家のベランダへ日参してくる猫がいる。飼い猫ではなさそうだ。姿格好はもっとも多い雑種と思われる、灰色と茶に黒の縞の入ったありきたりの雌猫だ。この猫が妙に人懐こい。まだ若く多分3・4才ぐらいだろう。4ヶ月ほど前から家のベランダに姿を見せるようになった。前にも色々な猫が訪れたが、3年ほど前マンションの大規模改修があり、その時を境に猫の訪れは絶えていた。
この猫が我が家を訪れるのには何かの因果関係がありそうだ。改修の1年ほど前に、この辺を縄張りにするボスの雌猫がいた。よく家のベランダの隅にある小物入れの上の道具箱に座り、下を見下ろしていた。地上5階建てぐらいの高さにあるから結構見晴らしはいい。
その猫が知らぬ間にその小物入れの隙間で出産していた。同じ毛並みの4匹の子供を生んだのは、猫の鳴き声がするのに気がついてからだ。隙間の部分を綺麗になめて清潔にして、子育てしていた。そばに近づくと威嚇された。大体野良猫は人を警戒してそばには近寄らないものだ。それでもこの猫大変まめに子猫の世話をみていた。排泄物なども食べてしまう。ところが2週間ほどすると、この4匹の猫を近くの草むらに連れていき、子猫の 大きな悲鳴が聞こえたから、間引きをしてしまったのだろう。どうやら選ばれた1匹しか残さないのがこの母猫の流儀らしい。その後、母猫の姿は見かけたが、子猫の姿を見ることはなかった。
そして、大規模修繕後は猫は訪れなかったわけである。
ところが、話を戻して冒頭の人懐こい猫の再訪であるが、よく見ると若いがかつてのボス猫にそっくりだ。ただ表情が全然違う。非常に優しい表情をしており、トゲトゲした野性味がない。まるで飼い猫みたいだ。なぜ家を訪れるようになり、なぜあれほどまでに人に懐くのか考えてみた。どうも帰巣本能によるものと考えられる。残された一匹の猫だったのかもしれない。そう思えば辻褄は合う。
妙に人懐こいのも自分の古巣だと思っているフシがある。今では家を訪れた時、ベランダの引き戸を開けると、母猫同様ベランダの小物入れの上の道具箱に座っているのだが、飛んできて足許に体を擦り寄せてくる。 次にゴロリと寝転び撫ぜてくれとせがむ。大きなエメラルド色の眼を細め、喉をグルルと鳴らす。
これ以上親愛な態度はないぐらいのサービスぶりだ。その合間には私の手をペロペロと舐める。つい「野良猫に餌ををやらないでください」という禁じ手の「おやつ」など与えてしまう。元々猫好きなので、愛おしさひとしおだ。私は猫年ならぬ寅年、どこか合い通づるものがあるのだろう。
この関係これから何年続くのだろうか。野良猫の寿命は大体13-4年と言われている。とすれば、あと10年は生き延びる計算になる。私の寿命に照らしても、このいい関係がいつまでも続いて欲しい。
ずっと昔の話、教会の結婚式で神父さんが私達夫婦に贈った言葉「新約聖書の一部、コリント人への第一の手紙13章7節〜8節( 死が二人を分かつときまで、命の日の続く限り)」をふと思い出した。