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利便性の代償

 私は30年以上も前にこの地に移り住んだ。たまたま元の住居の近くで、交通の便利さもあってここに決めた 。少し狭いが、一応マンションと呼ばれる集合住宅である。この地域一帯は白幡と呼ばれている。地名の由来は、近くの丘の上に白幡神社という氏神さまがあるところからそう呼ばれたのだろう。
 一帯は古くからの住宅地で、当時このマンションが建つのには多くの反対があったという。時の経過からみて地域が変わるという予感が住民を不安にさせたのであろう.
 その通り、この地の利便性の良さ(東急東白楽、白楽、JR東神奈川、京急神奈川新町といずれも徒歩15分以内、大口も坂の登り下りなしに20分)が大きな要因で、地主はこぞってマンションやアパートを建て始め、相続したものを分割し、アパートや建売住宅に変えてしまった。
 人が多く移り住めば地域は活性化し商売も繁盛すると思われるが、それは全く裏目に出た。細々と営業していた商店が櫛の歯が欠けるように廃業し、跡地は建て売り住宅になったり、アパートになった。
 商店主の世代交代がうまくいかないのが、最大の原因であろうが、地域の灯は少しずつ消えていくのは、寂しいものである。
 商売が成り立たないのには、駅に近いことで、駅には隣接してショッピングセンターがあり、買い物はそこに集中してしまう。銭湯も2軒あったが、建て売り住宅になったり、私が引っ越した直ぐ側の銭湯は、上をマンションにして1階を銭湯とコインランドリーということで建て直したが、長くは続かず、つい最近イオン系のマイバスケットに変わってしまった。コインランドリーだけは残った。大体ここの地域性が推測できると思うが、多くがアパートで単身者用が多く大体1LDKバス付きである。風呂屋は要らないが、洗濯は必要ということである。この急速な細切れな住宅への変貌は、さらに深刻な問題を町内に投げ掛けている。独身のアパート在住者は、地域コミュニティーへの参加はしない。むしろそうした付き合いは煩わしいだけなのかもしれない。
 だからといって、町内会ではゴミ出しとか、地域の共同作業に協力を求めざるを得ないなど、全く彼らに関わらない訳にはいかない事情がある。
 年寄りが多くなった昔からの地元の人にとっては、手間のかかる邪魔者といった存在とも言える。
 元々アパートの独身者は、ここは単なる仮住まい、転居するのも早い。地域に関わりを持つことなど念頭にないだろう。
 最初の不安は的中した。多くの日用品店は廃業に追い込まれ、地域の結び付きは崩壊への道を急速に滑り落ちている。
 こうした状況について、学者の中村元氏はその著書の中で「日本人の間では閉鎖的な人間結合組織としての家、主従関係、縁故関係、国家に対する道徳は発達しているけれども、一個の人間として守るべき道徳に関する自覚に乏しい。社会的道徳とか公共心とかとか呼ばれているものが、まだ十分に発達していないのであると考えられる」(日本人の思惟方法)と指摘している。
 地元の氏神さまが今危機的状況に置かれていると、「日常細事」で書いたが、地域にすむ人々の結び付きがどんどん希薄になり、この辺りでも独居老人が、人知れず亡くなっているという事態まで起きている。
 思うに都市生活者の高齢化と独居老人の増大は、止めようもない社会現象であり、それに伴う悲劇が展開するのも、仕方のないことと見過ごすしか道はないのだろうか。

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