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川崎山王祭

 川崎市役所の少し先に稲毛神社という古い神社がある。川崎市も後押しをして、山王祭(さんのうまつり)が今年も8月1日~3日間盛大に行われた。初日は宵宮と呼び午後6時から祭りは始まる。午前中に訪れたが、境内は祭りの準備と出店の設営にてんやわんやの慌ただしい雰囲気だった。何しろそれほど広くもない境内に150店舗も屋台が出るのだから、「人が集まれば歩くのも難しくなるのではなかろうか」と余計な心配もしたくなる。焼きそば、たこ焼きなどの定番から金魚すくい、射的に至るまであらゆる種類の出店が集結している。初日は準備中を眺めて、改めて出直すことにした。
 この神社の由来など簡単に記しておく。(神社のホームページから抜粋)
 この社は、武神槌神(たけみかつちのかみ)を祀る古くからある社で、永くその名で呼ばれていた。江戸時代までは「河崎山王社」と呼ばれ、川崎宿の鎮守であった。慶応4年武蔵国橘樹郡稲毛庄の大社であるところから「稲毛神社」となって今日に至っているという話である。 この神社の祭礼日は当初旧暦6月15日であったが、明治となり、新暦7月下旬に行われるようになった。ところが土地柄、工場労働者が多く、賃金が月末払いということもあり、財布の中身が乏しい下旬を避けようと言うことになり、今のように8月1日は宵宮祭、2日は例祭、3日は神幸祭(最終日は日曜日と定めた)というエピソードもある。
 再び訪れた最終日は、神輿の取材。神輿が二基繰り出されるが、「玉神輿(女神)」、「孔雀神輿(男神)」と呼ばれている。私が紹介するのは、「玉神輿」の方である。(別途movieで紹介)担ぎ手に女性も多数混じっている。
 神幸祭は、先ず先頭の牛車(今はフロート)音曲を奏でながら行列を先導する。次に天狗様を先頭に7人の社人が勅幣(ご幣持ちなどともいう)を持って続き、その後ろに太鼓の音頭にのせられて「玉神輿」が「エイサー、ホイサー」の掛け声も勇ましく、道一杯使ってあっちにヨロヨロ、こっちにヨロヨロ(失礼)と最後を締める。氏子23町会を巡行するのだから、当然担ぎ手はどんどんと入れ替わる。それに加えて見物人がぞろぞろついて行くのだから、大変賑やかな祭りではあった。(川崎山王祭ムービーはこちら

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