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世代間の溝を埋める(経営の神様たち)

 先日、テレビで経営者が世代の違う若い従業員とコミュニケーションを図るために、社内文通(手書き)を始め、その結果、従業員たちの悩みも分かり、対応に成功し、業績回復と人材の流出を防いだという話を紹介していた。
 他にも、社内コミュニケーションを図るために、会社の中に酒場を設け、いわゆる飲みニケーションの場とすることで、社員間の風通しを良くする策を講じたなどの話題も取り上げていた。
 世代の違う(若い)従業員と経営に携わる社長(CEO)と呼ばれる人たちとの間には、世代の違い(育った環境の違い)によるギャップ(溝)が横たわっているいるのは、親子関係を見るまでもなく、明らかである。
 世の中には一代で会社を築き上げ、時代の寵児となり、経営の神様などと持て囃される経営者も多く存在する(松下幸之助に始まり稲盛和夫まで日本人の神様好きの象徴的存在)。プレジデント誌を見ると「いかに私は事業を成功させたか」という話であふれている。これらの人も神様扱いされる日を待ち望む予備軍である。
 こういった御仁たちは、ある種のカリスマ性を備えており、非常に属人的能力で、伝承の利かないものである。それ故に持て囃されるのではあるが。発想も豊かで、決断力もある、その経営者がいなくなった時、会社は危機に直面する。人材の継承がうまくいかないからである。神輿の上で采配を振るっていた人がいなくなっても、神輿が潰れないのは、支え手がしっかり噛み合っているところにある。支え手をしっかり育成することが、次代に引き継ぐ経営者の責任である。そのための努力の表れが、当初に述べた事例である。その結果、支え手の中から、確りとしたリーダーシップを取れるものが現れれば、企業は生き残れる。
 ここで少し会社について、自分の経験から考えてみる。私は現役の頃、約7年間県内の中小企業を訪れて、定期的に景況調査をする仕事に携わっていた。四半期ごとに行う調査で、日銀が大企業に対して行う「短観(企業短期経済観測調査)」の地域中小企業版とも言えるものである。50社ほどを対象に経営者に直接面接して行うもので、当時はまだバブル経済の始まり(昭和61年末)であり、日本は景気上昇機運の真っ只中にあった。倒産件数も少ない時代であった。それでも当時の経営者はそれほど楽観的ではなく、下請け企業などは淘汰される恐怖を常に抱えていた。現在対象企業で生き残った企業がどれだけあるか分からないが、優良企業を選んでいたので、名前は変わっても、吸収合併されたりして、生き残っているとは思っているが。
 しかし、中小企業は3代保たないという定説がある。そこには人材という貴重な人的資源が決定的に不足しているからである。大卒が当たり前の時代、まして景気回復局面にあっては、新卒者はできれば大企業に就職したいと願うのは当然である。そのしわ寄せが中小企業に及び、人材不足が生まれる。仕事はあっても、人手が足りないという話が、多くの業種で出ている。アルバイト(非正規雇用)でチェーン展開する飲食業などは、店舗を縮小する傾向が出ている。少子化の影響はこんなところにも表れているのだろうか。
 話を企業の存続に戻す。私自身の体験では、役人ではあったが、出向という形で、第3セクターと呼ばれる団体であったり、会社に従事するという得難い経験をした。
 第3セクターとは、基金を拠出したり、資本金を引き受けた企業等の出向社員を中心に、従業員として、ポロパーと呼ばれる職員により構成されている組織である。いわゆる寄り合い所帯と考えて良い。概ね公益事業を展開するので、基金運営や出向元の役所や企業が資金を提供することで成り立っている。
 公益事業の最大の欠点は、圧倒的な力量を持つ経営責任者が存在しないことである。景気のいい時は資金繰りも潤沢で、問題が起きないが、景気が悪くなり、金利が下がったり、運営資金を捻出するのが難しくなった途端に、経営破綻する。当然の帰結と言えよう。
 私の知る限り、現在では第3セクター方式の公益事業を行う団体や企業は殆ど姿を消している。
 第3セクターを造るより、事業をアウトソーシング(外注)した方が、効率が良いと今にして思う。矢張り餅は餅屋に任せるのが定石と考えるべきである。
 こう考えると、3年前の東日本大震災により多くの事業を展開するために各種の特殊法人が設立されたが、これらは時限つきで目処がつくまでが必要な存在で、次代にツケを残さないこと、それを使命と考えるべきであろう。
 話がいささか脱線したようだ。さて、企業の神様たちは、次の世代にいかにして事業を継承していくのだろうか。多くの経営者は、最初に記した立ち読みの雑誌のインタビューに答えて、儒教や禅の思想を経営理念の根底に置くとしている。「無の世界」とは無縁と思われる「金儲けの世界」で生きている人間が、そういうことを得々と語るのは、矛盾していると思うが、私には理解し難い部分である。私も儒教の教えや、道家の思想には深い関心を持っているが、世代を超えて自分の意志を伝えるのに、個人の人生哲学と結びつけるのは無理があるように思える。浅学非才な私ごときが、異議を唱えるのは、おこがましいことだが、日本人独特の合理性や工夫する力で、企業の神様たちは、次代の継承者に、最終的に日本の将来を委ねることができる、と信じていいのだろうか。
 岡目八目とは、囲碁の諺であるが、囲碁を脇から見ていると、実際に打っている人より八目先まで手を見越すという意味で、当事者よりも、第三者のほうが情勢判断が正しくできるということである。企業の神様たちには、自分が仏様になる前に、世代間の溝を埋める手立てを講じ、道を拓く責任がある。
 釈迦に説法のような話はここまでとし、投了(石を投げる)する。
 

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