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老いて後の記

生くることやうやく楽し老いの春
 富安風生八十歳の作である。
 人にはそれぞれの生き方がある。「日常細事」でも「元気なお年寄り」と題し、3回にわたり掲載したので重複する部分もあると思う。その点はご容赦願いたい。「風の記憶」のコラムは長文となる。
 私の年代となると、新幹線に例えれば、東京を出発して京都ぐらいには差し掛っていると考えて良い。終着間近であるということだ。余り残された時間は無い。それだけに時間の使い方が大きな課題となる。
 同世代の友人を見ても各人各様の生き方をしている。
 幸い皆元気なお年寄りの部類に入るが、生活パターンは多様だ。金のある者は、ダンスにお茶に旅行にと精力を注ぎこんでいる。中には生涯働けるまで仕事し続ける者もいる。「旦那元気で留守が良い」を地でいっている。こういうケースは稀で普通は隠居生活で、地域に溶け込んでいる者はゲートボールやハイキングにと楽しく生活している。狭い畑を借りて天気の良い日は農耕に勤しみ、日が沈めば家に帰り、一杯飲んで寝るという健康な日常生活を守っている者もいる。また、パチンコに競馬といったギャンブルから抜け出せない者もいる。
 これらの老人は一応、程度の差こそあれ、悠々自適な生活をしている部類に入る。
 しかし、目を転じればどこの病院もお年寄りで溢れんばかりだ。それだけ病人が多いということになる。ではこうした病を抱えた老人には楽しみはないのだろうか。
 今回のテーマは、健康かどうかを問うている訳ではなく、老いて後の生き方をどうするかという共通の問題について考えることである。私は男性であるので、これから述べる話は男性を対象にしている。今更、昨今の女性にとっては当たり前の話だと思う。
 ここからは、私自身が先人の知恵として学んだ学者の思想を踏まえて述べることとする。

(その1)貝原益軒の人生訓に学ぶ
 貝原益軒という人は江戸前期から中期にかけての儒学者、博物学者、教育家。黒田家につかえ博学でその作品は八十歳を過ぎてから次々と世に残るものを発表。かのシーボルトをして「日本のアリストテレス」と言わしめた。私も益軒八十歳の作「楽訓」と晩年八十四歳の作品「養生訓」には大きな影響を受けた。私自身の「号」を「風楽」としたのもそこによるところ大である。
 さて、益軒の人生訓、処世訓は非常に多岐にわたり、細かくは紹介できない。私個人が感銘を受けた言葉をのみ拾い出すことにした。
 「人の身は百年を以期とす。上寿は百歳、中寿は八十、下寿は六十なり。六十以上は長生なり」
(現代訳)人のからだは百年を期限とする。上寿というのは百歳、中寿というのは八十歳、下寿というのは六十歳である。六十以上は長生きである。といっているが、現在では江戸時代より寿命が伸びているから、それに10を加えれば当てはまると思うが、医学の発展もあり元気基準で測ればこの言葉の通りかもしれない。
 「老人は気よはし。万の事、用心ふかくすべし。すでに其事にのぞみても、わが身をかへり見て、気力の及びがたき事は、なすべからず」
(現代訳)老人は気が弱い。万事用心深くしなければならない。いざと言う事がおきても自分のことをよく考えて、気力がついて行かないような事はしない方が良い。若い時の気分が抜けず、無茶な行動を取るとそのツケは、今年の流行語「倍返し」で跳ね返ってくる。慎むべし。
 更に、「とし下寿(60歳)をこえ、七そじにいたりては、一とせをこゆるも、いとかたき事になん。此ころにいたりては、一とせの間にも、気体のおとろへ、時々に変わりゆく事、わかき時、数年を過ぐるよりも、猶はなはだ、けじめあらはなり。かくおとろへゆく老いの身なれば、よくやしなはずんば、よはいを、久しくたもちがたかるべし。又、此としごろにいたりては、一とせをふる事、わかき時、一・二月を過るよりはやし。おほからぬ余命をもちて、かく年月早くたちぬれば、此後のよはい、いく程もなからん事を思ふべし」
(現代訳)年齢が六十歳をこえ七十歳になったら、一年を超えるのはなかなかむずかしい。このころになると一年の間にも体力・気力の衰えが季節よって変わる。その変わり方は若い時の数年よりもなおはっきりしている。これほど衰えていく老年のからだであるから、よく養生しないと長生きができない。またこの年ごろになると、一年がたつのが、若い時の一、二ヶ月が過ぎるのより早い。余命いくばくもないのに、こんなに早く年月がたつのだから、これから後の年齢がどれほどもないことを思うべきである。実はこの後に子に孝行するよう書いてある。当時は儒教盛んな時代で孝忠が行き渡っていた。しかし、現在は社会システム自体が変化しており、消費税の導入によりそのシステムを強化し、国が福祉として老人介護に力を入れることに変わってきている。
 次に「老後は、わかき時より、月日の早き事、十ばいなれば、一日を十日とし、十日を百日とし、一月を一年とし、喜楽して、あだに日をくらすべからず。つねに時・日をおしむべし。心しづかに、従容として余日を楽しみ、いかりなく、慾すくなくして、残躯をやしなふべし。老後一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。老後の一日も楽しまずして、空しく過ごすはおしむべし。老後の一日、千金にあたるべし」
(現代訳)老後は、若い時の十倍の早さで時が過ぎていく。一日を十日とし、十日を百日として楽しみ、むだに日を暮してはいけない。いつも時・日を惜しむべきである。心を静かに従容として残った月日を楽しみ、腹をたてず欲を少なくして、生き残っているからだを養うべきである。老後はただの一日でも楽しまずに過ごすのは惜しい。老後の一日は千金に値する。私はこの件(くだり)を座右の銘にしている。

 肝心の老後を元気に暮らすにはどうすればよいかについては、「養生訓」はその細々したことを微に入り、細に亘って行き届いた説明をしている。それがこの本の真骨頂であるので、ご一読頂きたい。(参照 中公クラシックスj27 貝原益軒:養生訓ほか松田道雄訳)

 いつか「老後の哲学」を(その2)として掲載したいと考えている。

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