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神奈川宿を歩く(2)

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④金蔵院・熊野神社・高札場
 仲木戸駅を右手に、第一京浜国道との中間にある小道を少し進むと、右に金蔵院(こんぞういん)(写真12-13)左に熊野神社(写真14-15)の裏口に出る。その先には神奈川地区センターがあり、ここには高札場(復元)(写真16-17)がある。「高札場とは江戸時代幕府や領主といった権力者の象徴で、彼らの最も基本的な法令を書き記したもので、木の札で出来ており、主に多くの人の目に触れるよう村の中心や主要な道路が交差する人通りの多い場所に設置された」(神奈川の東海道(下)神奈川新聞社刊)に記されているように、この辺りの道筋は往時を偲ばせる松並木が続いている。道路の幅は写真で見られる位だったのだろう。(写真18)

⑤成仏寺・慶運寺・滝ノ川・浄滝寺
 すこし歩みを進めると、ローマ字で有名なヘボンの宿舎があったと言われる成仏寺の前に出る。(写真19-20)次に向かった場所はJRと京急に挟まれた分かりにくい場所にある慶運寺である。この寺は幕末フランス領事館に充てられていた。またの名を浦島寺とも呼ばれており、この辺一帯が浦島町という地名がある所から、浦島伝説所縁の地らしく「浦島太郎が乙姫様から貰ったという菩薩像が伝わっているという話だ。(写真21-23)この辺までが駅と駅との中間点に当たり、道路を横切るように滝ノ川(写真24-25)が流れている。この川には「河童のくれたされこうべ」伝説があり、伝説の里と言った所か。 川を渡ると直ぐに線路沿いにイギリス領事館跡がある浄滝寺に行き当たる。(写真26-27)

⑥青木町本陣跡
 滝ノ川沿いに第一京浜国道まで足を延ばし、道路を横断し、横浜方面に向かうと直ぐに卸売市場入口の交差点に行き当たる。歩道橋の足元に本陣跡の標示板がある。(写真28)ここに青木町本陣があったと記されている。反対側には東の本陣があったそうで、今は自動車修理工場があるところらしい。

⑦宗興寺・神奈川の大井戸
 そこから京浜急行沿線に引き返すと、幸ヶ谷公園の根元に宗興寺がある。宗興寺は開港当時先に紹介したアメリカ人宣教師で医者であったヘボン博士の施療所を開いていたところだ。これを記念する石碑が境内に建てられている。ヘボン博士は「ヘボン式ローマ字」でよく知られているが、後に明治学院を創設するなど、我が国の教育にも尽力した人物である。(写真29-30)
 また、この寺の境内から2-30mほど下ると、「神奈川の大井戸」と呼ばれる井戸が今も残っている。観光用に改装されてモダンな感じがするが、徳川将軍や明治天皇の通行の際にもその水が使われたと言われている。この井戸の水が増えると翌日天気が良くなると言われ、旅人からは「お天気井戸」と呼ばれた別名がある。(写真31)
 
⑧幸ヶ谷公園・洲崎神社
京急神奈川駅を降りて50mほど下ると、桜で有名な幸ヶ谷公園がある。(春は花、花は桜参照:花見客で賑わうスライドショウの1シーン)今は小高い所に位置する公園だが、かつてここは権現山と言われる山があったそうだ。その山を切り崩してその土を上の地図(8)神奈川の台場跡に運び込んで使ったと記されている。「権現山」は消えてしまったわけであるが、「神奈川権現山外国人遊覧」という幕末に書かれた絵図には背景にこんもりとした山が書かれている。この山は青木橋の近くにある本覚寺の山につながっていたいたという話だ。幸ヶ谷公園の坂を下っていくと洲崎神社に出る。源頼朝が、安房の国の安房神社の神をこの地に招いたのが発祥の由来という。この神社の御神木のアハキがなまり、青木町の長命になったと言われている。(写真32-33)

⑨普門寺・甚行寺
 
さらに青木橋の交差点に向かって足を進めると神奈川駅の手前に普門寺と甚行寺が並ぶようにして立っている。普門寺は標示板によれば洲崎大神の別当であると記されている。(写真34)甚行寺は、標示板によれば「開港当時、本堂は土蔵造りであったが、改造を加えてフランス公使館に充てられた」とある。戦災で焼失。現在は鉄筋コンクリート造りの堅固な姿で建っている。(写真35-36)
 写真12-36を見るにはここをクリック
 以下つづく「神奈川宿を歩く(3)」

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