2019.9.2 たな卸し(3)
今回は「記す(note)」をたな卸しをする。このポケットの中身はサイトマップ(クリックして開く)にあるように主にエッセイ集になっている。いま顧みると当初は話題は限りなくあるように思え、筆が進んだことが読み取れる。次に示す「見果てぬ夢3」などは、自分の夢が確実性を伴った形をもって語られている。こうしたエッセイは、これを引き継いだ「write記す」ではすっかり影をひそめてしまっている。2016年には詩作にも挑戦した。「再生の候」などは人生論的色彩が色濃く出ている。更にそれを加速させているのは2017年から掲載を始めた「禅の研究」への取り組みである。これは全部で40編近くに及ぶ。それも文献からの要約を示したものに過ぎず、それに続くべき自分なりの考察は中断されたまま今に至っている。
こうした一連のエッセイ(随筆)もしくはレポートは文献検索や実際現場で体感したものを文章という形で表現するというステップを踏まなければならない。そうしたことには体力と気力、加えて記憶が大きな要素として備わっていなければならない。
最近引き続く疾病(腰痛・帯状疱疹後神経痛)の痛みで、外出できない日々が続いており、身体のせいにするのはみっともないことだが、まさに体力・気力の欠如がHP作成の上にも大きく表れていると自らも感じている。
たな卸しをしながら、いまは「write記す」の復活が果たせるのか自分でも分からない。詩にも書いたように「ひたすら歩く」日々が戻るよう努めるしかないだろう。
次回はこのHP一方の柱である「写す」「撮る」のたな卸しを行う。
2019.9.6 たな卸し(4)
前回紹介したように、今回は「写す」「撮る」のたな卸しを行う。これは現在「うつすimage」「えがくpaint」の前身である。
まず「写す」の初期のものは「知る(memory)」と連動しており、最初に紹介した「東海道五十三次のうち川崎宿から戸塚宿まで」の写真をアルバム風に紹介している。川崎宿7枚、神奈川宿46枚、保土ヶ谷宿44枚、戸塚宿22枚の計109枚となっている。(クリックしてサイトマップ表示)
次の「公園散歩」も同様に記事と連動した写真集で三ッ池公園12枚(樹木ばかり)、山下公園の樹々19枚、山下公園から山手へ28枚、セキレイの道16枚、新田緑道16枚(産業遺産のモニュメント公園)、県立公園四季の森10枚、ささぶねの道15枚、三渓園晩秋実写16枚合計132枚のアルバムになって再現している。花火などは歳時記風の写真が10枚ほど載っているが、「撮るmovie」での動画の方が圧倒的に迫力がある(2013年版は開かないので14年版をご覧ください)。
花火を毎年観賞してきたこの臨海地区も今は外資系の高級ホテルが建っている。地区の住民はこうした風物詩を楽しみにしていたのだが、MM21地区はどんどん空き地が埋まり巨大なコンクリートジャングルに変貌しつつある。これも時代の流れであろう。
こうして見てくると画像や動画は言葉では説明できないものも、一枚の絵や映像で視覚的な表現ができることで大きな訴求効果をもたらすのだと思う。次回はその他のトップページ画面のコラムやリンクアイコン等についてたな卸しすることにする。
2019.9.10 たな卸し(5)
たな卸しの最終回はその他のトップページ画面のコラムやリンクアイコン等について行う。
トップページのコラム「日常細事」は私の生活雑感をその都度紹介しているが、週2回のペースで書いている(前掲)ので、「日常細事」アイコンをクリックして遡って数えてみると、2014年94回、2015年106回、2016年107回、2017年103回、2018年100回、2019年66回で合計576回となっており、まさに「塵も積もれば山となる」のたとえのように数をこなしている。このコラムは内容はともかくとして、このHPの中核をなすものであることは間違いない。これで次の目標1000話まで中間点をすぎたので、これからはノミトリ眼でエピソードを探し出していく作業が続くことだろう。
