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2020.10.2 生活のデジタル化を考える

 これから書くことは2016年10月16日「生活のデジタル化」を読み返して、現在の自分にはどのような変化をもたらしたのか考察してみた。
 そこに書かれた「こうして見てくると、毎日の生活がデジタル化された社会に否応もなく取り込まれているのだなと感じる」という結びのフレーズに関連して、この4年間でもその現象はさらに進んでいる。その一つに『マイナンバーカード』を上げることができる。これは身分証明書をデジタル化したもので、私の場合は運転免許証の返納が大きな理由で、それに代わるものがこれしかなかったからだ。
 最初の活用は現在も進行している新型コロナウィルス(covid19)の救済手段として国民一人に10万円を給付するという施策が打ち出され、取得したばかりのカードを使ってオンラインで給付申請した。国(もしくは自治体)と個人がネットワークで直接金銭授受ができることに、一種の驚きを感じた。
 次にごく最近には「国勢調査」にカード番号と暗証番号を入力してオンライン回答をやってのけた。これらのデジタル化への対応は家庭内のWi-Fiとパソコンがないとできないので、私の年代ではまだ大多数がアナログで役所の窓口や郵便で対応している様子で、ここには世代間で大きく社会のデジタル化への対応は異なる。
 数年前に電話もスマホに変えた。最早これがないと外出できない。医者通いの連絡用が通話の主なもので、最近のスマホは性能が向上して、5Gなどという高速通信にも対応してきている。性能表を見ると使っているパソコン並みである。windowsは何故か対応しておらずAppleのOSかAndroidのOSがほとんどのシェアを占めており相互互換(プロバイダーが同じ場合だが)きくので、通信用基板であるsimというマイクロカードの出し入れで簡単に使い分けることができる。まだ通信料金が高いので、外国映画で見るようなひとりで数台の格安スマホを使い分ける人は見たことはない。
 買い物は今のように外出を自粛するせいかカード決済で買うケースが増えている。実際に触れることができないため、買った後で後悔することも多い。
 こうして見てくると社会のデジタル化(AI化の進展)は急速な広がりを見せていることは確かで、それとどう付き合うのかが課題といえよう。

2020.10.6 工夫に工夫を重ねる

 工夫というものは経験の積み重ねから生まれる。このことは「2014.2.14工夫するということ。2014.6.15 ひと工夫」を読みかえしてみて感じたことで、この二つのコラムを重ね合わせた結果分かったことだ。一例を上げると、モノづくりの知恵、工夫の続編で書いたハイバックチェアは結局場所を取るので家人からクレームが出て廃棄処分となった。それに代わってシンプルだが少し値の張る国産座椅子が今の作業中に使われている。場所を取らないよう袖なしにした。「羹に懲りて 膾を吹く(なますをふく)」感もあるが、こういったものも生活の知恵の一つにはなるだろう。そのことは2014.2.14に書いた「モノの機能を自分にフィットさせるために工夫する」にあてはまるものと言えよう。
 今回このホームページの一部改装中だが、これも苦肉の策で年のせいもあると思うが、何度も言うようで恐縮だが、足腰が弱くなって取材活動ができなくなった。結局このホームページの、あまり使われなくなった2つのポケットを止めて、新たに積み上げた資産(私から見たことに過ぎないが)を再活用して、目先を変えたページ造りにチャレンジしてみた。 その評価は閲覧者の目にどう写るかにかかっている。
 これも年のせいか何事にも興味が薄れていくようだ。感受性の低下とでも言おうか感性の劣化を感じている。
 幸いなことに少し手法は変わったものの、このコラムはこうして書き綴られている。そうできるのは自分自身積み上げてきたデータベースもどきの過去の記録が残っているお蔭だ。よく年を取ると昔話ばかりを繰り返すというが、今回の手法もそれに似ている。しかし、自分ではそれに工夫を施している。エッセイの中に「記憶から記録へ」(初期のnoteのサイトマップ)に自分の記録したもをデータベース化することを記しているが、それが今また息を吹き返す時が来た。
 まだ工夫に足りなさがあるかも知れない。それを少しづつ変えていくことが、工夫に工夫を重ねることだと言えよう。

