神奈川宿の特色は、日本の開港と深い関わりを持つスポットが目につく。神奈川宿の史跡を辿ると、殆どがお寺にその跡を見ることができる。それが領事館跡である。江戸末期日本への入り口となった横浜には、多くの外国人居留地があり、外国人が日本で活動するためには領事館が不可欠の存在だったからであろう。古地図を見ても東海道は海辺に面しており、そこには多くの寺が存在しており、その地を利用して各国の領事館が建てられたのであろうと推察できる。
神奈川宿の配置を見ると、現在の京浜急行「神奈川新町」駅に始まり「神奈川」駅で右に曲がって、青木橋を渡って沢渡公園に至るまでの約1.5kmの道筋にある。
史跡を辿る
紹介する史跡は全部で九か所ある。(上のマップをクリックすると大きく表示されます)9個々の史跡については、標示板「神奈川宿歴史の道」から抜粋した。
(写真はimage_kanagawa.html)
①オランダ領事館跡・土居(桝形)跡
神奈川宿の起点は、現在の神奈川通東公園で、神奈川新町駅東口の鶴見寄りに位置する。そこには昭和40年まで浄土真宗長延寺があった。長延寺は開港当時にオランダ領事館に充てられた。標示板にはここが宿場の入り口で、土居(桝形)という高さ2.5mほどの土塁が築かれ、その上には75cmほどの竹矢来を設け、関所があったと記されている。(写真1-2)
②良泉寺・笠のぎ稲荷神社
沿線上に200mほど横浜方面に向かって歩くと、良泉寺がある。ここの標示板には「この寺は開港当時ほかの寺が領事館に充てられるのを快しとせず、本堂修理中という口実を設け、幕命を逃れた」というエピソードが記されている。(写真3-4)
その向かい側にあるのが笠のぎ稲荷神社である。この神社の歴史は古く、禾皇(のぎ)という文字を使うことを許された(辞書にはない)由緒ある神社で土地の信仰も厚く、今でも多くの信者が総代として名を連ねている。(写真5-6)
③能満寺・神明社・東光寺
さらに足を進め、50mほど歩くと、能満寺に着く。絵図にも示されているように能満寺・神明神社とあるところから、かつては神仏混交のお寺であったと察せられる。実際寺の奥には神明宮が残っている。(写真7-10)
ここから直ぐの場所に仲木戸駅がある。駅は高架になっており、その足元に神奈川小学校がある。小学校の脇に、分かりにくいが標示板がある。そこには「神奈川」の地名の由来が書かれている。(「江戸名所図会」の上無川の項に「神奈川本宿の中の町と西の町の間の道を横切って流れる小溝で、水が少ししか流れておらず、水源が定かでないため上無川という。カミナシガワのミとシを略してカナガワというようになった」という説が記してある。)
仲木戸駅の前国道寄りに東光寺がある。この寺は太田道灌の守護仏を本尊としており、道灌がこの本尊を与えるに際して「海山をへだつ東のお国より放つ光はここもかわらじ」と読み与えたことが名称の由来と伝えられている。(写真11)
以下つづく「神奈川宿を歩く(2)」