次に紹介するのは人物百相と生物百様と名づけたイラストのシリーズ物で、これは当初DUDENと呼ぶイラスト図鑑(英語版1937年出版)から選んだものを額縁画風のカットで示し、クリックして元絵(原画のリメーク画)を一枚の絵として表示させる仕組みを考えた。この仕組みは次に江戸時代の歌麿、写楽そして再び歌麿の版画再生で今も続いている。最初は欧米の伝統的風俗を紹介していたものを、日本の伝統に置き換えて今も続いている。生物百相は途中(2016年)から四季折々の花々を暦の「今日の誕生花」から選んで写生して示すようにしている。この2種類の画集は「paint描く」の中で「浮世絵」「野草観賞」でもリンクさせている。「懐古趣味」はDUDENイラスト図鑑の絵をベースに着色しているもので一番古いがもうすぐ代打が出ることになる。
「人物百相」から少し下がっていくと「時の風物詩」がある。これは毎月のカレンダーとして神奈川の年中行事を紹介するもので、そのほとんどが寺社の恒例行事と二十四節気や七十二候の暦で成り立っている。これも一年ごとに内容が同じになってしまうので、趣向を変えて内容も毎年できるだけ重複しないように工夫している。
最後に紹介するのが「字源」で、これは文字のルーツである「象形文字」「形声文字」「会意文字」を彩色して示している。元々はこれらの文字に加え「 指事文字」「 仮借文字」があったが、数が少なく2015年に紹介し終わっている。文字のルーツは農業に関わる祭祀にまつわるものがほとんどである。
少し長くなってしまったが、このHPのたな卸しは今回をもって終了する。
2019.9.13 涼風の候
2、3日前の暑さが嘘のように、今は涼しい風が部屋の中を拭き抜けている。外は青空だが心持ち光が柔らく感じられる。暦の上では二十四節気七十二候のうち白露(はくろ)から鶺鴒鳴(せきれい なく)あたりの時期である。このHPの「時の風物詩」でも簡単に紹介している。
白露(43候)は、夜中に大気が冷え、草花や木に朝露が宿り始める頃のことで、見た目にも涼やかな秋の気配を感じる。次候の鶺鴒鳴(44候)のセキレイはたまに見かけるが、雀や烏ほどメジャーな街中の鳥ではない。これもHPの「八百万の神」で紹介している神々の多くはイザナギ、イザナミの営みの産物であるのが非常に多いのはよく知られている。このセキレイはこの二つの神に深い関わりがある。一説によると、その夫婦生活を指導したのがセグロセキレイで、何で小鳥がそんなことをしたかと言うと、セキレイには異名として恋教鳥という不思議な名前がついている。これは日本書紀のイザナギとイザナミの国生み神話の話の中で、鶺鴒が飛んできて二神に子供の作り方を教えたと言う説がその元になっている。
暑さも去り涼しさが一段と深まると何と言っても「食欲の秋」である。その筆頭に上げられるのが「さんま(秋刀魚)」である。今年は不漁で店にそう多くは出回らず、値段も高く
今や高級魚の部類に入るのではないかと思う。つい最近までは秋の食卓を飾る大衆魚で、小骨が多く私は苦手だったが人気が高い。「目黒のさんま」ではないが、話題にも事欠かない魚である。佐藤春夫の詩「秋刀魚の歌」の書き抜きに「あはれ秋風よ情〔こころ〕あらば伝へてよ--。男ありて今日の夕餉〔ゆふげ〕にひとりさんまを食〔くら〕ひて思ひにふける。(中略)さんま、さんまさんま苦いか塩つぱいか。そが上に熱き涙をしたたらせてさんまを食ふはいづこの里のならひぞや(以下略)」この詩はあまりに有名で高校生の頃に初めて読んだ。その頃の方が実感が伝わったものだ。
いずれにせよ食欲の秋。私は「秋刀魚」より「ハンバーグ」の方が好きだ。
2019.9.16 敬老の日
今日は敬老の日である。敬老の日は、国民の祝日に関する法律第2条によれば、「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としている。
そこではただ高齢なだけの老人は祝われないとも受け取れる。つまり多年にわたり社会につくしたかどうかが問題である。私は公僕として定年を迎えるまで勤め上げた。これは社会につくしたようには見える。だからと言って敬愛されるほど立派に仕事をこなしたかどうかは難しい判定を下さなければなるまい。長年世の中に貢献した人を叙勲する制度があり、私が知る人でも勲章を貰った人はいる。確かに地元の名士として長く県会議員を務めた人だった。
そうしたメガネでみると私は外れである。多分私の回りのお年寄りの大半がこの範疇に入る。1966年(昭和41年)までは「老人の日」が9月15日に当てられており、それ以前1951年(昭和26年)に「としよりの日」が初めて定められたようだ 。それ以降現行の「敬老の日」のなったのだが、どうも「としより」と「敬老」では随分と響きが違う。