2020.10.10 言葉に関する章(1)
 今までこのコラムでは、かなりの数の「言葉に関する」テーマが取り上げられてきた。
洗い直した結果は以下の通り。「言葉に関する章」として一覧できる。*で示した言葉は追記。
2013.10.1漢字の妙
2014.3.16ローマ字変換の罠
2015.7.7文字の成り立ち
2015.12.18音を言葉で
2017.6.15いろはかるた
2017.10.16短文は難しい
2017.10.22 千里眼と地獄耳(その1)
2017.10.26 千里眼と地獄耳(その2)、2017.10.30千里眼と地獄耳(最終回)
2018.1.13売り薬ネーミング
2018.9.12仮名遣い(1)
2018.9.15仮名遣い(2)
 以上12個見つかった。それぞれをダイジェストして一文とするには、少し手間がかかる。そこで一応年の若い順から見直していくことにした。無論関係づけられるものについてはランダムに選択して紹介していく。
 先ず一覧表をご覧頂きたい。12個集まるとチョットした小論文(約1万字)になった。拾い読みしながら話を続けていくことにする。
 最初の『漢字の妙』では「日本の漢字仮名混じり文(中国や台湾の漢字とは別という意味で)は、日本独自の発展を遂げている。(*私は)日本語以外に特に精通しているわけではないが、独特な味わいがあることは確かだ。森の木に例えるのは的外れかもしれないが、葉も茂れば、花も咲き、実も生る。平易ではなく、複雑な変身をする」とある。
 こうしてみると、私の言葉の森には本当に葉が茂り、花が咲き、実が生るように仕上がったかは疑問の多いところだ。
 またこのコラムでは結婚式のスピーチに「糸偏は結婚式のスピーチに困った時には、都合の悪い部分は省略して使うと。結構受ける話が出来上がる。(*例えば『絆』という字だが)糸偏に半という旁を充てる。(*そしてその成り立ちは)半が意味するところは、半分の糸同士を結ぶと、一本の糸になる。半分では弱いが一本になれば強くなる。それでも、糸はいつかはほぐれてしまうものだと意味深長な説明がなされていた」とあるように、いずれ説明する文字の成り立ちを示す「字源(今も掲載中)」では、多くの漢字が「平易ではなく、複雑な変身をする」ことになる。続く

2020.10.13 言葉に関する章(2)
 次のダイジェストは「2014.3.16ローマ字変換の罠」に入る。長年キーボードに向かっているが、未だにブラインドタッチができない。左右の小指のタッチが弱く誤入力が頻発する。一応両手を使うのだが、それがいい加減で首尾一貫していない。
 その誤入力の最大の原因は、ローマ字は半角(1バイト)の英字が基本で全角(ダブルバイト)は2文字入力する分、誤りも倍になるという計算になる。
 日本語は表意文字といい英語は表音文字という。これらにどういう違いがあるか調べてみると「個々に意味を持つ文字を集めたのが表意文字で、日本の漢字・アラビア数字など挙げられます。日本の漢字は意味を形にした文字なので、正確な読み方は分からなくても、漢字のつくりを見ればある程度の意味を理解できます。一方の表音文字とは、音声を媒介として意味を伝える文字のことで、アルファベット文字を用いる英語などが挙げられます。
 アルファベット文字は綴りが違えば、意味がまったく違うものになりますし、それぞれのアルファベット文字が音を持っています。
 見るだけで意味を理解できる「表意文字」と、単語を見ればその発音が分かる『表音文字』。これが両者の違いです。この違いが生まれたのには、日本人の文化や考え方にあります。(.js-international-school.com)」という記載が見られる。
 文化の違いにより多言語が生まれており、日本人が文字を見て意味が少しは分かるのは中国語くらいで、それは漢字が中国伝来のものだからだと思う。隣国の韓国はハングル語(韓国語は話し言葉)で書いてあるので、私にはさっぱり分からない。調べてみるとハングル語は表音文字で英語と同じである。ハングル語のキーボードを見ると子音と母音があって、その組み合わせで文字が成り立つようだ。従ってローマ字同様キータッチは2つで一文字ということになるから、手間は日本語ローマ字入力と大して変わらないだろう。
 最近は「AI双方向携帯音声翻訳機」なるものも出現して、海外旅行なので対話が自由にできるという売り込みであるが、実際見たわけでも聞いたわけでもないので、どれほど正しくコミュニケーションできるのかは分からない。
 今の時代AIの発達が目覚ましいから、その内スマホ一台あれば何でも済ませることできるようになるだろう。続く

