私がまだ小学校高学年の頃、当時は社会見学という授業があり、先生に引率されて市内のあちこちの有名建造物や名跡を訪れたものだ。その1つに三菱重工横浜ドックがある。今から60年も前のまだ昭和真盛りの時代で、戦後復興のシンボルとして造船業は日本をけん引する一大産業のその頂点にあった。見学したのは、8万トンクラスのタンカーの進水式だった。船首に飾り付けられたくす玉が割られ、船は船尾の側から進水台(線路の枕木を並べたようなスロープ)を滑り降りて、大きな波しぶきをあげて着水する。この進水式の記憶は、幼い頃の私の目にしっかりと焼き付けられたものだ。感動することはそれほど多くはないが、強く印象付けられている1シーンである。
話は60年の時空を超えて現在に戻る。そのドックヤードはMM21中心モニュメントとしてランドマークタワーの足元にその姿を残している。
次に私がこの場所を訪れたのは、1989年の横浜博覧会YES'89の時だから、今から4半世紀前のことになる。動員数1333万人という多くの人たちがひしめき合った。地元に住んでいる市民ですら入場券が手に入らない始末であった。この1万人を超える人たちが踏み均した場所が後にMM21と呼ばれる再開発へと変貌することになる。
写真1からこの地区をパノラマで見ると、その特徴に気が付く、高層の建造物が林立している。中心部に入れば分かることだが、戸建ち住宅や俗にいうところの商店街、路地といったものは見られない、小学校や役所といった公共の建物の姿も見えない。もちろん電信柱などどこを探してもない。店舗も住宅も高層建造物の中に納められているいる。普段街中で暮らしている私から見ると、生活臭といったものが伝わってこない、変わった街だ。隣接する野毛や伊勢佐木町のように、胡散臭い裏町など当然存在しない。写真2は、足を進めて行くと最初の大きな交差点に突き当たる。マリノスタウンの延長線上にある道路である。左折して真っ直ぐ行くと300mほどで、右手にこんもりした林がある。ちょっと分かりにくいが、そこに狭い入口がある。入口を通り少し登ると、目の前に海が広がっている。臨港パークと名付けられる公園である。手の届くところまで水辺が迫っている。写真3は、広大な公園の先に大きな建造物、パシフィコとインターコンチネンタルホテルのヨットの帆のような姿が目に入る。
左手には海の中に洋風の東屋が浮かんでいる。プカリ桟橋で港内遊覧船の発着所だ。(写真4)ホテルを過ぎ国際橋を渡って振り返ると、ランドマークタワー、クィンズスクウェア、コスモクロックなどのMM21中核地域が目の前一杯に広がっている。(写真5)ほぼ平坦な道を約1km歩くと、レトロな赤レンガ倉庫の美しい姿が人々の目を引き付けてくれる。(写真6)向かい側の税関、(写真7)大桟橋(写真8)と貿易で栄えた往時の横浜の姿を垣間見せてくれる。老若男女を問わずゆっくりと楽しめる散歩コースである。
写真:MM21