もともとの「としよりの日」のルーツを探ってみると「昭和22(1947)年 9月15日、野間谷村(兵庫県多可郡にあった村。現在の多可町八千代区)村長門脇政夫氏の発案で、村のお年寄りを集めて敬老会が開かれた。老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村作りをしよう」というのがその敬老会の趣旨だったという。
「としよりの長年の経験からつちかわれた知恵を借りる」という社会システム。すなわち「としよりの」社会参画の仕組みを考え出したところを評価したい。
現行の「敬老の日」は何か年寄りは弱者(労わられるべき存在)のような扱いを受けているように感じるのは、私のひがみだろうか。
としよりが本当に社会に期待しているのは「野間谷村」のような敬老システムが身近な地域に生まれることである。
としよりとは消えゆく存在ではなく、新たに種を残していく存在であってほしいと思う。
2019.9.19 一日三食
一日三食食べるという食生活は、ごく一般の部類に入ると思う。中には朝抜きの一日二食、極端な場合は一日一食の人もいるかも知れない。
朝抜き二食にするのにはそれなりの理由があるようだ。それは排泄などの生理的欲求をスムーズに行うのに朝はお腹を空っぽにしておくことが良いというのがその理由である。
そう言うことであるが私の場合今は一日三食とっている。ほんの短い期間二食という時期もあった。家族が三食とっているので、今は昔のように外に取材に出かけることもないので、共に食事するため自然と三食になった。
別に健康がどうのこうのという根拠などはない。おまけにかなり間食している。糖尿病などでこれは良い訳は無いのだが、甘いもの好きは一生改まりそうにない。一日のカロリー摂取などについては、我が家の栄養士にお任せだから、多分リーゾナブルな献立をしていると疑うことはない。
大体だがこのメニューは以前にも紹介したが、少し変わって現在は朝はポストハーベストをワンパック(以前はトースト1枚)とヨーグルトそしてコーヒーと決まっている。昼はパスタやうどん・蕎麦そしてお気に入りは餅入りの粥である。たまにスーパーで買うサンドイッチや菓子パンだったりする。外で家族で食事することはここ数年記憶がない。夜は朝や昼に比べボリュウームがあるオリジナルメニューになるが、最近は魚系も箸をつけるようになったのは偏食が少し改まった”あかし”か。でも矢張り肉系が良い。たまにカレーライスやチャーハンであったりするが、これも好きだ。
ざっとこうした食生活であるが、こうして三食を食べられる満足感は戦後の飢餓を体験した者にとって、とても幸せなことである。贅沢は言わない。今のまま続けばよい。
2019.9.22 マジックナンバー
プロ野球のペナントレースの行方が大詰めを迎えている。セパ両リーグとも熾烈な争いを続けているが、今巨人がM2、西武がM4という記号が新聞の紙面に踊っている。
このMとはなんの印なのだろうか、何かのお呪い(おまじない)なのだろうか。早速調べてみた。
表題にあるようにこれはマジックナンバー(magic number)の頭文字Mの略号を示したものだ。中身を調べるとややこしい関数の数式が並んでいてさっぱり訳が分からない。
要約すると「他のチームの試合結果に関わらず、自チームがあと何勝すれば優勝が決定する」という勝ち数のことである。つまり巨人のM2はあと2勝すれば自力で優勝できるという意味で、西武も同様にあと4勝すれば優勝できる意味だと一般的には理解されている(9月21日時点)。
今日(21日執筆時)はベイとジャイアンツとの直接対決だから、もしベイが負けるようなことがあると、一気にマジックは消えて巨人の優勝は決まり横浜ベイスターズは、本拠地で相手の優勝の瞬間を目にするという悲劇に見舞われる。それだけに今日は上茶谷に頑張ってもらって選手一丸となって、目の前の「原監督」の胴上げだけは阻止してほしい。
マジックはあくまでも目安だから、それが優勝を意味するものではないことは言うまでもない。特にパリーグの場合ソフトバンクが先にマジックを点灯させた経緯もある(9月15日西武が逆マジック9とした)ので、しばらく目が離せない状態が続くことだろう。
マジックの語源だが、これは「ビンゴゲームで、日本でいう『リーチ』状態の時に、ビンゴ完成のために必要な番号をマジックナンバーと呼ぶ」ところからきている。