2020.10.17 言葉に関する章(3)
 今回紹介するのは「2015.7.7 文字の成り立ち」と「2015.12.18音を言葉で」までのダイジェスト。 5年前からはじめている「字源」は、6書あるうちの「指示文字」、「仮借(かしゃ)文字」、「転注文字」の3種類の文字は数が少なく、ずいぶん前に紹介し終わった。残る「象形文字」、「形声文字」、「会意文字」は今も掲載が続いている。
 日本独特の「日本語オノマトベ辞典」で紹介しているような、音による表現は上記の6書には含まれない。また6書は「漢字」の文字種を紹介したもので、日本語独特平仮名(ひらがな)や片仮名(カタカナ)も文章を構成する上で欠かすことのできない文字種だ。そのことは「ある雪の日の外出」を読んでいただければ一目瞭然で、このようにして日本語の表現は漢字や仮名交じりで表現されている。
 日本語には多くの同音異義語がある。よく例に挙げられるのが「きしゃのきしゃがきしゃできしゃした」でこれを変換すると「貴社の記者が汽車で帰社した」となる。これなどはもう古典的な適用例で、元は「ワープロ専用機が開発されていた時代、キヤノンの研究開発者たちが使った例文」だといわれている。
 そうした例を待つまでもなく、こうしてパソコンで入力していると「誤変換」は日常茶飯事である。 例えば「しよう」と入力すると「使用、仕様、試用、私用、枝葉、止揚、施用などなど」とゾロゾロと候補が出てきて、どう「しよう」もない。これなども同音異義語のほんの一例に過ぎない。新聞などの記事でもこうした単純な変換ミスをみることがままある。
 最近はカタカナひらがな交じり文も多くなった。そこで私が応援する横浜DeNAベイスターズのプレーの1シーンの解説を試みると「セカンドのソトがゴロをキャッチしてショートのヤマトにトス。ヤマトはファーストロペスにナイススロー。4-6-3のダブルプレー」といった訳の分からないような文章を書いても、読む人が読めば分かるというのも時代の流れのせいなのか。野球好きだった正岡子規(「筆任せ」掲載中)が見たらどう思うだろうか。
[言葉に関する章へリンク]。続く

2020.10.21 言葉に関する章(4)
 今回紹介するのは「2017.1.16 短文は難しい」に関するコメントを考えてみた。
 最近、悪名高く人気のある「超激安通販」にはまっている。私は時計が好きなので実際何個か購入した。その中に発注がうまくいかなくてサポートセンターと連絡を取り合ったのは、SMSならぬSNSである。これはだれもが知るトランプ大統領が一躍有名にしたtwitter(ツイッター鳥がさえずっているアイコン)やFacebook( フェイスブック)に代表されるコミュケーションツールで、スマホでもできるが、大きなキーボードが使えるのが便利で画像などもアップできる。ひとつルールがあって、パソコンやスマートフォン(多機能携帯電話)などでメールアドレスやパスワード、名前を登録することが必要である。
 少しも短文にならず前置きが長いが、先に示したネット通販の会員にならないと商売は成立しない。バーチャルな世界なので、実際モノが届いてみないと広告通りかは分からない。そこでババをつかまされた時にクレームをつけるのが先に紹介したSNS上で行われる。
 そこで求めらえるクレームの内容を記述するのは一行分の空白に文字を埋めていかなければならないので、途中で文脈が分からなくなってしまう。目に見えるのは50文字(スマホの場合はその半分)くらいだから相手の術策にはまって途中で放り出してしまうのが落ちである。これは私の言い分でここのSNSは元々スマホだけを対象に構成されているようで、注文を受け送るだけで済むのならだれでもできることだ。ところが不良品が多いからどうしてもクレームをつけたくなる。返金を要求す時にはどこが悪いのか説明した上で複数の写真まで添付しなければならない。若い人ならいざ知らずやっとスマホを使い始めた高齢者には大きな難関で、多くはは諦めてしまうだろう。
 本題に戻って如何に短文でこちらの意図を相手に伝えるかというのには、相当に難しく「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と言うようにはいかないようだ。
[言葉に関する章へリンク]。続く


