く。