人はこのような時「その数字が来て頂戴」と呪文のように唱える『南無三(宝)』のようなもので、そのことが野球世界でも「数字(magic number)」が転用されて『実現を願う数字』を意味する語として使われるようになったという話である。
人によってはクリンチナンバー(linching number) など別の「最終順位可能性早見表」を用いるケースも見られる。
2019.9.26 大きなこだわり
大工がカンナに、板前が包丁にこだわるように私も慣れ親しんだPCにこだわる(「2019.7.4 小さなこだわり」で愛用品について掲載した)。そのPCが今危機的状況にある。このPCは8年ぐらい使っているもので、私が使い始めたのは5年ほど前のことで、お古をもらい受けた。イヤホンとインターネット受信のパーツが壊れていたもので、イヤホンはどうでもいいので、wi-fiのレシーバーは調達し、これまでよく働いてきた。ハイスペックなマシンで画面も綺麗である。私のHPはほとんどこのマシンで仕事してきた。
長く使うと自分の分身のような愛着を覚えるものである。それには手に馴染んできているところもある。PCもそれぞれのマシンでスタイルもスペックも違う。キーボードの配列やピッチ(幅)なども微妙に違う。一番は反応の違いで、ハイグレードなものほどユーザーの期待に応えてくれるのは当たり前といえば当たり前の話である。私のマシンはその面ではミドルクラスのものである。
それがここ3、4週間ほど前から急に画面が出なくなったり、スピードが全く出なくなったりして結局その日は使えなくなるという状態が続いている。いったん電源を落として一日待って完全冷却しないと立ち上がらない。全く信頼性を失ってしまったわけである。それでもその合間を縫ってHPの更新を続けている。
もちろん次善の策は打ってある。代替マシンを2台用意し、いつでも作業ができるように、それにHPのバックアップを取っている。日常使うデータはすべてクラウド経由で共有している。従ってこのマシンが全くダメになっても、仕事には差しさわりは出ない。ただスペックが極端に低い代替品なので手間はかかる。
つまるところ、こんな状態でもマシンの機嫌のいい時にはこうしてこのPCに向かうのは、今や分身となった愛着からか、一日でも長く使いたいというのは私のこだわりからか。
2019.9.29 CS(シーエス)
プロ野球のペナントレースはセリーグがジャイアン、パリーグがライオンズの優勝で決着を見た。我がベイスターズは2位と期待以上の活躍を見せた。 10月5日からは両リーグとも上位3チームによるCS(クライマックス・シリーズ)に入る。ファンにとってはひいきのチームの試合を1日でも多く見たいと言うのが人情というものだ。
そこで今回はベイスターズのここのところの戦いぶりを振り返って、これからの勝負を占ってみる。ここは冷静に「ひいきの引き倒し」にならないように頭を絞るとしよう。
私の印象では今の横浜の状況はあまり良くない。なぜかというと9月22日づけ「マジックナンバー」で書いた最悪のパターンが印象に強く残っている。絶対のはずのクローザーの山崎康晴が2死後連続フォアボールのあとタイムリーを打たれ流れは巨人に結局延長戦を制せられ、目の前で胴上げを見るという最悪のシナリオで終わった。本当に「野球はツーアウトから」を見せつけられた一戦となった。私にはそれがトラウマでそれからの試合もヒヤヒヤものでやっと2位に付けたというのが実感だった。
今これを書いている時、エース今永が必死に3位浮上を狙う阪神と戦っているが、1,2回の得点機を逃しているところから、阪神には全くもって弱い。言わば「蛇に睨まれた蛙」のような関係にある。もしこの試合を落とせば、多分阪神が奇跡の3位に浮上する可能性が高くなる。もし阪神がCSの対戦相手になればどうもヤバイ気がする。うまく勝ち抜けたとしてもホームのジャイアンツ戦はハンデもあるから、ここのところの推移では勝てそうにない。結論は横浜はCSで姿を消すというのが私の予想である。無論勝って欲しいと思うが、いまのベイは試合に臨む集中力や気合に欠けるところがある。これでは勝てるわけがない。
大ファンの私がこう見ているのだから、普通の野球ファンも同じように見ているに違いない。
結果セリーグはパリーグの勝者ライオンズに多分4勝2敗ぐらいで勝ちを持って行かれるだろう。横浜が万が一リーグ制覇を果たすとしたら、それは奇跡としか言えない。