2020.10.24 言葉に関する章(5)
 今回紹介するのは、「2017.10.22 千里眼と地獄耳」に関するコメントを考えてみた。
 体の部位を使った表現は実に多い。この項目でも随分俎上に載せた。よく調べるとそれでもほんの一部なので、更に追及して「頭」の天辺から「足の指先」までできる限り上げてみる。 (原典はweblio)
 頭から顔全体を使った表現や諺、成句はドキュメントに上げた以外にもかなり見ることができる。例を挙げて行こう。
 よく「頭打ち」という言葉を聞くが、これは「 市場の相場が上がり続けた結果、高値の限界に達して横ばいとなり伸び悩むこと」を指している言葉で、語源は、「頭」が人間の身体の一番上に位置し「最高点」を指すことからきている。
 「頭にくる、とか頭にきた」という言葉などは、誰でも経験している。大抵は人と人との感情のもつれから生じる。「怒りで興奮する。かっとなる」ことである。そういう時は「まあそうカッカするな」など宥(なだ)めたり、揶揄(からか)ったりする。そういう余計な言葉かけは相手の「頭に更に血を上らせ」かねない。
 現在の私は女房に、「頭(あたま)が上(あ)がらない」一方的コントロール下にある。大体同世代の夫婦はこんな関係にあるのではなかろうか。
 少し難しい表現で、「頭(あたま)を擡(もた)・げる」と言う言葉がある。これはデジタル大辞林によると「 隠れていたこと、押さえていたことが、考えや思いに浮かぶ。『ふとした疑念が―・げる』と説明している。
 weblio辞書によれば、まだ沢山の頭に関する言葉があるので、説明は抜きで紹介する。
「頭から水を浴びたよう」「頭から湯気を立てる」「頭の上の蠅も追えない」「頭の黒い鼠」
「頭を掻く」「頭を下げる」「頭を撥ねる」「頭を捻る」「頭を冷やす」「頭を丸める」といった塩梅だ。ここまでではドキュメントの「頭」の項しか進んでいない。「千里眼と地獄耳」だけを説明するのにどれだけ時間を取ればいいのか頭を痛めて」いる。[言葉に関する章へリンク]。続く

2020.10.28 言葉に関する章(6)
 頭に続いて、それに付随する髪(かみ)について成句などを探し出して、言葉遊びを続けることにしよう。
  髪・髭(ひげ)・髻(もとどり)を使った言葉もかなりある。例によって「weblio辞書」を参照して説明していく。
 先ずは髪の毛のない頭を「禿げ頭」というが、私の年代には相当数いる。やかんのようにつるつる頭のことをいう。「苦髪楽爪」という諺があるが、これは苦労しているときは髪の毛が早く伸びて、楽をしているときは爪が早く伸びるということらしいが、私は苦労する人は禿げるということだとばかり思っていた、どうやらこの諺には科学的根拠は見つからず迷信とされている。
 ところが「白髪三千丈」と言う言葉を見つけた。これは唐代の詩人・李白の五言絶句「秋浦歌」第十五首の冒頭の一句で、通常「積もる愁いに伸びた白髪の長さは、三千丈(約9キロメートル)もあるかのように思われる」と解釈されている。矢張り思い悩むと髪の毛は白くなり、長く伸びるようだ。私などもほとんど白髪になっているから、きっと「積もる愁い」が募っているのだろう。
 「一髪、二化粧、三衣装」という諺がある。これなどはトップページの人物百相「歌麿美人画」を見れば一目瞭然だ。美人に関しては「後れ毛」などとういう洒落た表現もある。これは「 女性が髪を結い上げたとき、襟元に残って垂れた短い毛」のことで、これがどんなものかは、現在表紙を飾っている「歌麿美人画」がぴったり当てはまる。
 続いては小説などでよく使われるのが「間一髪」という表現で、事態が非常に差し迫っていることのたとえ。髪の毛一本が入るほどの隙間という意からきている。
 その髪の毛一本に関する諺で「一髪、千鈞を引く」がある。これは「非常に危険なことをするたとえ。一本の髪の毛で千鈞の重いものを引っ張るという意から。千鈞(せんきん)は約6.7kgで非常に重いことのたとえ」とある。こういうのを剛毛と言うのだろうか。
 今回は「髪」一筋に終わることになった。髭(ひげ)・髻(もとどり)などは次回に紹介する。[言葉に関する章へリンク]。続く

2020.10.31 言葉に関する章(7)
 前回紹介した髭(ひげ)・髻(もとどり)に話を進める。(wikipediaを参照)
 髭は自分では生やしたことがなかったので、一律に髭と表現していたが、今回調べると髭は、くちひげ(髭)、あごひげ(鬚)、ほおひげ(髯)で漢字を使い分けるのだそうだ。
 一般的に髭と書くのは「くちひげ」のことで、ムスタッシュ(mustache)という。鼻の下、上唇の上の部分に生えるヒゲを長く伸ばしたものである。代表的な種類を上げると、
・カイゼル髭
伸ばした口髭を油や蝋で固めて左右を上へ跳ね上げて逆"へ"の字にしたもの。サルバドール・ダリで有名。ドイツ帝国の皇帝ヴィルヘルム2世が蓄えていたことからカイゼル(近代のドイツ語で皇帝の意。現代ではカイザーと発音)と呼ばれる。英語では髭の形が二輪車のハンドルに似ているため、"ハンドルバー・ムスタッシュ" (Handlebar moustache) と呼ばれる。
・どじょう髭
どじょうの髭のように伸ばした口髭を口の両脇に長く流したもの。またはどじょうの髭のように短くちょっとだけ生えている髭のこと。現状では相反する二つの意味で用いられている。ラーメンマンで有名。辮髪と共に中国人の象徴のように使われる。
・ちょびひげ
口髭を鼻の幅ほどに短く刈りこんだもの。アドルフ・ヒトラーのポートレートやチャーリー・チャップリンが有名。
 次はあごひげ(鬚)で英語で ビアード(beard)という。 第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンの肖像画や彫刻は見事なあごひげを蓄えている。
 やぎ髭などもこの部類に入る。やぎの顎下の毛のように顎鬚を長く伸ばしたもの。ホー・チ・ミンがこの髭で有名。
 最後はほおひげ(髯)、サイドバーン(sideburn)というが、みあげとの線引きが難しい場所で"長いもみあげ"やマトンチョップス(mutton chops)などと呼ばれる事もある。エルヴィス・プレスリーやルパン三世等が典型例。
 他にフルフェイスと言って顔の大部分を覆うような髭もある。フィデル・カストロにちなんで「カストロひげ」と呼ばれる事もある。
 蛇足だが、無精ひげというのがある。普段ひげを剃っている人のひげが、剃られずに伸びたままになっているもの。部位は問わない。これは結構どこでも見られ、ひょっとすると一番多いかもしれない。今回は髭の種類の列挙に終わってしまった。髻(もとどり)については次号となる。
[言葉に関する章へリンク]。続く